テンポ・スポラディコ

music forum

Ky-087

Tempo Sporadico

村山先生、今日は!5月になって雨ばかりでしたが今日は久し振りに五月晴れが戻って参りました。その後のご活躍の経過は如何でしょうか?こちらでも30年来の念願のライフワークである「わが二都物語」の制作がやっと始まりました。亀さんの様に遅いスロースターターですが、止まらずにゴールを目指しています。本日のテーマは、音楽における最も重要で不可欠な要素であるテンポに関する考察の最新の研究成果についてご報告致します。今日はまた私の59歳の誕生日でもあります。
音楽においてテンポほど重要な要素はありません。通常にはメロディー、リズム、ハーモニーを音楽の三大要素と申します。しかし、これらの三大要素もテンポという時間の流れに乗ってこそ初めて音楽となるのであります。また、テンポにさえ乗れば、三大要素の一部を欠いても音楽は成立するのであります。その例は打楽器だけの音楽に見られます。打楽器だけによる音楽は将にリズムとテンポだけで成り立っている音楽であります。どんなに美しいメロディーであっても、テンポに乗らなければ聴く者の心を打ちません。ハーモニーもまた然りであります。
テンポは音楽を支えている最も重要な要素であることが解ります。モーツァルトの作曲した1000曲近くの音楽作品は殆ど全て記録に残されて、今日も尚毎日、世界中の何処かで演奏され続けています。モーツァルトの音楽はその形式美にあり、その独特の美しいパターンをあらゆるテンポに載せて再現することを求めています。モーツァルトは特にオペラにおいて、テンポに関して事細かい指示をしています。それらは音楽用語のイタリア語にて表記されています。メトロノームの様な物理的な速度表示ではなく、言わば言葉による文学的な表示の方が、奥が深くより自然に近い表現が可能であります。こうして最晩年の四大オペラでは、そのテンポの変化による微妙な心理的表現を可能にしています。「フィガロの結婚」では、40種類以上のテンポの指示が記載されています。
一方、ピアノの詩人と言われたショパンは、モーツァルトを生涯に渡って敬愛していましたので、ワルシャワのショパン音楽院ではモーツァルトのピアノ協奏曲の全作品が今もピアノ科の必須課目になっています。ショパンは「
テンポ・ルバート」を駆使した作曲家でありましたが、テンポ・ルバートとは、同一楽章の中でも自由にテンポが変化して行くことを意味します。固定されたテンポに関する概念を打ち破ったことで、ショパンの功績は大きいものがあります。しかし、ショパンの場合でも再現可能なテンポ・ルバートでありました。本日のテーマである、「テンポ・スポラディコ」とは再現する際にも毎回異なるテンポを表しています。Sporadicoとはギリシャ語由来の言葉で、「散発的」とか「時々起こる」とか言う意味でありますが、物理学でも時間の関数で表現出来ない、自然発生的で同じ再現が有り得ない現象を指して使われています。自然現象の究極のテンポとは、このスポラディックなテンポであります。風の速度も、水の流れも全て究極の自然のテンポで動いています。その一瞬を過ぎれば同じテンポの再現はありえません。それ故に、風の音や水の流れを四六時中見聞きしても決して飽きることはないのです。私達の耳は、固定化されたパターンには直ぐに慣れて、続けて聞くと不快を覚える様に出来ています。音楽においてもワン・パターンほど飽きられやすいものはありません。歌謡曲などの名曲も数回までが限度でそれ以上続けて聞くことには耐えられません。しかし、モーツァルトの音楽は1000回でも続けて聴くことが可能であり、例え1000回聴き続けたとしてもまだ聴き尽くせぬものがあります。それはテンポが絶えず微妙に変化しているからであります。モーツァルトの音楽が将に自然の芸術の域に到達していることを証明しているのです。アルノンクール先生は、「芸術は自然の一部を目指している」と端的に指摘されました。この意味では、風の音も水の流れもそれ自体が究極の音楽であることを意味しています。風の音も水の流れも音楽的には極めてシンプルな構造でありながら、聞き飽きないのは将にテンポが無限に微妙に変化し続けているからであります。しかし、その自然のテンポは人為的に再現することが出来ないので、音楽において人為的に模倣するとすればどう表現するかという実験が、このテンポ・スポラディコであります。Tempo Sporadicoは再現する演奏家が自由にテンポを変えることが許される指示と解釈しても大きい間違いではありません。100人が100人異なる再現をするでしょうし、同一演奏家においても、毎回異なる再現をすることになります。Tempo ad.libitumも演奏者が自由にテンポを変えて良いという指示ですが、それは曲全体または小節単位の速度に関する指示であります。Tempo Sporadicoは曲全体や小節のみならず、一音符毎にもテンポが限りなく変化して、再現される事の有り得ない自然の究極のテンポを目指すものであります。言い返れば、楽器を人が弾くのではなく、風や水が奏でる自然の究極のテンポを目指しています。テンポ・スポラディコも通奏低音の復活と共に、クラシック音楽を即興演奏の出来る原点に立ち返らせる歴史的実験の一環を占めています。以上の様な基本的考察から、この理論による音楽作品の作曲を実験し続けて参りたいと思います。現代で即興演奏が生き残っている唯一の音楽領域はジャズだけですが、ビル・エヴァンスが述べている様にジャズでは今も作曲と演奏が同時に行われているのです。クラシック音楽ももう一度即興演奏出来る原点に返る必要があると痛感して来ました。音楽史上に高く聳える天才達、バッハ、ヘンデルに始まり、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、リストもみんな即興演奏の大家であった事実を忘れてはなりません。彼等は現代のジャズの様に作曲と演奏を同時に行うことが出来て、しかもその場で一定の音楽形式をも形成する事が出来たのであります。これらの歴史的事実に即して体得した研究成果はオペラ作品にも応用して、カメラータ達の1600年当時に立ち返って、簡素で直截的な表現に徹してクラシック音楽の原点である即興演奏出来る部分を拡大した作品を目指していますので、どうかご理解を頂きたいと存じます。

知らぬ間に齢を重ね時至る、振りかえ見れば恥も多かり!

Remembering my young age with shame and now the time of old man with proud ?

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26 May 2002

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