「ヒロリーナ組曲101」

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Ky-078

Litto Ohmiya : "Hirollina Suite 101"

村山先生、おはよう御座います。好天の日曜日を如何お過ごしでしょうか。会計年度末を控えて、毎日お忙しい事と存じます。こちらでは職業としての医療には忙しく走り廻っていますが、ライフワークの方は失速状態でなかなか筆が進みません。そこで気分を一新するために、30年来のライフワークであるオペラ「わがニ都物語」の作曲を一部試みて見ようと思い立ちました。古いピアノですが、長女の形見なので修理しながら大事に使っています。アリア二つの伴奏と繋ぎの音楽一曲と三曲のスケッチを試作してCDに記録出来ました。まだデッサンの段階ですが、後日お届致しますのでご感想やご助言頂ければ幸いです。
物語は日本の南北朝時代の京都と奈良(吉野)が舞台です。丁度時代を同じくするイタリアから、かのダンテの子の一人ダンティーノDanttinoが文化使節として京都に来たという想定であります。時の権力を掌握した後醍醐天皇Godaigoに拝謁した時、ヒロリーナHirollinaというやんごとなき姫君に出会います。ダンティーノDanttinoはヒロリーナと京の四季を過ごす内に日本の歌や踊りに魅せられて行きます。しかし、日本の歌には抑揚がなく、朗誦の域を出ないことに疑問を感じて、「どうして歌わないのか?」と尋ねます。また、その舞いもゆったりとして変化のないスローモーションに、「何故踊らないのか?」と素朴な疑問を投げかけます。ダンティーノの台詞を借りて、日本の音楽と舞踊の根本的問題を指摘致します。そしてダンティーノは母国の経験から、「この国を救うのは歌である」とヒロリーナに説いて聞かせます。ダンティーノはヒロリーナのために新しい日本の歌と音楽を作ってあげようと色々実験することになります。しかし、突然に反乱軍が西方より押し寄せてきて、後醍醐天皇は南の古都へと敗走を余儀なくされます。ダンティーノとヒロリーナは、別れの挨拶をする暇もなく、南朝と北朝に離れ離れになってしまいます。ダンティーノが吉野の桜の元で京にいるヒロリーナを想って歌うアリア「この喜びをあなたと」(Hirollina101)と「恋人よ、お休みなさい」(Hirollina103)ですが、まだ歌詞は書かれていません。音楽を先にデッサンしてみましたので良い曲が浮かべば、その曲に歌詞をつけたいと思います。また、ダンティーノが吉野で見る夢の中で色々な非現実的なシーンに出会いますがその一部を繋ぎの音楽としてデッサンしたのが、挿入曲Danttino102です。これらの三曲は何れも通奏低音を意識して作曲されています。Hirollinaニ曲は遅いテンポでもTempo Rubatoで書かれています。自然の息吹きの様に変化するテンポこそは私の究極の音楽テーマでありますから。オペラの原点に返り単純で直截的な表現法を探求して来ましたので、このオペラもその実験作品の一つにしたいと考えています。物語の後半は、南軍と北軍の奇妙な平衡状態が続いて行きますので、二人はもうこの世では会えないかもしれないと覚悟します。後醍醐天皇の崩御も近いある日、ダンティーノは遥か北の京に向って辞世のアリアを歌います。ダンティーノのアリア「この世で最後に出会った人へ」(Danttino303)はヒロリーナへの深い愛と喜び、惜別への悲しさの入り混じる感動的な歌唱が聴く者の心を打つことでしょう。そして天国での再会を願って神に祈ります。この物語でのニ都とは、現世と来世をも意味しているのです。ダンティーノがこのアリアを感動的に歌い終わる時、桜の花が激しく散っています。桜花爛漫の桜の乱舞はその華やかさの中に、今生の別れの悲しみを暗示しているのです。ダンティーノは天国での再会を願って深い祈りを捧げます。やがて吉野の満開の桜の下で召されて行きますが、毎年巡って来る春に桜の満開を見る度に、この物語を思い出す人もいることでしょう。
登場人物は三人(
Opera Trio)で、主役の二人の他には、脇役の後醍醐天皇しか居ません。女官や兵士と合唱隊と舞踊団も出演します。音楽は単純で直截的な表現で貫きます。楽器はオペラ初期の様に室内楽の域を出ない程度に致します。アリアとレチタティーヴォには明確な区別を感じさせる音楽を付けます。合唱は必要最小限にして反復効果と時代表現を求めます。敢えて日本舞踊を挿入しダンティーノの意図に反する舞いを披露します。平家琵琶も登場させて太平記の一部を朗誦させます。京の四季を美しく表現します。また侘しくも美しい吉野の春を演出します。歌手はダンティーノにテノール、ヒロリーナにソプラノ、後醍醐天皇にバスを配します。全編を通じて流れる音楽は五音音階として、単純で美しい旋律を要所で表現します。アリアは一曲を5分以内に押さえます。重唱と合唱も出来るだけ5分以内に収めます。前奏曲と間奏曲は必須と致します。一部に日本的伝統音階を使用します。オペラの規模は最小限の設備と予算で上演出来る設計にして、小学校の講堂でも上演出来る様にします。演奏は必要最小限の楽器と通奏低音に専用の楽器と奏者を設定します。通奏低音の演奏者は半分は即興演奏して頂くことになりますので、公演毎に変化が生じます。通奏低音の即興演奏はオペラの原点からの再出発を保証するひとつの重要な鍵を握ります。以上の様な構想で10年計画でゆっくり制作致します。「環境四部作」と平行して書いて参りますので双方に良い影響を与え合いながら、楽しく制作出来れば嬉しく存じます。30年来の構想を温めて来ましたが、そろそろ書き始めないと余生が残り少なくなっていることに気づかされました。村山先生のご助言を頂ければ、何とか間に合うのではないかと期待を大きくしているところで御座います。昨夜、長男が岡山から帰ってきて二階にある私の研究室に来て、このデッサンを聞いて、「お父さんのパターンやな」とだけ言って降りて行きましたが、不用になったヤマハのXGWorksを上げると喜んでいました。最近はバッハとモーツァルトに凝っているようです。やはり親の子ですかね。
こうして私は約40年間の歩みの遅い音楽研究の過程の後に、学生時代より求め続けて来た音楽にやっと到達出来ました。この意味においては
Hirollina Suite 101はゴールであると共に新たな未知なる音楽世界への旅路の始まりとも成りました。

つたなくも一つの歌を詠み上げし、更なる歌へ旅は始まる!

A song a day now the beginning of long travel for the New Japanese Opera !

English

24 Feb 2002

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Litto Ohmiya : "Hirollina Suite 101" (2002) D flat major pentatonica

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