五音音階による日本語オペラ構想

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Ky-088

Japanese Language Opera by Pentatonica

村山先生、早くも六月となりましたが盛夏の如き暑い日が続いています。本日は30年来温めてきたライフワークであるオペラ「わが二都物語」の制作開始と共に、その制作理念と構想についてご報告申し上げたいと存じます。18才から友人の影響で本格的に聴き始めたクラッシク音楽ですが、日本語オペラのあの言葉と音楽の著しい乖離に不快感を覚えつつ、如何して日本語のオペラは不自然なのかを考え続けて来ました。日本語の構造と音階の適応性の問題であると気付くのに20年位を経過していました。また、日本語は殆ど全ての言葉が母音で終わるという、歌うのに素晴らしい音楽的特性を持っていることにも気付きました。この点ではイタリア語に優るとも劣らないものを本来持ち合わせているのであります。その後は「黒鍵五音音階」をピアノ鍵盤上に発見して作曲を開始するのにまた20年を経過しました。そして21世紀を超えて2002年になり、やっとライフワークの制作の開始に辿りつきました。眠っていた私の感性は村山先生との邂逅により呼び覚まされるという幸運にも恵まれました。40年間の歩みの遅いこのテーマに関する研究成果のあらましを簡潔に申し上げてみたいと存じます。敢えて重要度の順番は任意と致します。
(1) 
通奏低音の復活  バロック時代に通常に行われていた演奏習慣である通奏低音を復活致します。クラシック音楽に本来の即興性を呼び戻す歴史的実験の一環を占めます。モーツァルトのCosi Fan Tutteでも通奏低音が極めて有効に活用されていますね。
(2) 
可変テンポの採用  オペラに限らず音楽の最も基本的な要素であるテンポを指揮者や演奏者が再現に当たって自らの解釈で自由に変えて良いという指示を作曲者自身が明記致します。それらはTempo ad.libitumとかTempo SporadicoとかTempo Rubatoとかの音楽用語で指示します。決してメトロノームによる数値表現は致しません。もちろん従来通りのテンポの指示も残していますが、音楽の存在を決定づけるテンポを演奏者が創造的に再現する自由を保証することによって、再現が模倣では無く創造に一歩近づくという局面を切り開くもので有りたいと考えるからであります。それほどテンポが音楽の生命線を握っていると言えますね。
(3) 
三人オペラ  登場人物を最小限の三人までに押さえてオペラ誕生の原点に返ります。近代の絢爛豪華な多数の出演者によるオペラは制作費が掛り過ぎて、国家の庇護なしには上演出来ない程になっています。小さい劇場や小学校の講堂でも上演可能なシンプルで基本的なオペラを目指しています。
(4) 
五音音階の採用  日本語には五音音階が最も合致するために伝統的日本五音音階と黒鍵五音音階を含む、あらゆる五音音階を採用致します。但し、従来の七音音階を一方的に排除するものではありません。必要な時は七音音階も自由に採用致します。 
(5) 
アイ子方の登用  能狂言ではアイ方という役がありますが、オペラで言えばSprecherやPierrotに相当する役柄であります。その役を男女を問わず子役にして貰いたいと考えています。物語の進行役を子役がするという演劇上の例は過去にもありました。
(6) 
風姿花伝の書に習う  世阿弥の「風姿花伝の書」は観阿弥の言を世阿弥が記録したものとも言われていますが、今から602年前の1400年に既に舞台芸術の粋を言葉少なく語り尽くしています。フィレンチェのカメラータ達がオペラの実験を始める1600年よりも200年も前の事であります。この世界初の舞台芸術論では、極めて細やかな日本的テンポの変化の妙を示唆しています。世界の舞台芸術に係わる者の必携の書であると考えます。
(7) 
無拍の音楽を重視  日本の音楽の特徴は中国から輸入した音楽であっても、テンポを遅くしたり、有拍のリズムを無拍に間延びさせたりして日本独自の音楽性を形成して来た長い歴史があります。摺り足を基本とする日本舞踊の無拍の音楽は日本にしか無いもので、この特性を有効に採り入れたいと考えます。
(8) 
中世日本の芸能  平安時代末期から鎌倉時代と室町時代へと続く日本の中世は芸能の宝庫となっています。日本文化の萌芽期でもあり現代に復活すべき音楽と踊りが躍動していた時代であります。それらの中から幾つかを日本語オペラの舞台に上げたいと念願しています。
(9) 
ベルカント奏法  イタリア語オペラの華は、何と言ってもベルカント奏法によるアリアの熱唱であります。我々の日本語オペラの実験作品においても一部に思い切って採用して意表を突く趣向も面白いと考えています。それは勿論、従来の七音音階に拠ることになりますね。
(11) 
アリアと合唱などを5分以内に  オペラにおいてはアリア、重唱、合唱とその声楽的形態を変えながら入れ替わり立ち代り続いて行くのが常でありますが、一曲を出来るだけ5分以内に抑えたいと考えます。ワーグナーの楽劇の例に見られる様に、延々と切れ目無く演奏されるのは、聴く方はその緊張度を長時間維持することは困難でありますから、モーツァルトが完成させた古典派オペラの形式を新しい日本語オペラにおいてもその基本としたいと考えて参りました。例外はあって良いものの、平均5分までが集中的演奏の限界かと思うからであります。
(12) 
ニ幕ものを重視  モーツァルトのオペラでも2幕から4幕まで様々ですが、最終の四作品である、「ドン・ジョヴァンニ」、「コシファン」、「魔笛」、「ティートの慈愛」は何れもニ幕もので結果的には成功を収めています。幕が少ないのはオペラ興行上の理由からも多いに節約出来るのであります。現在、日韓両国で開催されているW盃のサッカーも前半45分と交替の休憩を挟んで後半45分であり、オペラで言えばニ幕物と言う事が出来ます。サッカーには台本は無いものの、ニ幕で毎回最高のドラマを演じていますね。オペラの原点に返るためには出来るだけシンプルなオペラに徹する歴史的必然性がここにあります。
(13) 
作詞と作曲を同時進行  オペラ制作は台本が出来上がってから作曲を始めるの通常でありますから、台本が先にあり作曲がその後を追う形に成り易いのでありますが、音楽が先に作曲されて歌詞が後に付けられる過程も有り得ます。作曲と作詞がどちらからでも自由に始められる事が必要でありますし、制作過程としては実際的であります。美しいメロディーが先に出来た時に、どんな歌詞を付けるかは心ときめかす詩心が湧いて来ますね。また、台本を繰り返し読み込んで、全体の音楽構成を練るのも基本的な作曲法でありますが、作曲と作詞の同時進行を制作の基本と致します。
(14) 
Recitativo と Dialogo  最後の難問は所謂レチタティーヴォの取り扱いであります。言葉と音楽の乖離を最も強く感じるのはこのレチタティーヴォにおいてでありますから、日本語オペラの場合は徹底的な研究が必要であります。現在の段階での私の仮の結論は、Recitativo Accompaniatoからアリアへ繋ぐのは残して、Recitativo Seccoは採用せず替わりに会話体のDialogoを採用するというものです。アイ子方の登場を意識しての改革でもあります。不自然なレチタティーヴォで物語を展開するよりも、会話体のDialogoですんなり語らせた方が日本語の場合はより自然ではないかと云う結論に到達致しました。モーツァルトが「魔笛」で採用したドイツ語圏伝統のSingspielで成功したことが、後世に大きい影響と新しい伝統を開きました。
(15) 
室内楽的編成  草創期のオペラの様に、オーケストラの規模は室内楽程度の編成に留めます。登場人物を三人程度に控えているのに伴奏の規模を大きくするのは均衡を欠きます。通奏低音及び通奏高音も専用の楽器と専任奏者を指定致します。演奏も必ずしもオーケストラ・ボックス内に限る必要もありません。初期のオペラで実験されていた様に舞台上で歌手と共演するスタイルにも注目しています。また、楽器演奏者と指揮者が歌ってはいけないという法則も有りません。

以上の様な長年の学習研究と試行錯誤によって、本年よりライフワークのオペラ作品の制作実験を始める事が出来ました。今日までに40年の歳月を要した事に恥じ入ると共に、亀さんの様に歩みは遅くても諦めずにゴールを目指せば、足の速い兎さんに勝つ機会もあると信じる者であります。「
歴史は繰り返す」と申します。どんな芸術も行き詰れば、「原点に返る」しか方法はありません。既に1952年以降は世界でこれという歴史的なオペラ作品が登場していないのは、オペラが1600年に誕生して以来、約四百年の歴史を終えたと見るべきであります。新しいオペラを再興するには、もう一度1600年当時の原点に返らざるを得ないのであります。フィレンチェとかウィーンだけでなく、世界の何処の国と町から新しいオペラが生まれても不思議では有りません。京都からも新しい日本語オペラが21世紀中に生まれるものと期待する者であります。何時の世でも時代は流れて行きます。音楽の長い歴史においては、現代的な評価は川の流れに浮いている木の葉の様なもので、歴史に記録されるべき作品や演奏は稀であります。歴史的な評価が定着するには少なくとも100年を要するのです。百年は古典の仲間入りする為の最小の時間ですから、作品が生まれてから100年を経ない限り、如何に現代的名声を謳歌している作曲家であっても歴史的評価を得る事は出来ないのであります。混迷している時代においては、「原点に返る」ことはその歴史を遡る事によってのみ、未来への展望も開ける事を意味するものと思うのです。モーツァルトの音楽に静かに耳を傾ける時は、何時もこの様な思いに駆られます。タイムマシーンに乗って211年前のウィーンへ行けたらと夢に見るのです。モーツァルト先生はきっと、「君達は私が完成させた音楽の形式を壊してしまった。形のない美などは何処にも存在しない」と言われると想像致しますね。

人知れず種撒くひとも集まりて、京の都にオペラ華咲く!

New Opera will be borne in Kyoto where if artists come from worldwide !

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8 JUN 2002

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"New Standard Music Dictionary " 1991 Ongaku no tomo sha

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「風姿花伝の書」 世阿弥 (著述期間 1400−1433)

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