ヴェルディ:「ドン・カルロ」

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Ky-058

G. Verdi : "Don Carlos"

村山先生、今日はヴェルディが1867年に作曲した「ドン・カルロ」についてご報告致します。データは1986年にカラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニカー、合唱はソフィア国立歌劇場合唱団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ザルツブルグ・コンチェルト合唱団。台本は初演のフランス語版より現代では1884年以降にアントニオ・ギスランツォーニによるイタリア語版による上演が定着しました。配役と概評は、フィリッポ二世にフルッチオ・フルラネット、暴君でもある国王と息子のドン・カルロと妻の架空の不倫を悩む年老いた夫を好演した。王妃エリザベッタにフィアーマ・イッツォ・ダミーコ、気丈夫な王妃を演じ様と苦悩しながら、ドン・カルロへの愛を失っていない女心の機微を好演、弱さと強さを併せ持つ立派な演技であった。王子ドン・カルロにはあのホセ・カレラスで、これ以上の役どころはないという適役であり、父である国王への反発と従順、エリザベッタに対する変わらぬ愛と諦観を歌って見事な演技であった。そのことはカーテンコールの時にホセ・カレラスだけに花束が投げられたことで証明された。王妃付の女官エボーリ姫にあのアグネス・バルツァで、ドン・カルロへの片思いから復讐のために王妃の、ドン・カルロの肖像入りのペンダントの入っている宝石箱を盗んで王に差し出すだけでなく、王の求めるままに肉体関係を持っていた。最後は全てを王妃に懺悔して後悔の涙を流し、「我を狂わせるこの美貌を呪う」と歌い崩れ落ちる。王妃の命令により、修道院へ入ることになる。しかし、この著名なバルツァ故に歌唱力が確かで迫力があり、余りに目立ち過ぎて王妃役のフィアーマの影を薄くしてしまった。この豪華過ぎる配役の贅沢な悩みでもある。ドン・カルロの親友のロドリーゴ役に有名なバリトンのピエロ・カップチルリが歌った。何時もながらの歌唱力は確かなものがあるが、ドン・カルロ役のホセ・カレラスに華を持たせる様に要所では控えめに演技できるベテランである。ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」でジェラール役の熱演を忘れることが出来ない。大問審官長役にマッテイ・ザルミネン、頑固で融通の聞かない宗教裁判所の所長の役をふてぶてしく憎らしく演じたのは好演と言えるだろう。僧の姿をした前王のカルロ五世の役にフランコ・デ・グランディス、第一幕の最初と最後の第五幕に同じセットで、「この世の苦しみは僧院にまで持ち込まれる。真の平安は天上でしか得られない」と二回厳かに歌う好演であった。エリザベッタの小姓テバルトにアントネラ・バンデルリ、フランスからの付き人アンベルク伯爵夫人にカタリナ・シュヒテル(黙役)、国王の親衛隊長レルマ伯爵にホルスト・ニーチェ、国王の報道官にフォルカー・ホーン等が出演したが特に目立たずに無難にこなした。
それにしても、カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニカーとソフィア、ウィーン、ザルツブルグの三大合唱団、豪華な歌手たちの競演は如何であろうか。これほどの豪華なキャストはないほどの布陣をして、今は亡きカラヤンの独壇場のあのやや遅いテンポの帝王然とした指揮振りは懐かしいが、若き日のホセ・カレラスと共に貴重なデータではあります。
村山先生、では私がどれほど感嘆したかと言えば、あまり感動がないのであります。それは一体何故でしょうか? 見終わった後で色々と考えていました。豪華なフランス料理を山盛りにされたテーブルで、一体食欲が湧いて来るでしょうか? それに人間の心理を大袈裟に誇張するヴェルディの作曲にも少々食傷気味に陥りました。わがモーツァルト先生のような、生まれながらにしての天才と偉大な父による最高の教育を四歳から受けた天賦の感性と気品が、ヴェルディにはないからですね。イタリアの山中の田舎の丁稚から始めたヴェルディその人の品性の限界でもありましょう。観衆の興味を引くために、勘所では必要以上に誇張した作曲方法を取らなければ、食べて行けなかったのではないかと冷静に分析致しました。しかし、ヴェルディの対抗馬であるワーグナーには、観衆に媚びる傾向など塵ほどもありません。自らの信ずるところに従って一切の妥協を許さず巨大な独自の音楽世界を構築したワーグナーには、聴くのはしんどいけれども尊敬の念は失いません。これまでヴェルディの作品を聴いた後に残る疲れと不快感の正体を今日初めて見つけることが出来ました。このことを気づかせてくれた、今は亡き偉大な指揮者カラヤン先生に感謝致したいと思います。ヴェルディに関する個人的な感想なので、村山先生のご感想とは異なるかもしれませんが、その点はどうかお許し下さい。それにしても、わがモーツァルト先生のオペラを聴き終わった時のあの爽やかな感動と幸せな喜びは、他の作曲家では決して味わえない至福であります。
物語は第一幕では冒頭に、修道院の回廊で僧の姿の前王カルロ五世が上記の短い歌詞を荘厳に歌い上げます。その後にドン・カルロが登場して、許婚者のエリザベッタが事もあろうに父でもある国王の妃になったと嘆いていると、親友ロドリーゴが現れて、ドン・カルロの秘めた愛を知り、必ず王子の力になると盟友の契りを結ぶ。ロドリーゴはフランドル地方のスペインからの独立を達成するために、ドン・カルロを戴きたいという願望も併せ持っている。二人が重要な話を終えると、国王と王妃が通りかかる。ドン・カルロは、ロドリーゴの助言の通りに、煮えるような心を押し殺して国王の前に跪くと、エリザベッタも一瞬びっくりするが王妃然として感情を押し殺している。第二幕では宮殿の庭で王妃と女官たちが楽しく歌っていると、ロドリーゴが現れて密かに王妃にドン・カルロの手紙を公文書と共に渡して、「ドン・カルロがあなたに会いたくてそこまで来ています」と耳打ちする。ロドリーゴがエボーリ姫をうまくあしらいながら女官達を王女から遠うざけて、ドン・カルロとエリザベッタとの二人だけの密会に成功する。王妃としての体面を守ろうとするエリザベッタは熱き心の内を隠せないドン・カルロを諌めて、「あなたは父親の国王を殺して、私を自分のものにするつもりですか」と突き放すように言い渡す。ドン・カルロが去った後、一人でお祈りしている王妃を帰って来た国王が怪しんで、「誰が王妃をひとりにしたのか」とフランスからの付き人アンベルク伯爵夫人を罷免する。王妃は、「もう嘆きなさるな」を歌って夫人をなぐさめて、フランスに帰るように伝える。王妃は女官たちに支えられて退場、残った国王はロドリーゴを側近の武官に採り立てて、「王妃を見張れ」と命令する。第三幕では、ドン・カルロはエリザベッタの名で書かれた手紙を受け取り、王妃の住まいの庭に来ると、エリザベッタに扮したエボーリ姫が待っていた。それとは知らぬドン・カルロは思いの丈を訴えると、重大な秘密を知ったエボーリ姫は仮面を取り、途中から来たロドリーゴが刀を抜いても怯むことなく、「国王に全てを言う」と息巻いて去る。それはドン・カルロへの片思いからの復讐心によるものでもある。ロドリーゴはドン・カルロの身の上を案じて王妃との手紙を預かる。続いて寺院の前の広場で、宗教裁判所で死刑を言い渡された新教徒たちが処刑場に引かれて来る。そこへ王子ドン・カルロに先導されたフランドルの使者六人が国王の前に跪いて、フランドルでの新教の布教の許可を求める。裁判官達の抵抗に押されて国王も許可を出せない。ドン・カルロ、ロドリーゴ、エリザベッタも群集と共に許しを求めるが、国王は拒否する。ドン・カルロは「フランドルとブラバントを私に下さい」と国王に迫るが断られて遂に刀を抜いてしまう。国王は「誰か王子を取り押さえよ」と命じるとロドリーゴがドン・カルロから刀を奪い王に差し出して、見かけ上の忠誠を芝居すると、国王はロドリーゴに公爵の爵位を与えた。国王が「火刑を始めよ」と命令を出して去ると、火刑の炎が大きくなり、「天の声」が人々を慰めるように響く。第四幕では、国王が夜明けまで眠れないで頭を抱えている。「王妃は私を愛したことがない」と繰り返し歌う。自らが呼んだ大問審官長に、王子の所業を訴えると、血も涙もない大問審官長は、「ドン・カルロとロドリーゴを捉えて処刑せよ」と国王に迫るが、これには従いかねるが、結局は従わざるを得なくなる。「王権も祭壇の前には無力なのか」と嘆いていると、エリザベッタが駆け込んで来て、「私の大切な宝石箱が盗まれた」と訴えるが、王は「あなたの尋ねているのものはここにある」と冷たく答える。蓋を開けて、「ここに王子ドン・カルロの肖像がある」と示すので、王妃は気絶してしまう。国王はロドリーゴやエボーリ姫を呼び、王妃の介抱をさせるが、王妃とドン・カルロとの疑惑を深める。「この世にもう望みはない」と落胆する王妃を見て、エボーリ姫は宝石箱を盗んだこと、国王と肉体関係を持ったこと等、一切の罪状を告白する。「国外に去るか、修道院に行きなさい」と王妃に言い渡されて、「自分の美貌を呪う歌」を歌って崩れる。第二場ではドン・カルロが収容されている牢獄にロドリーゴが現れる。「私はあなたの手紙を持っていたので、フランドルの反乱の責任を問われている」とドン・カルロに打ち明け、「私に代わってフランドルを援助してほしい」と言いかけると、刺客の火縄銃が発砲してロドリーゴに命中する。虫の息のロドリーゴは、「修道院で王妃が待っている。王妃に全てを話して準備しているから、フランドルへ急いでくれ」と言うと息絶える。そこへ国王が重臣達を引き連れて来る。「お前を許すために来た」という国王にドン・カルロは親友を失った悲しみから反抗的な態度しか取れない。その時、ドン・カルロの釈放を要求する群衆が雪崩れ込んで来るが、大問審官長に押さえられて群集は国王の前に屈服してしまう。第五幕は、再び修道院の回廊前でエリザベッタは一人で先王の墓に額ずいて祈る歌、「世の虚しさを知る神」を歌い終わるとドン・カルロがやって来る。二人は現実を認めて、「天国でしか幸せになれない」と重唱する。国王と大問審官長らが押しかけて来て、二人の関係を尚邪推して二人を逮捕してドン・カルロを処刑せよと大問審官長が衛兵を差し向けるが、ドン・カルロは剣を抜いてカルロ五世の墓の方に行くと、突然墓の門が開いてカルロ五世が現れて、再び「この世の苦しみは僧院にまで持ち込まれる。真の平安は天上でしか得られない」と厳かに歌い上げて、一同がひれ伏すところでドン・カルロを中に連れ去って幕が降りる。
(6 May 2001)

わが姫の麗しかりき見返りの姿求めて彷徨い行きぬ!

I'll wander for your back pause my love being prettiest in the world !

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文献 「オペラ全集」 芸術現代社 1980

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「歌劇大事典」 音楽之友社 1962

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