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Listening to Chinese Zheng |
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先日、CS放送の「京都チャンネル」を見ていて偶然にも、伍芳さんという中国人女性の演奏する古筝の曲「銀河碧波Yin he
bi bo」を聴きました。筝zheng はもちろん中国に古くから伝わる琴の原型ですが、平安時代のころに日本に伝わったと聞きます。日本の琴は17弦ですが、その時使われていた筝は21弦でした。演奏者の伍芳Wu Fangさんは、上海音楽院を主席で卒業して、京都の立命館大学に留学して卒業して、現在は神戸に住んで日本と世界中で演奏活動を続けている、天才奏者とのことであります。「銀河碧波」という曲は、南画(水墨画)に出てくるような、江南の河の流れを繊細に描写した曲とご本人の説明がありました。運良く、その生中継をDVDに収録することが出来ました。推定28歳の天才奏者は、やはり絶世の美人でもあり、聡明で感性豊かな方とお見受け致しました。その21弦を奏でる手さばきは、眼にも止まらぬ速さで一つの筝からまるでオーケストラの如きスケールの大きい音楽世界が奏でられます。右の指にはテープで留めた爪をつけ、左手はフリーで弦を押さえて微妙な音程を変化させると共に、また演奏も両手で行われます。もちろん、譜面などは見ることなく演奏され、その10分足らずの時間が、中国の幻想的な世界に彷彿として聴く者を引き込んで夢幻の境地に導いてくれます。日本の琴曲とは全く異なり、中国の筝曲はスピードと変化に富んでいます。これは例の「序破急」のテンポによる伝統的なものから来ています。日本的な例えば、宮城道雄の「春の海」なども瀬戸内海ののどかな海を表現していて名曲ですが、総合的には筝曲の方に軍杯を上げざるを得ません。因みに宮城道雄は琴の改良に歴史的な挑戦をした方で、琴数本で全ての音域を網羅してオーケストレイションを実験されました。また、ピアノに近づくために確か66弦もの大琴を製作したことでも知られています。 伍芳さんはまた、ヴァイオリンと共演したり、ジャズと共演したりと多彩な活動を展開して、既に四枚のCDを出していました。早速その内の三枚を買ってきて聴いてみました。でも、他の楽器との共演のものは、余り好きにはなれず、筝曲だけのナンバーを集めてCDに収録して聴いています。筝曲は短い曲ばかりなので、これを何回も聴くというところまでは行きませんが、初めて聴いて新鮮な印象なのに詩心が湧いて来ませんでした。私の感性が今お休み中なのと、余りに自己完結的に纏まっているので、言葉の芸術を寄せ付けないのかも知れません。また、この場合は日本語や英語では表現出来なくて、中国語による詩でしか表現できないのかも知れません。中国語の詩の歴史は世界で最古にして最大で、あらゆる詩形式が完成しているので、日本式の漢詩の訓読みではなく、中国語音で朗誦する本来の中国語による作詞が必要ではないかと感じました。中国語音韻による作詞は現在は私の能力の限界を超えるところにあり、学生時代に中国語を自習してそれに近づこうとしていた時期があります。もう一度挑戦したいところですが、第四コーナーを廻っている現在の私にはその余力はなく、それはなお夢として残しておいて、日本語と英語による作詞を優先させなければなりません。何故なら、私達は21世紀においても日本人であり続けなければならないからです。日本語による作詞こそ私に与えられた最後のライフワークなのです。中国語で作詞する時間はもう私には保証されていません。 機会がございましたら、一度伍芳さんの筝曲の演奏をお聴きになられて下さい。きっと村山さんに未知の新しい音楽世界への招待状を提供するに相違ありません。既に伍芳さんの公式ホームページもありました。因みに中国音楽の妙なる旋律は余りに美しく繊細であるために、和声を考案する必要性が無かったのではないかと学生時代からそう思ってきました。東洋の音楽に和声法が殆ど無いのはそのためではないかと。中国の歌謡も筝曲と同じく、甲高い音域で草原でも遠くまで届く様な発声法と聞いています。音楽もその生まれたところの風土と歴史による産物と言えるのではないかと思います。ここで、では日本的な音楽性とは何か?という永遠のテーマが高いハードルとして何時の時代にも日本人音楽家の前に立ちはだかって来ました。1500年係ってもまだ越えられないハードルですから、今すぐに越えられるとは思いませんが、何時かは日本人として世界に誇れる音楽を創造したいと夢みる人は多いと思います。この点でも、村山さんと同世代の日本人作曲家に期待するところ大であり、より一歩ハードルに近づいて欲しいと念願しています。 (17 Dec 2000) |
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