モーツァルト:「コシ・ファン・トゥッテ」(3)

music forum

Ky-066

W. A. Mozart : "Cosi fan tutte"

村山先生、今日は1989年にニコラウス・アルノンクールがウィーン・フィルを指揮した「コシ・ファン・トゥッテ」の録画データを入手しましたので、前回の2000年のチューリッヒの公演と比較して鑑賞してみたいと思います。アルノンクール先生の11年前の公演は、舞台監督に何時もペアを組んでいる、ジャンーピエール・ポネル、配役はフィオリディリージにあのエディタ・グルベローヴァ、ドラベルラにドロレス・ジーグラー、デスピーナにテレサ・ストラータス、フェランドにルイス・リマ、グリエルモにフェルッチオ・フルラネット、ドン・アルフォンソにパウロ・モンタルソロ。演出はジャンーピエール・ポネル、ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、通奏低音のハープシコードはジョン・フィッシャー、チェロをルチアーノ・ペッツァーニの皆さん。フェルッチオ・フルラネットは1987年ザルツブルクの「ドン・ジョヴァンニ200周年記念公演」で、カラヤン指揮でレポレルロ役を好演しました。エディタ・グルベローヴァは1983年ミュンヘンでサヴァリッシュ指揮の「魔笛」の「夜の女王」役を華麗に歌い上げました。さて、この1989年の公演記録は残念ながらライブ録画ではなく、映画形式になっていますので、聴衆の反応がないので舞台からの一方通行の演技なので何やら淋しいものがありますが、敢えて2000年のチューリッヒ公演と逐一比較をしてみたいと思います。因みに、1989年ではアルノンクール先生は60歳、2000年では71歳と云うことになります。
どちらも繰り返し鑑賞するために、80分CDに16の場からの抜粋曲集を作りましたが、どちらもほぼ77分45秒で演奏時間は全く同じでした。アルノンクールの指揮が如何に正確で原曲に忠実であるかを物語るデータともなりました。演奏時間は同じでもテンポの取り方には大きな違いがあります。それは1989年版がテンポの緩急の差が少ないのに比して、2000年版ではテンポの緩急の変化が大きく、アルノンクール先生のモーツァルト作品への追跡と研究がこの11年間で更に大きく前進していたことを如実に証明しています。「前奏曲」の場合でも2000年版ではテンポの緩急差は大きく、時間の進行を横軸とし、テンポの緩急差を縦軸とすれば、「同じ時間帯の中で再現される演奏のテンポの変化が大きい」ことを示している。バネに例えて言えば、その跳ねる躍動力が2000年版では、1989年版より遥かに大きいということが出来る。音量においても強弱の差が大きくなり、所謂「ダイナミック・レンジが大きい」と云う事が出来る。その結果、聴衆は「メリハリの効いた躍動感」を感じると共に、登場人物の心理的変化を「テンポの軽妙な変化」によって楽しむことが出来る様になる。それ故にフィオリディリージの歌う、「恋人よ、許して下さい」のアリアも、軽妙に変化するテンポと共にきらめく珠玉の歌声となって、聴衆に奥深い感動を与える結果をもたらした。ここまでモーツァルトの真髄に迫れば、歌手が誰かということはもう問題ではない。1989年版のエディタ・グルベローヴァが好演していないとは言えないのに、2000年版のチェチーリア・バルトリの歌うアリア「恋人よ、許して下さい」の方が聴衆により深い感動を与える結果を引き出した。テンポは時間的速度の変化率で表されるが、単位時間で言えば僅か0.01秒の次元の変化である。モーツァルトは心理状態の変化をきめ細かいテンポの変化で表現したのでありますが、そこまでモーツァルトの原意に迫れる指揮者は現代ではアルノンクールを置いて他にはいません。それ故に、当代一の美しい歌声の持ち主のエディタ・グルベローヴァも、軽妙なテンポの変化に乗れなければ平凡な歌唱に終わってしまうし、声色では劣るがダイナミック・レンジのより大きいチェチーリア・バルトリの方に聴衆の軍杯は上がるのである。これがアルノンクールの魔術なのである。
また、オーケストラもオペラの場合は規模が大きい方がよいとは限りません。1989年版のフル・サイズのウィーン・フィルよりも、少数精鋭の2000年版チューリッヒ歌劇場管弦楽団の方がより機動力があり、軽妙なテンポの変化やピアノとフォルテを細やかに表現出来るのであります。少ない楽器でフル・サイズのオーケストラ並の広がりのある音楽的表現を実現することも、アルノンクールの魔術と言われているのであります。その音楽的表現においてオーケストラの各パートとも、チューリッヒの方が遥かにウィーンを上回った。恰も1989年のアルノンクールと2000年のアルノンクールは似てはいるが、別人と思われる程であった。演奏者が名手なら編成は小さい方が、オペラの音楽的表現がより効果的となると思われます。登場人物も少なくして、楽器の編成もより簡素にする試みが世界中で静かに実験されていると予想されます。その方がテンポによるドラマ的表現を達成し易いからであります。さて、1989年版のドラベルラ役のドロレス・ジーグラーは声色も体型も姉役のエディタ・グルベローヴァに似ているので、舞台上での見分けがつきにくい。2000年版のリリアーナ・ニキテアヌは、姉役のチェチーリア・バルトリと声色も体型も対照的なので、舞台での役割分担が分かりやすい。妹役では、どちらも好演したと思いますが、リリアーナに判定は傾くものと予想致します。フェランド役では、2000年版のロベルト・サッカと1989年版のルイス・リマはほぼ互角の好演であると思いますので、優劣はつけ難いが、ロベルトの方がより伸び伸びと歌ったと言えましょう。もう一人の士官役のグリエルモについては、1989年版のフェルッチオ・フルラネットの方が、2000年版のオリヴァー・ウィドマーよりも一日の長があると感じる。この役は幕が降りるまで、不満と鬱憤のやる方なしの演技が難しく、一人で不機嫌であるのは、「難攻不落」と信じ切っていた許婚のフィオリディリージが、自分よりも男前でないフェランドに傾いたことのショックが大きいとの設定であります。フルラネットもウィドマーもその点は最後まで好演した。脇役であるが難しいデスピーナ役ですが、2000年版のアグネス・バルツァはさすがの大ベテランだけあって見事な変身振りであった。滑稽なピエロの女役は珍しく、ドラマ構成上の異色の存在であります。1989年版のテレサ・ストラータスは好演はしたが、まだ年期不足であるのはバルツァと比較されたら止むを得ない判定であろう。聴衆はアグネス・バルツァの長い歌手生活での華々しい経歴を知っているからであり、脇役が出来るようになり、ピエロ役までこなして、本人はどう思うかは別にして、歌手としての評価は更に上がったと思います。何故なら、「主役より脇役の方が難しい」というのは、古今東西変わらない格言であるからであります。次に六人目の役は、このオペラの進行役のドン・アルフォンソでありますが、2000年版のカルロス・ショーソンも、1989年版のパウロ・モンタルソロも共に見事なベテランの歌唱力と演技力を見せた。全くタイプの異なる二人であるが、それぞれの持ち味を十分に生かし切った。「腹では笑いこけながら、真顔で歌う」演技は難しいが、両ベテランは難なく歌い切って、他の若い出演者を圧倒した。ベテランと若手の組み合わせはオペラ成功の基本条件の一つでもあります。この両ベテランの甲乙はつけ難い。2000年版のチューリッヒ歌劇場合唱団も効果的役割を見事に果たしたが、1989年版のウィーン国立歌劇場合唱団も健闘したがフル・サイズのオーケストラに押されて存在が霞んでしまった。
2000年版の演出のユルゲン・フリムは簡素な舞台を作りながらも、現実的で解り易い。ドン・アルフォンソを大学教授に見立てて、フェランドとグリエルモはその助手と言う形にした。授業中の雑談から、女の貞操にについて議論が昂じて、賭けることになった。同じ教室の空間が直ちに姉妹の住まいに変わる。授業に使う幻灯機を効果的に活用するのも現代的で面白い。第二幕の二組の男女のデートの場所も、床ライトを幻想的にデザインした簡素で効果的な舞台となった。船は背景に配置はするが、実際には乗り込まないで、行進することによって出陣式を表現した。これに対して、1989年版のオペラ演出の第一人者である、ジャンーピエール・ポネルは大掛かりな写実的な舞台を作った。姉妹の家は豪華な邸宅であり、その海に面した広い前庭も舞台となる。実際に船が用意されて、兵士が乗り込む。フィナーレ近くの結婚式の場では、前庭一杯に実際の結婚式風に仕上げた。アルフォンソは遊び人の老人という設定にした。幕が開くと姉妹の大広間で二組の男女の間に堂々と座って葉巻を吸いながらトランプをしている。そして、フィナーレでも勝ち誇ったアルフォンソが一人上機嫌で札束を数えている。他の五人はがっくりしているのが対照的で面白い。ポネルは鬼才と言われたりするが、アルノンクールと組んでいる時は復古的な写実主義を通してバロック的な演出を見せる。アルノンクールとポネルは共にオペラの現代への再現に多くの歴史的な業績を残したことでも知られている。今回の1989年のポネルと2000年のユルゲン・フリムとの優劣もつけ難い。観衆の立場から言えば、ユルゲン・フリムの方が現代的でより解り易いと感じられた。
アルノンクール先生は、「モーツァルトの同じ作品に取り組む度に新しい発見がある」と言われる通り、同じ指揮者の同じ作品でもこれだけ違うのであります。この次にはどんな「コシ・ファン・トゥッテ」が再現されるか楽しみであり、そのことを世界のオペラファンが待望しているのであります。
(16 Jun 2001)

Feb 2000

N. Harnoncourt conducting "Cosi fan tutte"

Zurich Opernhaus

雁文の途絶えし夜は狂ほしく、声無き空に心乱るる!

When bird mail not received at night, my heart was broken seeing the sky !

English

文献 「オペラ全集」 芸術現代社 1980

Next

「歌劇大事典」1962音楽之友社 

index100

CS Classica Japan 2001  Unitel 1989

Back