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Ikuma Dan : "Yiuzuru" |
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村山先生、団伊玖磨のオペラ「夕鶴」の第600回記念公演の記録が去る5月21日の午前0時50分からNHK教育TVで放映されました。その時のDVD録画を資料として繰り返し聴いていますが、拝聴した第一印象を申し上げてみたいと思います。この記念公演は1994年3月2日・9日に東京・新宿文化センターで行われました。CDもこの日の公演ライブ録音がDENONから出版されています。最初に作曲者の団先生のご挨拶があり、「このオペラ夕鶴は1952年、私が27歳の時に完成しましたが、その後も日本と世界を飛び続けて600回になりました。日本語をオペラで表現する方法が何とか実現したので作曲出来ました。日本全国の殆どの主要都市で上演され、海外ではスイスのチューリヒを皮切りに、ドイツのキール、ニューヨーク、北京、上海、天津、香港、マニラ、バンコック等でも上演され、これからも日本と世界を飛び続けるでしょう」と言われた。海外での最初の公演がチューリヒであったこともあのチューリヒ歌劇場ならではの企画とさすがはという感じですね。新しい作品や歴史に埋もれている作品を甦らせる素晴らしい試みを続けている歌劇場だからです。 さて、オペラ「夕鶴」ですが、この作品の素晴らしいところは登場人物が四人しかいないということ、団伊玖磨先生の音楽が日本音階も一部採用した美しい旋律で全編を構成されていること、台本は木下順二先生自身が同名の戯曲「夕鶴」から新しく作り直したということ、また、歌手達も相当回数出演してベテラン揃いであること、日本のオペラ史上で世界にヒットした唯一の作品であること等などであります。それに50年間で650回も上演されるオペラは記録的であり、世界でも稀有の存在と言えるでしょう。まずは、その音楽ですが、短い前奏曲の後に幕があくと子供達の合唱で始まります。その童謡が印象的であり、第ニ幕のフィナーレにも再び子供達が登場するのが効果的な演出方法となっています。こうした構成の工夫が日本語というオペラではまだマイナーな言語である不利な条件を乗り越えて世界に受け入れられるための見えない努力の跡が窺い知れます。このオペラの音楽は第一幕も第二幕もワーグナーの歌劇の様に一回も止まる事がないので、作曲者自身のワーグナーへの傾倒が感じられます。しかし、モーツァルトのオペラに慣れ親しんでいる私から見れば、第一幕では1時間20分も音楽が止まることなく続くことは、ワーグナーの作品を聴く時と同じように、とてもしんどいという印象があります。その点がワグネリアン達の誇りとするところなのでしょうが、私には息が詰まって苦しくなります。やはり、モーツァルトが完成させたオペラ音楽の基本形式である、アリア、重唱、合唱と綴っていく時にふさわしい間があることによって、アリアならアリアがクローズアップされて、聴衆も拍手したりブラボーと叫んだりして劇場全体が一つになるという、演奏者と聴衆のコミニケーションと一体化を可能にする音楽劇の基本的条件が必要と考える。この条件のないオペラは一方通行であると言わざるを得ません。山田耕作以来の、「オペラにおける日本語の音楽的表現法」に関しては、作曲者ご自身が述べておられる様に、「相当な苦心の末にある程度の方法が見つかった」とのことで、山田耕作の時代よりは遥かに進展が見られるが、やはり日本語と音楽の乖離現象は未だに残っている。また、日本語のアクセントが関東式になっているので日本語本来の美しさが幾らか損なわれている。しかし、部分的には日本音階を採用した部分では日本語と音楽は完全に融合しているので、その点では師匠の山田耕作を超えたということが出来る。そして、つうは所謂標準語で歌い、与びょう、運ず、惣どは何処の方言か分からないが方言で歌うことは、つうの世界とその他の登場人物の世界が水と油のように、住む世界が全く別であることを暗示していることに注目すべきである。同じ日本語でも異なる方言を採用するのは卓越した手法である。この点が木下順ニという偉大な劇作家の非凡な貢献であると初めて気づきました。第600回記念公演にも招かれた木下順ニはカーテンコールの時、団先生と全ての出演者からの熱い歓呼にも、ただ客席で立ち上がって観客に頭を下げるに留めて、決して舞台に上がろうとはしなかったことを私は評価する。台本作者は決して舞台に上がってはならないのである。これまで私が視聴したオペラでも、台本作者がカーテンコールで舞台に上がったのを見たことがない。台本とは建物の基礎工事に相当するもので、本来外からは見えないものであるが最も重要な構成要素の一つでもあるからです。団伊玖磨の作曲は、つうが歌うアリアでも通常の七音音階で歌詞の終わりが高い音の場合でも、通常の高音より半音下げることによって、日本音階的な終わり方を表現する工夫をしています。また、間奏曲では日本的な旋律を表現するために、「こぶしをつける」という工夫をしていますが、それほど頻繁ではなく、控えめに装飾音を付加しています。指揮者としての団伊玖磨のテンポの取り方は、力まず慌てずにゆっくりとしたテンポで終始しています。ここと言う時でも淡々とあまり誇張をしません。温厚な何処かの御曹司といった指揮振りであります。その優しい性格が広く世界に受け入れられる要素の第一のものでありましょう。あまりテンポの抑揚がないので、聴いていて何か物足りないと思いますが、全曲を聴き終わると素晴らしい感動を呼びます。切れ目のない演奏と歌唱に感動しても聴衆には反応する機会がないので、最後のフィナーレでは大きい感動となって印象が深くなるのでしょうか。2時間のオペラですから、650回も上演することは将に驚異的な記録であります。以上申し上げた工夫を開拓することによって、恩師の山田耕作を超える日本語による表現法を前進させたと理解出来ました。山田も自分が出来なかったことなので、天国できっと喜んでおられることでしょう。でも、まだ完成はしてないと思います。それを完成するには、古くて新しい五音音階でなければ、日本語に完全には適合しないと考えます。団伊玖磨の作曲で気になるところは他に、アリアとレチタティーヴォの旋律の区分がはっきりしないということです。この点はワグネリアン的作曲法の欠点と言えばそうですが、モーツァルトのオペラに慣れ親しんだ者の耳には、不自然に且つ物足りなさを禁じ得ないのです。しかし、ワーグナーのオペラには、有名なアリアは沢山ありますから、やはりアリアは独立して歌うためにもっとはっきりとした旋律を与える必要があると考えます。特に際立った特徴のあるアリアがないために、このオペラ「夕鶴」の全編を通じて美しい音楽がメリハリなく終始するという結果になっています。もうすこし、オペラの流れに山と谷をつけるべきではないかと感じるのです。もし、日本人には受け入れられても、オペラの歴史の古い欧州ではオペラの基本形式がしっかりと構成されていなければ、耳の肥えた聴衆に応えることはできないであろうと思料します。団伊玖磨自身が述べておられる様に、「日本的であるという珍しさだけではもう通用しない」とも。だから、私は21世紀になってからの団先生の新作オペラを待ち望んでいたのです。もうそれは叶わぬ夢と消えました。皮肉にも日本人作曲家の中で一番オペラ制作の経験が長く、新しいオペラの制作に誰よりも熱意を燃やしていた作曲家の筆を折るとは、村山先生、神も無慈悲な方ですね。そして、日本では遂に私達の世代にいきなりそのバトンを投げ付けることになってしまったのです。私達は団伊玖磨先生の遺志を継いで、浅学非才を顧みず、新しいオペラの制作と実験に全力を傾注しなければなりません。 この日の出演者は、つうに鮫島有美子、与ひょうに小林一男、運ずに久岡昇、惣どに中村邦男と鹿児島市立少年合唱団、団伊玖磨指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。少年合唱団以外には合唱団はいません。主演の鮫島有美子は、つうの歌唱経験が豊富なだけ堂々とした歌唱と演技であった。方言で歌う他の三人の登場者とは違って所謂、標準語で歌い俗世間とは住んでいる世界が異なることを強く印象づけるのに成功した。人間の姿をしている時も、何となく鶴の雰囲気を出す好演を見せてくれた。与ひょう役の小林一男は、無邪気であるが金にも目が眩む愚かで素朴な人間をよく演じた。運ず役の久岡昇は、与ひょうを騙して金を儲けたが、悪かったと思う良心を残している中間の人間をよく表現した。まだ良心の呵責を感じる人間としての最低の条件を持ち合わせている役柄である。その一方で惣ど役の中村邦男は、根っからの悪人をよく演じた。どんなことをしても金儲け出来れば良いと言う、良心の欠片も持ち合わせない悪人の典型である。自分が儲けるためには、他人を騙しても良いと守銭奴に徹底できる人間である。中村のバスはその悪人振りを良く歌ったと言える。その他には、美術に若林茂照、照明の吉井澄雄さんはつうにライトを当てる時に影が目立つのが気に付きました。衣装の渡辺園子さんの和装は無難でつうの衣装は良く出来ていた。最後に飛び立つ時のつうの純白の衣装は素晴らしい。演出は鈴木敬介で、特につうが人間の姿をしている時でも、鶴の雰囲気を漂わせるのに成功した非凡さを感じる。つうは最後にさよならを三回だけ言って飛び立った。残された人間たち、子供と与ひょう、運ず、惣どが赤い夕日に向って飛んで行く一羽の鶴を見送るところで幕が降りる感動的なフィナーレであった。物語はあまりにも有名なので省略致します。民話に取材したオペラは既に沢山ありますが、この「夕鶴」も立派に成功を収めた優れた歴史的作品の一つとして、世界から認められました。オペラ「夕鶴」と共に50年近く歩んで来られて、650回を超えても未だ改良する努力を惜しまれなかった団伊玖磨先生のご冥福を心よりお祈り致します。高校三年生の時、ラジオで団伊玖磨の「交響曲イ調」を聴いて感銘を受けた作曲家、三善晃さんは5月23日付けの朝日新聞に次の様な追悼文を寄せた。「団さんのスタンスは常に広く正統的な座標軸に立ち、それが悠然と、また毅然と保たれていた」と。また、「思えば団さんは、文章でも音楽でも会話でも、常に相手を大事にした。その気配りも、気配りと相手に感じさせない奥行きを持っていた。だから団さんの音楽も解りやすかった。既に国民的な財産と言って良い「ぞうさん」や「夕鶴」などをはじめ、どれも聴く人・歌う人の心に染み、また心をくるんでくれた。その解りやすさは、誇張や無駄や独り善がりを細心に排した結果であって、作曲上の妥協では決してない」とも。 (23 May 2001) |
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