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Reaching Soon 300 Times! |
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今年の連休は、肝心のパソコンが故障したために京都に帰るのを中止して、丸々二週間を費やしてPCの修理に明け暮れていました。お蔭様でどうにか目的とする状態に復帰しました。その内訳は、DVD−ROM機能を含むCD−RWの取り付け、第二HDDの容量を15GBに増設する、音楽CDを製作する準備をする、win95でOSを入れ替えて必要最小限のアプリケーションをインストールする等でした。これまでのFDに蓄積していたHomePageに関する全データを第二HDDに収録するとともに、PacketCDなる約500MBの記録媒体(CD)にも保存収録致しました。第二ディスクを用意したのは、音楽CDの編集のためには大容量のデータベースが必要になるからです。以上の準備を終えた段階で実験を致しましたが、音楽CDを製作するには、余りにサウンドカードの音質が悪いので、サウンドカードのHiFi化と副入力端子に供給する音楽入力を制御するプリアンプが必要と分かりましたので、次回の工事に期したいと考えています。 もうすぐ村山作品を拝聴し始めて、満一年になろうとしています。いよいよ私の感覚の中に形成された村山作品のインパクトを何らかの形に纏めてご報告する段階に到達しました。この一年は毎日が村山作品と共に過ごすことが出来た、我が晩年の入口に立っての記念すべき一年でした。もしこの幸運な一年がなければ、私の晩年に音楽はなかったことになります。また同時に35年の空白を超えて、音楽に対する真摯な青年時代に帰ることが出来ました。村山作品が私に与えた影響は決定的で総合的なものです。リストを通じてピアノ音楽の究極的な表現を探求していた我が青春が帰ってきました! 「リストを超える」ことは不可能かも知れませんが、ハンガリーとは対極にある日本で、「日本的超絶技巧」を開拓して、世界共通の主要な楽器となったピアノでそれを表現することが出来るかどうかの音楽的実験を再開することが出来たのは、まさに村山作品が私に与えた最大の影響力なのです。 これまでの日本人の現代作品はいくら聞いても私の魂を揺るがすことはありませんでした。ところが村山作品は、バッハから始まる西欧音楽の正当な伝統の上に成り立っています。基本的には伝統的なABA’形式を踏襲しながら、最も簡潔にして華麗さを留めて、「それ以上でも以下でもない」という究極的表現に徹しておられることが私にとって最も重いインパクトになりました。村山さんは「現代のメンデルスゾーンである」という私の仮の結論が出てまいりました。メンデルスゾーンは古典音楽を生まれながらにして体得しながら、古典音楽に最後の華を添えた作曲家でした。 その後にはワーグナーが撒いた、古典音楽の伝統を破壊する現代の音楽に通じる道が開かれました。しかし、現代音楽は古典音楽が連綿として築いてきたリズムとメロディーとハーモニーの三大要素からなる音楽の根幹をなす基本構造を破壊こそすれ再構築することには失敗していると思います。私の予想は21世紀には、再び「新しい古典音楽が必要である」と信じています。そして村山作品は、21世紀の初頭にあってその歴史的な出発点に立っていると感じています。インターネットによる幸運な邂逅を神に感謝申し上ると共に、私より20年もの有利な時間を残しておられるので、百年先に古典と認知される作品を完成されることをお祈り申し上げたいと思いつつ、更に村山作品の拝聴を続けて参りたいと存じます。私が活動出来る晩年はあと20年あるかないかですが、まだ少なくとも40年はご活躍できる村山さんに期待申し上げることで夢を託したいと存じます。村山さん、本当に有り難うございました。(平成12年6月3日) |
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