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Composing Recitativo for Opera |
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村山先生、今晩は!こちらでもやっと桜が開花致しました。近くの堤防には1キロに渡って両岸に桜並木があり桜の名所になっています。これほど早く桜が開花するのはやはり地球温暖化による異常気象と存じます。今日はいよいよレチタティーヴォの作曲について考察して見たいと思います。レチタティーヴォ(以下RCTと略します)はアリアに導入するアコンパニアートとそうでないセッコに分かれて来ましたが、アリアが独立していない時代のオペラでは、全編がRCTで綴られていたとも言えるのあります。1600年頃のカメラータ達からモンテヴェルディまでの時代では、際立ったアリアがまだ独立していないので、モノディ形式という歌い方で、主として歌詞を尊重するために音楽は未だ従の地位に置かれていました。モンテヴェルディの傑作オペラである「ウリッセの帰還」と「ポッペアの戴冠」を聴けばそのことがよく理解出来ます。現代の感覚で言えば、RCTだけで歌っていると言っても過言ではありません。歌い上げる様な旋律はなく、朗誦風の歌が延々と続きます。これでは作曲は簡単であると言えば簡単でありますね。演奏する楽器も室内楽程度の規模で、何処でも移動して上演出来る身軽さがあります。しかしモーツァルト以後のオペラでは、音楽が歌詞に対して優位に立ったので、作曲はアリアに重点が置かれました。従ってRCTに対する作曲は其れほど重視されなくなったかも知れませんが、今日では却ってRCTに作曲する方が、アリアに作曲するより難しいと感じるのであります。それはアリアに導入するためにも、アリアとアリアの間を繋ぐとしても、アリアの表現効果を壊さない様にしなければなりませんので、野球で言うところの「繋ぎの投手」の様な役割を期待されているからであります。野球に詳しい方はよくご存知ですが、試合に勝つためには先発投手と抑えの投手が出てくる間の6〜8回を何人かで投げる繋ぎの投手次第であると云うことが出来るのであります。地味ではありますが、きらりと光るものが必要ですね。オペラを試合と仮定すると、RCTは地味な存在ながら極めて重要な役割があると思うのです。それは演劇においても主役より脇役の方が難しいということと一緒であります。私もライフワークのオペラ「わがニ都物語」のための作曲を試みる時、RCTに関しては未だ全く手づかずの状態であります。アリアだけを先に作曲してあとからその間を繋いで行けば良いという程簡単な事ではありません。ピアノを前にして構想の試行錯誤をしている時でも、指がはたと止まったままである事に気づきます。アリアへ導入するRCTはアリアとの一体感と関連付けが必要なのでアリアが先に作曲されていれば、ある程度の組み立ては可能ですが、アリアとアリアを繋ぐRCTの作曲には困ってしまいます。下手に繋ぐと折角のアリアが際立たなくなってしまいます。将に繋ぎ投手の難しさであります。 そこでモーツァルトの「魔笛」の場合は、ジングシュピールとして対話をそのまま取り入れているので、その点は自然であり難点はありませんね。そこで私も対話を短く取り入れても良いのではと考える事が多くあります。イタリア語オペラのあの不自然なRCTを沢山聴いて来たので、よけいにRCTが苦手になってしまいました。RCTはまた、アリアとアリアを繋ぐだけではなく、複数の出演者が同時に言いたい事を重ねて歌うという役割もありますね。モーツァルトの「コシファントゥッテ」ではそれは見事に仕上がっています。重唱に対するRCTの重複表現であります。この時に多元テンポによる非調和的音楽が実験出来るものと期待しています。また、RCTの重複はオペラの上演時間を節約するという効果も期待出来ます。 さてオペラの歴史に立ち返ってRCTの伴奏音楽を見て来ると、通奏低音のための低音と和声を出せる少ない楽器によって演奏されて来た事が解ります。低音部を通奏低音楽器に任せて、メロディを高音部を演奏出来る楽器に任せるのであれば、既に17世紀に広く行われて来た歴史があります。現代でもここにもう一度返る必要があると考える者であります。しかし、今日ではアリアには独立した旋律を持たせる必要があります。オペラの草創期の様に、RCTには通奏低音を伴う即興演奏で伴奏して頂くのも良いと考えています。単純な伴奏の繰り返しで語り物の様に歌い継いで行くのも良いと思います。数字付き低音の如くにして、ある程度自由に伴奏させる事も一つの結論であります。こうしてオペラの原点に返ってRCTの作曲を試みる時に、きっと新しいオペラ形式が再び生まれる可能性があると期待するのであります。私のライフワークである「わがニ都物語」では、アリアと重唱、合唱の他にはRCTか対話形式かを未だ決めかねています。オペラと呼ぶ代りに「歌物語」と命名していた時期もありました。それは、日本の古い物語の多くは「何々物語」と呼ばれているからであります。実際に私の構想では、「わがニ都物語」は歌物語と呼ぶ方が相応しいのであります。新しい日本語オペラを目指してはいますが、日本語の美しさに相応しい五音音階で作曲するのが夢であります。単純性と即興性を重んじるからにはオペラと呼ぶよりは、歌物語と呼ぶ方がロマンがありますね。村山先生もRCTの作曲にはご苦労されておられるのではと推測申し上げますが、先生のお考えを何時かお聞かせ願えると幸いです。RCTに関しては未だ結論が出ておりませんが、制作を進める過程の中で自ずと、歌物語に相応しい繋ぎの伴奏音楽に到達出来るものと信じる者であります。 |
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25 MAR 2002 |
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