モンテヴェルディ:「ウリッセの帰還」

music forum

Ky-054

C.Monteverdi : "Il Ritorno D'Ulisse in Patria"

村山先生、1641年にヴェネチアで初演されたモンテヴェルディのオペラ「ウリッセの故郷への帰還」を初めて視聴した時の驚きと衝撃は最近味わったことのない新鮮なものでした。モーツァルトの時代より丁度100年前の、オペラ草創期の記念碑的作品である「ウリッセの帰還」は、現代のオペラの常識を破る素晴らしくまた破天荒で強烈な迫力を感じます。それはNikolaus Harnoncourtの制作と指揮、Jean Pierre Ponnelleの演出と衣装という、現代世界の音楽界で最高の二人の1980年共同制作による素晴らしい舞台芸術として完全な復古調に仕上がっているからでもあります。
物語はギリシャ悲劇の「ホメロス」からGiacomo Badoaroが取材したもので、かのトロイ戦争でギリシャが勝利した代償に英雄ユリシーズの命を要求した神々が言い争って彼の助命を認めて、一人待つ妻のペネローペの元に帰すという筋書きになっています。ユリシーズのイタリア名がウリッセであります。登場人物は
神々と人間とが混在する配役が面白いと感じました。擬人化されたギリシャ神話の神々には親しみが持てますね。太陽神ジュピター、学問や知恵の神ミネルヴァ、海の神ネプチューン、時の神テンポ、愛の神アモール(子役)、運命の神フォルトゥーナ等が登場します。人間では、ギリシャの英雄ウリッセ、その妻王妃ペネローペ、二人の息子テレマーコ、忠実な部下の牧童ユーメーテ、召使のメラントとその恋人ユーリマコ、王妃の乳母エリクロア、大食漢イーロ、三人の求婚者アンティンコ、ピサンドロ、アンフィニモ等が登場します。
出演はウリッセにヴェルナー・ホルヴェーク、ペネローペにトゥルデリーゼ・シュミット、テレマーコにフランシスコ・アライサ、ユーメーテにフィリッペ・フッテンロッハー、メラントにジャネット・ペリー、ユーリマコにペーター・ケラー、イーロにアルレイ・レーチェ、エリクロアにマリア・ミネッテオ、アンティンコにシモン・エステ、ピサンドロにペーター・ストラーカ、アンフィニモにパオル・エスウッド、運命の神にレナーテ・レンハルト、ジュピターにヨーゼフ・デーネ、ミネルヴァにヘルルン・ガルドー、ネプチューンにハンス・フランゼン、時の神にヴェルナー・グロッシェル、愛の神にクラウス・ブレットシュナイダー(テルツ少年合唱団)等々です。これらの配役の内、フランシスコ・アライサは「
魔笛」の王子タミーノを好演しました(1983)。ジャネット・ペリーは「こうもり」のアデーレ役でコミカルな演技と歌唱力の片鱗を見せました(1986)。子役には今回もテルツ少年合唱団から抜擢されました。制作と指揮はニコラス・アルノンクール、演出と衣装にジャン・ピエール・ポネル、チューリヒ歌劇場モンテヴェルディ・アンサンブルの皆さん等でした。演奏者が舞台の上で歌手と共に演奏するという演出は素晴らしく「オペラの原点」を見るような新鮮な驚きでした。指揮者のアルノンクール自身が指揮をしながら歌い、また一部の演技に参加するのも面白いと感じました。舞台とオーケストラ・ボックスの区別もなく、客席も舞台に近くて隔たりがない設計は本来のオペラの在り方を示唆しています。音楽劇の生まれ出づる原点を見る思いがしました。現代の様に舞台と客席が離れ過ぎると演奏者と聴く者の離反を招き、歌う者と聴く者との一体化が妨げられていることを認識させられる素晴らしい演出でした。
モンテヴェルディのオペラでは、歌手の歌い方は全編を通じて、モノディ形式で全ての歌手が歌います。歌うというより「
朗誦」します。この歌唱形式は、日本の「声明」とも類似する歌い方であります。1600年頃フィレンチェのカメラータ達によって考案された新しい歌唱形式である、モノディ形式の導入によって、音楽に「歌詞による劇的表現」を初めて可能にしました。現代で言えば、「レチタティーヴォの連続」で歌うに等しい歌唱形式でありますから、単調で退屈とも響きます。また、「通奏低音を伴うモノディ形式」を編み出したのもカメラータ達でした。時代はルネッサンスを過ぎてゴシックの時代を向えつつありました。モンテヴェルディはこの重要な音楽史上の過渡期にあって、次のモーツァルトの古典派音楽に繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。その功績は偉大であり、私達のモーツァルトと言えども「モンテヴェルディなくしてモーツァルトもあり得ない」のであります。そして初めは音楽もアンサンブル程度の簡素な構成で、歌唱の伴奏程度でありましたが、モンテヴェルディは思い切った楽器の拡大に成功を収めました。このことによって、「歌詞に対して従の地位」にあった音楽が、モーツァルトにバトンが渡ると「音楽が歌詞に対して主の地位」に発展する道を開きました。それ故にモンテヴェルディの音楽は歌唱の伴奏としての位置づけにありましたので、声の種類を揃えたり、朗誦に装飾的なコロラトゥーラを不自然と思われる程着色しました。特に個性有る旋律はなく、登場する歌手全員がほとんど同じ調子の朗誦を繰り返すだけでした。歌詞によって物語が進行して行く最初の100年間のオペラ形式がこうして創られて行きました。歴史は創作と実験の繰り返しの上に成り立つものと信じれば、モンテヴェルディは17世紀最大のオペラ作家であります。「ウリッセの帰還」は彼の生まれ故郷のクレモナではなく、後半生を送ったヴェネチアで初演され成功を収めました。翌年の1642年には有名な「ポッペアの戴冠」が作曲されました。
物語は幕が開くと(実際には幕はありません)、名もない老人が座っています。「
私は死すべき運命にある老人である」と繰り返し歌います。この老人はウリッセの時代を回顧する設定と考えられます。この老人に対して、時の神テンポと運命の神フォルトゥーナと愛の神アモールの三神が代わる代わる悪口を浴びせます。老人が死ぬと舞台はウリッセの運命の跡を再現します。まず海の神ネプチューンが(イタリア語ではネットゥーラ)トロイ戦争から帰るギリシャの船を暴風雨を起こして海底に沈めて岩石に変えてしまいます。「船は岩となり、その岩によって怒涛が更に大きくなる」と海神の怒りは収まらない。太陽神ジュピターはそれを見るに見かねて、ネプチューンに「ウリッセだけは命を助けて故郷に帰還させよ」と命じるが、ネプチューンはなかなか素直には応じない。激しい応酬を投げかけてネプチューンは体面を保てたので納得して海底に帰って行くと、舞台はウリッセの故郷のウケタの海岸に一人打ち上げられたウリッセが倒れている。間もなく息子のテレマーコが学問と芸術の女神ミネルヴァの空飛ぶ車に乗って浜に降り立つ。そこで親子の劇的な対面が実現するが、ミネルヴァはウリッセに「老人に変装して宮殿の様子を見に行きなさい」と指示する。老人に変装したウリッセが宮殿に近づくと、かっての忠臣である牧童のユーメーテが、「貧しい人よ、私が保護してあげよう」と丁重に持てなす。やがて貧しい身なりのまま、ユーメーテに案内されて宮殿に入ると、貞節な妻ペネローペが三人の求婚者から熱い求愛を受けていた。三人の王はそれぞれが言葉の限りを尽くして王女を褒め上げて贈り物をする。王女もつい口がすべって、「このウリッセの強弓を使える者にわが身と王国を捧げよう」と不本意ながら求愛を受け入れると宣言する。老人姿のウリッセの目前で行われる不実な裏切りにウリッセの怒りは燃え上がるが、ユーメーテがじっと耐える様に制止する。三人の王達は誰もウリッセの弓に弦を張ることも出来ない。老人姿のウリッセは王女の前に進み出て、「私に機会を与えて下されば終生あなたに忠誠を誓う」と告げると王女は許可した。ウリッセはいとも容易く強弓に弦を張り、その場に居合わせた息子テレマーコに持たせてあった矢を矢継ぎ早に射て、三人の裏切り者を倒した。息子とユーメーテが「あの方こそウリッセご自身である」と告げても王女は信じない。最後に乳母であるエリクロアが「ウリッセ様が入浴中に昔の傷跡を見つけました」と言うと王女はやっと「あの方こそ私が待ち焦がれていた愛するわが夫である」と初めて理解する。王女は寝室に入ってきたウリッセに「私の貞節をお詫びします」と言って二人と王国にやっと平和が回復された。
(25 Apr 2001)

夢に見る君が姿を重ねつつ、時な流れそ夜の明くるまで!

Time shall stop until dawn while my dream be realized with You my Love !

English

文献 「オペラ全集」 芸術現代社 1980

Next

「歌劇大事典」 音楽之友社 1962

index100

CS Classica Japan 2001

Back