サリエリ:「タラール」

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Ky-072

A. Salieri : "Tarare"

村山先生、今晩は!二ヶ月以上休んでいましたがやっとオペラの研究と制作を再開出来ました。今回はあのサリエリの「タラール」です。アントニオ・サリエリは1750にヴェローナ近郊で生まれ、1825年にウィーンで死去した。1766年ウィーンへ行き作曲を習った。やがて1774年に恩師のガッスマンを継いで宮廷作曲家となり、その後1790年までウィーンのオペラ総務を努めた。1788年には宮廷楽長となった。1787年パリでグルックの指導の元にニ作目のフランス語オペラである「タラール」を作曲して成功した。このオペラはあのダ・ポンテによってイタリア語に翻訳されている。台本は当時のフランスの奇才ボーマルシェの原作を元にピエール・オーガスタンが書いた。ボーマルシェはモーツァルトの「フィガロの結婚」の原作者としても知られる。ダ・ポンテはボーマルシェの原作を熟知していたと思われる。サリエリはまた少年時代のシューベルト、青年時代のベートーベンの師としても知られている。モーツァルトの才能をねたんで出世の妨害をした事実はあるものの、毒殺をしたという史実はないが、プーシキンの劇詩をR・コルサコフがオペラ化したので架空の定説が流れて、映画「アマデウス」を近年に到り産んだとも言える。皮肉なことにその「アマデウス」のお蔭で、サリエリの「タラール」が逆に顧みられることとなった。モーツァルトを妬んで回顧録を残したことで、モーツァルトによって200年後に持ち上げてもらったという顛末は如何にも面白い。
今回視聴したサリエリ作曲の「タラール」は1988年シュトットガルトの音楽祭で上演されたもので、演出はジョン・ルイ・マルティノティ、指揮はジャン・クロード・マルゴワール、演奏はドイツ・ヘンデル・ゾリステンであります。主な出演は、「生の神」にガブリエーレ・バスマネット、「火の神」にクラウス・キルヒナー、暴君アタールにジャン・フィリップ・ラフォン(B)、軍隊長官タラールにハワード・クリーク(T)、タラールの妻アスタジーにゼアーヴァ・ガル(S)、将官アルタモールにハンヌ・ニーメレ(B)、大司祭アルテネにニコラ・リヴァンク(B)、臣官カルピージにエベルハルト・ロレンツ(T)、付き人スピネットにアンナ・カレブ、アタールの護衛官ユルソンにジャン・フランソワ・ガーデル等など。
物語は天界の「生の神」と「火の神」が人間界の無秩序を見て嘆き、新しい人類を造る相談をする。二人の神は相談の結果、二人の人間を造った。一人は王であるアタール、もう一人はその王に仕える兵士のタラールである。この二人は40年後に対決することになる。ホルムズの暴君となったアタールは民衆に人気の高いタラールに嫉妬して彼の美しい妻アスタジーを捕らえて後宮に閉じ込める。その名もイルザと改名させて自分の王妃としたが、アスタジーは決してアタールの暴力による愛を受け入れることはしない。アタールによって追放された民衆の英雄であるタラールは、口の聞けない奴隷に変装して祭りに紛れ込むことに成功した。臣官カルピージは目ざとくタラールを見抜くと、宮廷内に引き入れることに成功する。暴君アタールは自分になびかないアスタジーへの罰として、事もあろうに捕らえた奴隷をアスタジーの夫として与えよと言う。後宮に送り込まれたタラールはその相手がカルピージの言うのとは異なりアスタジーではないと知る。アスタジーが自らの貞操を守るために付き人スピネットに金品を与えて身代わりにさせたのである。やがて口が聞けることが解ったタラールが何者かと疑われると、カルピージは賭けに出て「この人こそ我等の将軍タラールである」と一同に告げる。一同がタラールの帰還を喜んでいると、暴君アタールはまた嫉妬心を強くする。「今こそタラールに死を!」とわめくアタールにタラールは暴君に跪いて、「あなたの兵士になった時から私の命はあなたのもの」と切々と忠心の情を歌い上げる。そして従容として死を選ぼうとすると、アタールは自分になびかないアスタジーも一緒に殺そうとする。しかし、アスタジーに未練のあるアタールは「タラールは殺せ、アスタジーは助けよ」と命令するが、アスタジーは「死を前に私達は束の間の幸せを得た!」と高らかに謳い上げて、進んで夫であるタラールと共に死ぬ決意を示して針をめぐらした処刑用の樽に入ろうとする時、カルピージに煽動された軍隊が宮廷を制圧すると、逆転してアタールが孤立してしまう。しかし、タラールはあくまで自分は王の臣下であると民衆に訴えるが、アタールが「お前達の王は誰か?」と再度尋ねると、民衆は一斉に「タラール、タラール、タラール!」と連呼する。アタールは自分が作った処刑用椅子でカルピージによって処刑される。辞退を繰り返していたタラールもやっと民衆の王となることを受け入れる。フィナーレの一つ前の幕間でカルピージの歌うアリア「主権の乱用は自らを亡ぼす!」はフランス革命直前の世相を強く反映するものとして興味深い。「生の神」と「火の神」はこの結末に満足してタラールの王位を承認したが、「人間の価値は地位や名誉ではなく、その人の性格によって決まるものである」との箴言を添えるのを忘れなかった。
歌唱力で優ったのは、カルピージ役のエベルハルト・ロレンツが光る。透明性のあるテノールで難しいピエロ役を見事に演じ切った。タラール役のハワード・クリークは歌う時の口の形が前に突き出る癖があるが、朗誦はよく響き渡った。暴君アタール役のジャン・フィリップ・ラフォンはタラールに嫉妬し続ける王をコミカルに演じたが、歌唱ではバスの音域も狭く、アルテネ役のニコラ・リヴァンクの重低音に比して見劣りする。スピネット役のアンナ・カレブの助演は光っていた。オペラ進行役の二人の神たち、「生の神」のガブリエーレ・バスマネットと「火の神」役のクラウス・キルヒナーは幕の開閉を担当して、プロローグ以外では歌わず好感が持てる。合唱もよくハーモニーが取れているし、ヘンデル・ゾリステンの演奏も洗練されている。喜劇的なタッチで演出したジャン・ルイ・マルティノティの意図はよく表現されていた。オペラ全体からフランス革命前夜の雰囲気を感じさせる優れた演出と言える。
サリエリの音楽は美しく華麗であり、宮廷音楽の粋を思わせるが、テンポの変化には乏しい。旋律もまた最初から最後まであまり特徴的な変化がない。音域もやや高音に片寄り、重低音を効果的に生かしていない。アリアとレシタティーヴォの区別がつきにくい。重唱も少なく、それ以上の多重唱も殆どない。前奏曲らしい音楽はないが、フィナーレはタラールを称え、人間の人格を強調する合唱で終わる。モーツァルトのオペラに比べて論じるのは適当ではないが、サリエリ自身が述べている様に、モーツァルトが居なかったら彼がその時代のオペラの第一人者として歴史に残ったであろう。サリエリの本音は理解出来るが、人類はモーツァルトの出現によって古典派音楽の集大成を得て且つ音楽が歌詞より優位を占めるオペラ形式の完成を見る幸運に恵まれたのであります。サリエリはモーツァルトに嫉妬しながらもモーツァルトの音楽を誰よりも良く理解していた事は確かであろうと思われます。

目の前に愛するひとと共に居て、言いたきことも言えぬ幸せ!

Though being with you my love, nothing could I say what I want to tell !

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20 Dec 2001

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Classica Japan 2001 ・ 「歌劇大事典」 音楽之友社 1962

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