歌舞楽曲

Ky-010

Sing a song to dance

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3月26日の夕方までに第一幕の第二場から第四場までの素描を何とか書き上げることが出来ました。頂いた貴重なヒントと全体の流れを吟味して、今回の解釈による創作的な台本のスケッチにまとめました。物語の設定そのものがVirtual Concertになっているので、夢か現実か最後まで聴かないと分からない様に展開しています。作曲者御自身としては、そんな意図は目指していないと感じられるところ多々ありと存じますが、250回ぐらい拝聴を続けた時点で、それまで抱いたインスピレーションを物語に設定したものですから、聴く者の主観や経験不足故に、大変恐れ多い誤認や取り違いもあると思いますが、その点はどうかご容認下さる様、お詫びしてお願い申し上げます。
学生時代に書き始めた、
詩劇「わが二都物語」は中断のまま未完成に終わっていますが、その一節を使用した個所もございます。村山さんのお陰で、こちらは35年ぶりに執筆を再開したいと念願しています。ダンテの「神曲」とゲーテの「ファウスト」に刺激されて、舞台を京都と奈良に置き換えて、美しい日本的五音音階で詩劇に仕上げたいと考えてきました。
さて
作品11ですが、この曲を初めて拝聴した時にすぐに、ベルリオーズの「幻想交響曲」を思い出しました。そして第三楽章のCodaは一音高く終わっていて、物語がまだ完結していないことを予言していると感じています。何回も書き直されたために、第二楽章の曲想との間に多少の時間的経過を感じていました。そしてこの第三楽章こそ、村山作品の初期の最も重要な峰を形成していると感じていますので、Opera Lyrica ”Horistic"として物語る時の前半のClimaxになると考えてきました。「送葬行進曲」に移る前の前半のフィナーレに、主人公が生まれ育った最愛の都を離れて北に向かう別離の歌で終えるように書きました。「歌がこの国を救う」という歌詞は私が何処かで本当に使いたいと思い続けてきたものです。廃虚になった都を離れる主人公に最後に語らせたい歌詞です。詩は歌うためにある歌はまた踊るためにある、音楽は本来は歌い踊るために作られるべきであるという歌舞楽曲をオペラの基本と考えて来ました。作品35の第三楽章と第四楽章を拝聴した時にすぐに舞踊する舞台を連想しましたので、第五楽章の壮大なフィナーレの前に歌い踊る歓喜の舞を想定しました。
まだ素描段階で細部を書いていませんが、これからじっくり詰めて参りますので、今しばらくの時間をお与え下さい。この場をお借りして、35年間も眠っていた私の詩心を目覚めさせて下さった村山さんに、神が村山さんの音楽に出会うようにして下さったと信じて衷心より感謝申し上げています。(平成12年3月27日)

ひびあらた古き殻より抜けい出て、胡蝶は舞いぬ未知の空へと!

Transformed from the old shape, a butterfly be freed to new unknown sky !

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