モーツァルト:「コシ・ファン・トゥッテ」

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Ky-059

W. A. Mozart : "Cosi fan tutte"

村山先生、今日は1790年1月26日にウィーンで初演された、モーツァルトの喜歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」をご紹介致します。台本は「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」を書いたモーツァルト専属の台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテ(1749−1838)が当時ウィーンで実際にあった事件を題材に書き上げたと言われています。1789年の大晦日にはモーツァルトの自宅で、父以外では彼自身の唯一の師匠ヨーゼフ・ハイドンとフリーメイスンの盟友プフベルクを招いてリハーサルが行われたし、翌年の1月21日には王立ブルク劇場での舞台稽古にもこのご両名が招待された。同年1月26日夜の初演はモーツァルト自身の指揮で成功を収め、五回上演された。オペラ制作を依頼した皇帝ヨーゼフ二世が同年2月20日に急逝したため中断され、同年6月6日から更に五回上演された。翌年の1791年にはモーツァルトの生前にプラハ、ドレスデン及びライプツィッヒでも成功裏に上演された。この言わば「恋人交換劇」とも言える台本は当時の道徳規範から非難の対象となった。ベートーベンは、「この台本の背徳性は許されない」と厳しい批判を残している。ワーグナーは、「この様な悪い台本にフィガロの結婚の様な優れた音楽を書くことは出来ない」と台本の通俗性を非難した。しかし、アインシュタインは「このオペラは素晴らしいシャボン玉のように、ブッフォとパロディ、純粋な感情と偽りの感情の七色に輝き、しかも純粋な色彩が加わっている。この音楽はフィガロの結婚に優るとも劣りはしない。このオペラの現実性に身を委ねることの出来ない者は、そもそも劇場へ行くのが間違っている」と絶賛の言葉を惜しまなかった。そして、モーツァルト自身が姉のアロイジア・ウェーバーに失恋して、妹のコンスタンツェと結婚したという経験と無関係ではないとも言われている。当時の道徳規範では酷評を得た台本であるが、現代では時代を先取りした台本であるとの評価が定着しており、例え台本の内容が通俗的であっても、その音楽はダ・ポンテの台本に作曲した三作、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」と「コシ・ファン・トゥッテ」と並べて見てもこの作品が他に優るとも劣らない美しい音楽で綴られていることが証明される。ここにモーツァルトがオペラの歴史上で初めて達成した、「歌詞より音楽の地位を高める」オペラ音楽による救いがある。それ故にもしモンテヴェルディの時代であれば、「歌詞が音楽より上位にある」ために、決して日の目を見ない作品となったであろうことは想像に難くない。しかし、音楽が優れていれば台本は通俗であってもよいということにはならない。台本はその上に音楽という家を建てる土台であるから、しっかりとした完璧なものでなければならないと考えます。
では、出演の配役と概評を申し上げます。指揮はあのニコラウス・アルノンクールで、チューリヒ歌劇場管弦楽団および同合唱団、演出はユルゲン・フリム、上演は2000年2月、チューリヒ歌劇場ですが、ニコラウス・アルノンクールはあのジャン・ピエール・ポネルと組んで、モンテヴェルディの「ウリッセの帰還」の完全復古版を同じくこのチューリヒ歌劇場で実現させてから既に21年が経過しています。さすがのアルノンクール先生もお年を取られた様ですが、その指揮振りとテンポの取り方には凄いものがあります。ご本人は声には出さないが、実際に歌詞を歌いながら指揮をされている様で、まるで魔術師の様にモーツァルトの原意通りの音楽的表現を引き出しています。イタリアのフェラーラ出身の姉妹の内、姉のフィオリディリージにチェチーリア・バルトリ、妹のドラベルラにリリアーナ・ニキテアヌ、姉妹の小間使いに何とあのアグネス・バルツァ、フィオルディリージの恋人役の士官グリエルモにオリヴァー・ウィドマー、ドラベルラの恋人役の士官フェランドにロベルト・サッカ、老哲学者ドン・アルフォンソにカルロス・ショーソンの出演で登場人物は僅か6人の喜歌劇ですが、上演時間は3時間15分と大型オペラ並に長く、実際より大きく見える演出が緻密に計算されていました。リリアーナ・ニキテアヌは妹の積極的で気楽な性格を茶目っ気たっぷりに好演して十分な歌唱力も見せました。姉役のチェチーリア・バルトリは姉故におすましで堅い態度を取り続ける立場にあるところも好演し、それでも最後には新しい恋にもなびいて行く過程を真剣且つコミカルに演じることに成功している。第二幕第七場でフィオルディリージが歌う、「恋人よ、許して下さい」はチェチーリア・バルトリの確かな歌唱力を誇示した。結局このアリアが、このオペラのクライマックスとなった。その歌唱力は六人の出演者中で最高であった。このアリアは長く、美しいアリアであるが、旋律はシンプルであるが故に、その歌い方とテンポの取り方が極めて難しいのに、チェチーリア・バルトリは完璧に、繊細に、また力強く歌い切って見せた。私がこれまでに聴いた全てのアリアの内で、音楽的に最も美しく、最も感動したアリアの一つであり、最高の歌唱であった。この煌く歌声は、完全復古主義者のアルノンクールの天才的感性が引き出した結果である。フェランド役のロベルト・サッカも安定した歌唱力を発揮した。その特徴のある魅力的なテノールは聴くものに爽やかな感動を与えたであろう。グリエルモ役のオリヴァー・ウィドマー(Br)はよく歌ったが、ロベルト・サッカには及ばなかった。小間使い役のアグネス・バルツァは大ベテランであるが、このコミカルな道化役を見事に演じたし、若い歌手達に華を持たせる十分な余裕を見せたことなどで好感を覚えた。前回の「ドン・カルロ」から既に15年が経過しているので、尚一段の上達を感じる。老哲学者役のカルロス・ショーソン(B)はこのオペラの進行役でもあるが、大真面目と滑稽を巧みに使い分けて、腹では大笑いしながら真顔で歌う好演を見せた。チューリヒ歌劇場管弦楽団はアルノンクールの巧みな指揮により堂々たる演奏力を発揮して、全編を通じて軽快なテンポを維持した称賛すべき演奏であった。また、チューリヒ歌劇場合唱団も美しい合唱効果で狭い舞台をより大きく感じさせた。この歌劇場は小さいながらも「ぴりっと引き締まった鋭さを感じる」数少ない歌劇場でもある。
物語は他愛もない茶番劇であるが、手は込んでいる。フェランドとグリエルモが「自分たちの恋人は貞節そのものだ」と自慢するとアルフォンソは、「君達は女の本質を知らない」と若い未熟さを笑う。結局二人の若者と老哲学者は、彼等の恋人達が貞節かどうかを賭けることになった。アルフォンソは二人の士官が戦場へ突然出征したと告げて、姉妹を悲しませる。更に小間使いのデスピーナを買収して、茶番劇に協力させることに成功する。トルコ人かルーマニア人か訳の分からぬ外国人に化けた、フェランドとグリエルモが登場して、居合わせたアルフォンソが「このお二人は恋に悩んでいる」と姉妹に紹介する。実際の恋愛関係とは逆に、フェランドがフィオルディリージに迫り、グリエルモがドラベルラを攻める作戦に出たが、始めは二人の姉妹とも頑として受け付けない。姉は二人の男に退出を命じて、アリア「岩のように動かずに」を高らかに歌い上げる。第二幕になると、度重なる二人の男の執拗な求愛に、妹のドラベルラが変装したグリエルモに先に参ってしまう。ドラベルラは「下さるものは頂きますが、私のは差し上げられません」等と言いながら、遂にグリエルモからハートのペンダントを受け取り、グリエルモはフェランドの肖像入りのペンダントを奪うと二人は抱擁して退場する。姉のフィオルディリージは表面上はフェランドに剣を抜いて追い払いながらも、内心では自分にも新たな恋心が生まれていることに気づく。このオペラで一番美しいアリア「恋人よ、許して下さい」を歌って退場する。次の場では、フェランドが「フィオルディリージは貞節堅固であり難攻不落である」と言うとグリエルモは勝ち誇った様に喜ぶが、一方フェランドは、グリエルモに自分が送ったペンダントを見せられて、愕然となり怒り狂う。そこをアルフォンソに、「未だ続きがある」と言われて気を取り直して、再びフィオルディリージへの芝居を続けると、何を思ったか軍服姿のフィオルディリージは戦場の恋人に会いに行くと言って、フェランドとの二重唱「夫の腕の中に」を歌うが、更に執拗なフェランドの求愛に負けてしまう。今度は、「抱きしめていとしい人」を二人で歌い抱擁し合いながら退場。今度はグリエルモが愕然とする。アルフォンソは勝ち誇って、「女とはみんなこうしたもの、Cosi fan tutte」を高らかに歌う。二人の姉妹もそれぞれに変装した相手と結婚すると言う。アルフォンソの思惑通りに、デスピーナが公証人に成りすまして二組の結婚式を執り行おうとすると、太鼓の音と行進曲が聞えて来て兵士達が帰って来たと知らされる。姉妹は慌てて、それぞれに相手の男を隠すと、今度は変装を解いた本物のフェランドとグリエルモが軍服姿で帰って来る。デスピーナがわざと落とした結婚証明書を見つけて二人の士官はそれぞれの本来の相手に剣を突き付けて、「これはどういうことか」と迫るが、アルフォンソとデスピーナは苦しい程に笑いを堪えている。姉妹は男達を隠したことを認めると、今度は二人の士官は先程の変装の服装のまま素顔で現れるので、姉妹もやっと、「だましたわね!」と怒りと安堵の涙でくしゃくしゃになるが、既に後の祭りである。アルフォンソの「これでそれぞれの相手により深い愛情を注ぐことが出来るだろう」という総括と取り成しで、二組の恋人達は元の鞘に目出度く収まるという結末で幕となる。モーツァルトを尊敬して止まないベートーベンとワーグナーが、「低俗な台本である」と非難したこのオペラに、モーツァルトのこの素晴らしい音楽が付いていなかったら、誰にも顧みられることなく歴史上に形跡を留めなかったであろうと考えると、オペラにおいては、やはり「音楽が歌詞より上位にあるべき」であり、将に「オペラは音楽で決まる」と言って過言ではない。
(8 May 2001)

Feb 2000

N. Harnoncourt conducting "Cosi fan tutte"

Zurich Opernhaus

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文献 「オペラ全集」 芸術現代社 1980

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「歌劇大事典」 音楽之友社 1962

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