音の無い音楽

music forum

Ky-092

Musica Silentia

村山先生、今晩は! 暑かった夏も過ぎ去り既に仲秋となりました。最近まで毎夜、庭で華々しく演奏会を繰り広げていた秋の虫達は、楽団員を大幅に減らして、少ない数で物悲しく聞こえる様になりました。テンポも心なしか少し遅い様です。皆何処へ行ったのでしょうか。やがて一匹も鳴かなくなるでしょう。蟻とキリギリスの童話の通りに、まもなく冬を迎えることになります。冬になれば、虫達の演奏は聴くことが出来ません。秋にあれほど盛大に行われた我が庭の演奏会場も全く音楽の聞えない冬の庭になってしまいます。音楽の聞えない庭は、廃墟と化したローマの遺跡に等しいものであります。それにしても、音楽の全く聞えない世界は如何なる世界でしょうか? もしこの世に何処か音楽の全く聞えない処があるとすれば、どんな処でしょうか? 音楽の聞えない世界など私には想像することも出来ません。冬の庭に佇んでいるとしましょう。そこではもう虫達の音楽は聞えては来ません。では、音楽が聞えない処には音楽は存在しないのでしょうか? 私はそうは思いません。
冬の庭に立って、紅葉が既に散ってしまった木々を見て、つい一月前まで毎晩賑やかに演奏を繰り広げた秋の虫達の音楽を想起する時、音は既に聞こえないけれども虫達の音楽を心の中で再現することは出来ますね。まだはっきりとその美しい音色を覚えているからです。即ち冬の庭に居ても、秋の庭で奏でられた虫達の交響曲を思い出すことは出来るのです。演奏が行われない演奏会場に一人静かに座っているとそこで繰り広げられた数々の演奏を思い起こすことがあります。実際には演奏は行われていませんが、その人はかって演奏会が行われたその場所で、音には聞えないけれども、内なる演奏を思い出しているのです。その人が今までに聴いた数多の美しい演奏が心の中で聞えて来る事は有り得るのであります。これを「
音の無い演奏会Concerto Silentio と呼んでおく事に致しましょう。美しい風景を見ている時、一人で散歩をしている時、静かに素晴らしい詩集を読んでいる時、演奏会のない会場に一人で座っている時、音楽会の夢を見ている時、遠い昔の思い出に我を忘れている時などにも、「音の無い音楽」を感じる時は有りませんか? もちろん楽譜を読んでいる時も音の無い音楽を聴いていることになりますね。
美しい言葉で綴られた詩集やオペラの台本を読んでいると、自然とメロディーが浮かんで来ることがありますね。実際に口ずさまなくても内なる音楽を感じることが出来ます。それは、詩歌に音楽をつける
作曲の最初の過程を体験している事になります。この過程を「音の無い音楽」 Musica Silentia と呼んで置きたいのです。今現在、私の研究室では珍しく音楽が鳴っていません。365日音楽が聞えない日がないこの研究室ですが、この原稿を書くために一切の音楽を止めているのです。音楽は流れてはいませんが、私の心の中では毎日聴いて来たモーツァルトの協奏曲やオペラの名場面のアリアと音楽が部分的ですが再現されています。それ故に私は作業をしながら、音の無い音楽を聴いていることになります。また、未完成のオペラを制作する過程では、インスピレーションが浮かんで来ない時は、日夜どの様な音楽を付けようかと試行錯誤をしています。その時も実際に音に出さないで、音の無い音楽を断片的に作曲しているのです。その内の幾つかの音楽は実際に演奏される音楽として記録される時、初めて作曲の一部の成果が音に聞えて来るのであります。一行の詩に音楽を付ける、オペラ制作の基本単位の作曲の過程は将にこの過程の繰り返しなのであります。同じ一行の詩に対しても、作曲家によって全く異なる音楽が付いて来ます。同じ一人の作曲家の場合でも、作曲を済ませてからでも、あの一行はこうしたら良かったとか思うものです。実際の音となって演奏されるまでの作曲過程はインスピレーションが降りて来ない限り、音にならない長い過程を経なければならないのです。
では、音の無い音楽とは作曲の過程にのみあるものでしょうか? そうは言っていません。音の無い音楽をテーマにしたのは、作曲の過程を説明するためだけではありません。音楽作品として、「
音の無い音楽作品」は有り得るのかという疑問に答えたいためであります。ここに未完成のオペラの台本があります。音楽について作曲者の意図が短く記載されることもあります。テンポの指示もイタリア語の音楽用語で必ず設定されています。音楽の内容を言葉で追加説明している時もあります。こうして台本は出来あがったけれども、未だ音楽がついていない台本は、音の無い音楽作品と言えないででしょうか? オペラの様に長くなくても、短い詩集に音楽をつける場合でも同じ様な事が起こり得ます。作曲しようとして作曲出来なかった場合もあれば、始めから作曲をしない目的の台本もあって良いと思うのです。また、台本でなくても音楽性のある詩集そのものが、音の無い音楽作品であると言えるのではないでしょうか? 音楽性の全く無い一部の現代詩を除いて、殆ど全ての詩歌には音楽性があり、音楽をつける事が出来ます。詩歌そのものが音の無い音楽作品であると言っても過言ではありません。元来、詩は歌うために作られるものなのです。歌えない詩は詩とは言えないのです。今日一日、全く音楽を聴きませんでしたが、この様な日はもう二度とありません。明日からまたモーツァルトの全作品を新しい順番に聴く毎日に戻ります。音の無い音楽作品を何時か書いて見たいとの思いから、特別にこの日を迎えました。10月10日は東京オリンピックの記念日でもあります。11月3日と共に毎年殆ど雨の降らない特別な日でありますね。

即興の極みの曲は何故に、斯くも険しく成り難きかな!

The art of virtuoso is so difficult to be composed and performed in improvisation !

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10 Oct 2002

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"New Standard Music Dictionary " 1991 Ongaku no tomo sha

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