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The Recovery of Basso Continuo |
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村山先生、今日は!久し振りの日曜日を如何お過ごしでしょうか? 今日のテーマは「通奏低音」についての考察をご報告致します。この度の「嘆きのアリア」を拝聴してとても感動致しましたので、その主たる要因は何かと思い巡らしていましたら、以前に聴いたモンテヴェルディの「ウリッセの帰還」と「ポッペアの戴冠」で多用されている通奏低音に思い至りました。言うまでも無く、モンテヴェルディはオペラ誕生以来最初の100年間の完成者であり、グルックの中継ぎを経て私達のモーツァルトへ松明を渡した重要な作曲家であります。フィレンチェのカメラータ達が発明したモノディ形式を今日のレチタティーヴォへと継承する歴史的役割を果たしました。今、静かにモンテヴェルディの最晩年の傑作二曲に聴き入ってみると不思議な程に心の落ち着きと安らぎを感じます。それは何故でしょうか?近代の豪華絢爛たるオペラとは異なり、簡素で直截的な表現により、変化は乏しいものの単純なレチタティーヴォの極致である朗誦の延々たる繰り返しに必要最小限の通奏低音による伴奏がついているからであると気付きました。オペラ誕生の原点に返る必要性を何時も痛感している私の心に染み入るモンテヴェルディの傑作二曲を是非ともお聴き頂きたいと存じます。準備が出来ましたら後日お送り申し上げます。 さて「通奏低音」を音楽辞典で引いてみると、「バロック時代に広く行われていた特殊な演奏習慣を伴う低音のパートを言う。ほぼ1600年から1750年にかけて、合奏のバスのパートは、チェンバロやオルガン、リュートなどの和音を奏しうる楽器と、チェロやガンバ、ファゴットなどの低音楽器で演奏される習わしであったが、どのような和音がそのバスの上部に奏されるかを、作曲家は数字や記号で略記するのが通例であった。和音楽器奏者はその指示に従って即興的に和音を充填しつつ、装飾や上声部の模倣を加えるのである。従って例えばトリオ・ソナタは、三声部の楽譜で書かれ、演奏は四人で行われる。通奏とは、主導声部であるバスが楽章なり樂曲を通じて奏し続けられる当時の様式に由来する表現である。通奏低音はまたその略記法から、数字付低音とも呼ばれ、今日の鍵盤和声に実地法のあとを留めている(例としてバッハ「音楽の捧げもの」からトリオ・ソナタの楽譜例を挙げている)」。 バロック時代のオペラは音楽より歌詞が優位を保つ形式でありましたので、レチタティーヴォの極致とも言うべき朗誦を伴奏する音楽はその朗誦を妨げない程度に控えめに通奏低音と共に演奏されました。グルックによって初めて楽器が拡大されて旋律も歌詞に合わせてより音楽性を高められ、前奏曲と間奏曲が導入されました。こうして私達のモーツァルトの時代へあと一歩の処まで松明がリレーされて来たのです。その松明がモーツァルトに手渡されると、歌詞と音楽の位置はコペルニクス的転回を遂げて、遂に音楽が歌詞より優位に立つ近代オペラが完成されました。このことがモーツァルトのオペラ史上で最大の功績であります。実際の歴史でもモーツァルトはクリストフ・ウィリバルト・フォン・グルック(1714−87)の後を継いでウィーン宮廷室内作曲家のポストに就いている。そしてモーツァルトにより、アリアがレチタティーヴォから際立って浮かび上がり、合唱にも重要な役割が与えられました。こうして今日に至る近代オペラの形式が完成しました。最高峰の分水嶺であるモーツァルト以後は、モーツァルトによって完成された古典形式を壊す過程に入ることになり、ワーグナーとヴェルディを経て現代オペラへと歴史は下って来たのでありますが、20世紀の前期を最後にオペラの歴史的新作は出なくなり、カメラータ達がフィレンチェで1600年に旗揚げして以来約400年でオペラ制作の灯は消えました。人類に残された膨大な歴史的オペラ作品はその殆どがよく保存されて、その再現には最大限の努力が継続されており、21世紀初頭に生きる私達に歴史的メッセージを送り続けています。私達はこの歴史的遺産を十分に鑑賞する機会を与えられ、オペラ誕生の原点にまで立ち返り、新しい日本語のオペラを創造するために試行錯誤する幸運を与えられました。私達に課せられた幾つかの歴史的テーマの一つにはレチタティーヴォの改革があります。通奏低音はそのために必要不可欠なテーマでもありますから。 私が注目している通奏低音の現代的復活で取り上げて残したい要素はその単純性と即興性であります。声楽本来の美しさを強調するためにはアリアの伴奏では音楽はやや控えめにならざるを得ません。モーツァルト時代より更に音楽の重みが声楽を圧迫しているのを少しでも減量して、声楽の美しさを幾らかでも解放したいという願望からであります。何よりも子供達にもっと親しんでもらえるオペラにしたいとも希望しています。子供達は大人よりも音感が鋭く、本物以外には反応しませんので、「嘆きのアリア」は重過ぎることはありません。また、古典的文献主義に陥っている現代の古典音楽の再現においては、本の少しでも即興演奏出来る自由が欲しいとも念願して来ました。原典を改作しようとするのではありません。原譜にバロック時代の様に即興演奏できる部分を残すことを通奏低音の現代的復活を通じて実現したいと希望する様になりました。再現する者も演奏においてオペラ制作の一部分に参加出来るという自由を残したいとも考えます。通奏低音の即興演奏は現代ではジャズの演奏においてその歴史的痕跡を留めていますが、その即興性が失われる時ジャズもまた滅ぶものと思われます。このことは既にビル・エヴァンスが自ら語っていますね。 通奏低音の復活はまた、オペラ全体の簡素化、単純化という改革をも要求しています。私達は日本語による新しいオペラの完成を目指していますが、レチタティーヴォの改革においても、通奏低音の復活が多元テンポによる非調和的音楽と共に何らかの貢献をするものと信じる者であります。 |
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3 Feb 2002 |
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