「蝶々夫人」を聴く

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Ky-033

G.Puccini : "Madama Butterfly"

1984年2月26日に東京文化会館で上演された、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の録画をNHKが放映したのを録画したベータ版VTRから、最近DVDに再収録した作品を久しぶりに鑑賞しました。藤原歌劇団公演で、井上道義指揮の東フィル、出演者は蝶々夫人に東敦子、女中スズキ役に野村陽子、ピン・カートンはブルーノ・セヴァスチャン、領事に勝部太、ゴロー役に及川貢などの配役でした。井上はオペラは初めての指揮なので十分とは言えないが、オペラそのものの迫力に負けていると感じられた。このオペラは主役の蝶々夫人次第のドラマなので、さすがに東敦子のお箱だけあって、一人気を吐いていました。プリマドンナの独演のオペラの代表ともいうべき作品ですが、1904年2月17日に初演のスカラ座では、成功を収めることが出来ずに、当時の名指揮者のトスカニーニの提案で手直しした作品を、同年5月28日他の劇場で上演してやっと成功を収めたという歴史が残っているらしい。アリア「ある晴れた日に」 Un bel di, vedremo 以外に特にこれと言った音楽性の高い歌はありませんが、東敦子一人の熱演で何とか場が持てたと云えるほどの舞台でしたが、この作品の存在そのものは十分に感じられました。蝶々夫人の女中役の野村陽子は控えめによく脇役に徹していましたし、領事役の勝部太も重みのある脇役を果たしています。ピン・カートン役のイタリヤの歌手はまだ役不足というか、あまり印象のない演技でしたが、東敦子を際立たせる役に廻ったのかもしれません。
さて、プッチーニは一度も日本に来た事がないのに、日本のことを良く調べてはいるが、平均的イタリア人としての日本観の域を出ていないので、我々日本人が観ると違和感が残ります。日本の歌や国歌を米国の国歌とともに、随所にそのまま取り入れているが、やはり明治時代の日本を題材にしたイタリア・オペラと言うだけであって、決して「
日本的なオペラ」ではあり得ません。また、台本は「ボエーム」を書いたルイージ・イルリカとジュゼッペ・ジャコーザの共作ですが、「ボエーム」や「アンドレア・シェニエ」の完成度には遥かに及ばない作品と思われますが、女性歌手一人のために書かれた「プリマドンナ・オペラ」と云われる部類に属する作品と言えるでしょう。明治時代の日本は歴史上初めて世界史に登場した頃であり、欧米の異国情緒が盛んな時代でもあり、彼らの目を通した「日本観」すなわち「フジヤマ、芸者」程度の知識しかない時代の御伽噺でしょうが、ドラマとしては蝶々夫人の悲劇として最後の自刃の場面で終わります。最後の場面に来るまでは、余り感動するところがない作品ですが、蝶々夫人が待ちわびた夫も一人子も失って自害して果てる悲しいフィナーレには観衆はやはり心打たれるものがあり、これはもうイタリア・オペラの得意の悲劇となっています。日本をテーマにした数少ないイタリア・オペラですが、それは題材を日本に求めただけであり、日本の音楽性に基づいて制作された訳ではありません。この違和感は、次に観る山田耕作のオペラ「黒船」を聴くに至って尚更に大きくなり私の求める「日本的音楽」からは遥かに遠いものを感じてしまうのです。また、ピン・カートンとは昆虫採集のピンのことであり、蝶を集めて標本を作るという軽い話のつもりの現地妻としか思っていないのに、蝶々さんの方は親族から迫害されても本気で夫を愛していたという悲劇にしては、三年振りに長崎に立ち寄ったピン・カートンはこそこそと最後に逃げ出してしまうという結末にも、本来は二人の心理的葛藤を劇的に音楽で表現することをお家芸とするイタリア・オペラとしては出来は良くないと思います。今でも上演回数は多い方なので、未だに異国情緒を持つ欧米のオペラファンが多くいるということでしょうね。蝶々夫人のアリア以外には見るべきものがないこの作品を日本人としては其れほど有り難がる必要もないと考えています。また、私達が外国の話を題材に求める時は、この程度のレベルに留まってはいけないという、大きな教訓を与えてくれる作品でもありますね。(28 Dec 2000)
世界の主要歌劇場で
500回以上も「蝶々夫人」を歌った、プリマドンナである東敦子さんは1999年12月25日午前1時7分、東京都多摩市の病院で逝去された(63歳)。敬虔なクリスチャンでもあられたとの事で、慎んでご冥福をお祈り致します。(サンケイニュース1999) 先日、CS放送でカラヤン指揮で、蝶々夫人にミレッラ・フレーニ、ピン・カートンにプラシド・ドミンゴという豪華なオペラ記録を視聴したが、国際的に著名なミレッラ・フレーニではあるが、キャリアと出演回数から言っても東敦子には遠く及ばなかった。ドミンゴもこの公演では良く歌ったとは言えない。やはり、蝶々夫人は日本人歌手の方が遥かに有利である。東敦子は長らく「蝶々夫人」の専門家として、エディタ・グルベローヴァの「夜の女王」と同等の世界的評価を受けて来た。しかし、「魔笛」の夜の女王はニ回アリアを歌うだけであるが、「蝶々夫人」はオペラの大半を一人で歌う真の意味でのプリマドンナでなければならないのであるから、もう東敦子のような、「蝶々夫人」の専門家はもう出ないかも知れないとさえ思われる。(1 Jun 2001)

1999.12.25

Atuko Azuma

Sankei News 1999

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文献 : 「オペラ全集」 芸術現代社 1979

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NHK 教育TV 放送録画 1985

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