「黒船」

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Ky-034

K.Yamada : "Kurofune"

村山さん、21世紀おめでとうございます。遂にご活躍の世紀が到来しましたね。私も及ばずながら、何らかのお手伝いが出来ればと念願しています。21世紀になって第一にご報告するオペラは、山田耕作(作の字は代用)作曲の「黒船」です。1940年(昭和15年)に作曲された日本人初の本格的オペラですが、戦時下にあって数々の困難を乗り越えて制作に当たられた山田耕作先生には驚きと共に脱帽の限りです。山田耕作生誕100周年を記念して、1986年1月8日に東京文化会館において、指揮森正、東京シティーフィルハーモニック管弦楽団(現在の東フィル)、配役はお吉に東敦子、浪人吉田に栗林義信、アメリカ領事に藤原章雄、書記官に伊達英二、お吉の付人のお松に木村珠美、姐さん役に鈴木恵美子、町奉行に小田清、伊佐新次郎に大島幾雄、前景の独唱は山路芳久、合唱は二期会合唱団、演出に栗山昌良、尺八演奏は福田輝久、音楽監修は山田の弟子の団伊玖磨その他で、1986年にNHK教育TVで放映されたもののベータ版録画ですが、最後のフィナーレがテープ不足で録画できませんでした。
物語は1856年(安政三年)の伊豆下田での歴史的な史実に基づいて、米国のパーシー・ノーエルが英語で書いた台本を山田耕作が日本語に翻訳したものに拠っています。幕が開くと、薄暗い中で盆踊り歌が聞えて来ます。櫓の上で山路芳久が盆踊り歌を独唱している。指揮者の森正先生は私が京都大学に入学した頃は京響の常任指揮者をされていました。イギリス人の講師の先生と一緒に京響の定期演奏会を聴きに行ったときにその先生は, "He is great !"などど感想を述べていましたが、その後の東京オリンピックの開幕式で音楽総指揮者を努められました。一見平凡な程に「
基本に忠実な」指揮法によって、今日の京響があると考えています。さて、盆踊り歌が終わると尺八の演奏に代わり、三人の虚無僧が現れます。栗林義信演じる浪人吉田を中心とする三人組で、アメリカ領事の暗殺を企んでいます。「伊勢善」という料亭で宴会を開いている幕府の役人達を襲撃しようと機を伺っていると、幕府からの通達が届き、「外国人を襲った者は極刑に処す」との幕命に怯えて、吉田らは一度は退散する。第一幕の終わりに、領事とお吉は運命的な出会いをします。吉田らは、領事がお吉を気に入っているのを利用してお吉に扇子に仕込んだ短刀を渡して、機を見て領事を殺す様に指示をする。一方幕府側もお吉を領事に与えて交渉を有利にしようと企みます。町奉行に強制されて領事の元へ行くのを拒んだお吉は暫く牢屋に閉じ込められる。領事の書記官は幕府側の非を衝いて運良くお吉を解放することに成功する。第三幕の弁天島の第二場では、殺意を捨てきれないお吉と領事が二人でいるところを吉田らが機を伺っていたが、お吉はどうしても領事を刺すことが出来ずに、とうとう真実を領事に打ち明けてしまいます。領事は怒るどころか、そんな深い悩みを持ちながらも良く私を守ってくれたと日本女性の奥深い心情に感謝する。お吉は短刀を投げ捨てて、領事を吉田らの襲撃から逃がした。第三幕第三場では、領事の駐在所となっている「玉泉寺」で領事とお吉が再会して喜び合っているところへ、町奉行が来て「江戸将軍が領事に領事の望む時間に会う」という知らせを届ける。こうしてお吉の蔭の活躍により、歴史的な日米通商条約が不平等ではあったが一応成立したのであった。
山田の作曲は日本的な音楽を目指しながらも、どこかまだ西欧のリズムとメロディから脱却出来ていないところにいると感じられる。彼の有名な日本歌曲集に「からたちの花」があるが、このオペラ全編を通じての音楽はかの「
からたち調」から抜け出ることはないと思われる。「からたちの花」は西欧音楽の全盛時代にあって、日本の作曲家が日本的な音楽を創作しようとして実験して成功した稀な例であります。そのことは高く歴史的な評価を得ているのですが、この「黒船」というオペラ作品の全ての音楽が「からたち調」では、聴衆としては余りに変化を感じることが出来ないでいると思います。また、アリアも重唱も、合唱もこれもまた全て「からたち調」では聴き続けるのが苦痛になります。主演の東敦子の「蝶々夫人」を聴いた直後だけに、この国際的評価の高い歌手が相当な苦労をして、山田音楽を歌っているのを可愛そうに思えたりもするのです。あの「蝶々夫人のアリア」を歌って世界一の歌手が、「お吉のアリア」では聴衆の疎らな拍手を受ける程度にしか歌えないのは、それは歌手に責任があるのではなく、歌いやすく美しいメロディーのアリアを提供できなかった作曲家の責任であると申し上げたい。日本オペラ界の総力を上げたこの公演で、聴衆にアリアが終わるたびに演技を長く中断させるほどの拍手喝采を余儀なくさせる、心に響く感動するアリアを作り上げることが出来なかった日本人作曲家が非力であると言う他はありません。
山田は初めは英語の台本のために作曲したが、後に日本語に作曲者自身が翻訳した。そのために日本語の歌詞と音楽の著しい乖離が全編に見られるので聴きづらい。歌っている日本語の歌詞も聴いても良く分からない処が多い。日本語の歌詞と音楽の合致は、残念ながら山田大先生といえどもまだ未完の段階に留まったと見るべきであり、その第一の弟子である団伊玖磨の作品「
夕鶴」に至って初めて、「純日本調」の作曲に成功を収めることに繋がっています。その意味では山田耕作は近代日本音楽史上に偉大な足跡を残したとの評価を受けると思います。事実、この放送では団伊玖磨さん自身が解説者として登場して、現代の日本オペラの抱えている全ての問題点が既にこの「黒船」から始まったと言明されておられました。
村山さん、これほどの日本の天才達の努力を以ってしても音楽の歴史は直ぐには進歩出来ないのですね。私が村山さんの音楽に、20世紀の最後の年に見出したことは、これまでの日本の作曲家は日本的音楽を無理に作ろうとして失敗を重ねて来たのに対して、村山さんはむしろ
西欧音楽の歴史そのものの流れの基本に立ち返ることによって新しい時代の音楽を作ろうとしている姿勢があるということなのです。その結果、却って素晴らしい日本的な音楽も生まれるであろうと直感的に期待申し上げる訳であります。「歌いやすく美しい」音楽は其れほど簡単には生まれません。このことは世界の音楽の歴史が何時も我々に証明していることではありませんか。
(1 Jan 2001)

日に夜に祈り捧げん君がため、夢にまで見るこの世の幸せ!

Day and night I could only pray for You my Love, dreaming our Happiness on earth !

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文献 : 「オペラ全集」 芸術現代社 1979

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NHK 教育TV 放送録画 1986

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