第1回アジアマイノリティームスリムシンポジウムに参加して
ソウル市ソウル教育文化センター
 OIC主催の第1回マイノリティームスリムシンポジウムが、2008年7月4日から6日までの3日間、韓国ソウル市の教育文化センターで開催された。OICスタッフと地元の韓国ムスリム連盟スタッフが運営に当たり、海外からの参加者として、パキスタン以東のムスリムマイノリティーの国々から約50名ほど、また地元から多数の参加者があった。
 シンポジウムのテーマは“The Challenge and Prospect in Multi-Cultural Society”(多文化社会における挑戦と見通し)であり、さらにこれを1、平和と安全(Peace and Security)、2、教育と文化(Education and Culture:)、3、社会経済問題(Socio-economic Issues)、4、複数の信仰と平和共存(Plural Faiths and Peaceful Coexistence)に分けて講演がなされ討論していくという形式で行われた。 それ以外にOICスタッフによる活動状況の報告、各国参加者による各国レポートなども行われた。
 7月3日会議前日次々と海外からの参加者が到着した。私も夕方インチョン空港に到着した。到着ゲートには、会議名を書いたプラカードを持った韓国ムスリム青年が待っていた。サラームをし、説明を受けながら待機しているマイクロバスまで案内された。大学生のようで流暢なアラビア語と英語を話していた。
 マイクロバスは、私の到着でちょうど一杯になり、ソウル市のホテルへ向けて出発した。ホテルには、韓国ムスリム連盟の役員が待ち受けており、顔見知りもいるのか参加者の何人かと親しそうに会話が始まった。私も、チェックインの手続きを行っている間、韓国のスタッフ、参加者たちと会話を楽しんだ。今回の会議はマイノリティーの会議なので、近隣諸国の中ではムスリムがマジョリティーとなるマレーシア、インドネシアなどの参加はない。一緒のバスで到着したタイ南部パタニからの参加者とすぐに友達になり、チェックイン後も一緒に食事に降りてきた。マレー語をしゃべるパタニの人とはどこに行ってもすぐに友達になってしまうのである。(あぶはマレー語がしゃべれます。)
会場のソウル教育文化センター 入り口には横断幕
 会議初日;
 開会式は7月4日午前10時30分予定通りはじまった。開会の辞に続きまずは、韓国の小学生によるクルアーン朗読があった。これによって満員の会場の雰囲気が堅苦しいものから一挙に和んだ。そして、韓国ムスリム連盟を代表して、ジャミール=イー氏が歓迎の辞を述べ、次に、主催者OICを代表してAtta El-Manane Bakheit氏が主催者挨拶を行った。そして、両代表のプレゼント交換が行われて開会式は終了した。
 会議は、OICスタッフに同行している通訳者数名によって、全て英語とアラビア語に同時通訳されていた。通訳スタッフの中にはフランス語通訳もいたが、今回の会議では誰もフランス語で発言するものも、フランス語を希望するものもなかったため、2言語になったようである。韓国人の聴衆のほとんどは英語を理解する人々だったのだろうが、韓国語の通訳も置けばより多数の人が理解したのではないかと感じた。
開会式 小学生のクルアーン朗読
Atta El-Manane氏主催者挨拶 会場の雰囲気
 この日は金曜日だった。当初の予定では、ソウル中央マスジドにジュムアの礼拝に行くとなっていたが、当日発表のスケジュールでは変更されていた。時間的に見てわずか2時間の昼休みに参加者全員が市内のマスジドを往復するというのは不可能に近いので当然の変更と思われる。かわりに、ロビーに敷物を敷き詰め、臨時礼拝スペースを作り、ソウル中央マスジドのイマームの一人が出張してきてジュムアの礼拝を行った。
韓国ムスリム連盟主催の昼食会。中央はイスラミックセンタージャパンのサーマッライ氏 ジュムアの礼拝のため準備する韓国青年ムスリム
 午後2時半から第1セッションが始まった。
 まず最初に、OICの代表がOICの活動状況を説明。引き続きテーマ1『平和と安全(Peace and Security)』の講演がはじまった。こうして、丸二日間ほぼ缶詰状態で講演と討論が繰り返された。テーマごとの講演は30分、討論は15分と決められていた。討論が熱くなり途中で議長が中断させるということもあった。
 それらテーマ別のセッションの間に、各国レポートのためのセッションも入れていた。これに関しては制限時間10分、質疑応答5分と短めに設定されていた。参加国の代表が次々に発表を行った。発表順は、韓国、日本、台湾、中国、シンガポール、モンゴル、香港、タイ、フィリピン、ミャンマー、ベトナム、インド、スリランカ、ネパール、オーストラリア、ニュージーランド、フィージー、東ティムール、パプア。
 私は初日夜の最初のセッションで2番目に登場した。トップバッター韓国の発表者は約20分ほどのレポートを10分に要約して発表するということで、余裕しゃくしゃくで構えていた。私の発言内容はレポートを読むだけでも15分以上かかる内容だったので、一応OICスタッフに「10分を超えるけどいいだろうか?」と聞いてみたところ、「議長が少しは考慮してくれるよ」との答えをもらったので、15分かけるつもりで構えていた。さて、韓国の発表が始まった。この時の議長はインド人である。10分経過すると、ブザーを鳴らし、あと1分でまとめるようにとコメントが入った。この時間の正確さには驚いた。議長の隣に座っていた私は、「私は15分かかるけどちょっと考慮してね」とささやいてみたら、にこっと微笑み「時間どおりに頼みますね」と返ってきた。時間に厳しいインド人議長であった。
 とにかく私は最後の部分に触れられなかったものの、配られているレポートを最後まで読んでくださいと付け加えて日本のレポートを終えた。(発表した内容はここクリック
韓国政府代表の訪問に主催者代表からプレゼント 昼食会席上で、終始スタッフとして活躍した韓国青年ムスリムたちのスナップ
記念撮影。左から、2人韓国青年、韓国イマーム、サーマッライ氏、連盟会長、OICスタッフ、あぶ。 忙しく働く裏方スタッフたちレポートのプリントアウト、コピーなど大量の書類を発行している。
 二日間の会議の間、次々と興味深い講演がなされた。また、食事の時間などは、いろいろな国の代表と意見交換を行うなど、有意義な日々を送った。
 会議二日目の夜7時で予定通り全てのセッションは終わり、残るは会議3日目の行われる決定事項の発表と記者会見のみとなった。しかし、ここで予定の変更があり、決定事項の発表は二日目の夜11時に前倒しで行われた。3日目には参加者にできるだけ長い自由時間を与えてあげようとの主催者側の心遣いだったと思われる。
 ということで第3日目は会議は全くなく、午後からソウル中央マスジド訪問とショッピングを行うことになった。
 参加者は、昼食後マイクロバスに乗り込んだ。バスガイドは韓国ムスリム連盟役員が買って出て、ユーモアあふれるガイドを英語でやってくれた。ソウル中央マスジドまでの途中、観光スポットの説明もしてくれたが、その間韓国ムスリムの状況などをざっくばらんに話していた。その中で、日本と韓国はムスリムの数も状況も類似しているが、ひとつだけ違うところがある。それは日本には複数の団体があるが、韓国には韓国ムスリム連盟ひとつだけで全てを統括していることだと、誇らしげに語っていた。
 ソウル中央マスジドでは、施設すべての説明をしてもらった。驚いたのは、マスジドの敷地内に幼稚園が併設されていることであった。そして、私たちが乗ってきたマイクロバスは実はこの幼稚園のスクールバスで毎日ソウル市内を巡り子供たちの送迎に使用しているそうだ。また、マスジド周辺には、ハラールショップ、レストラン、ムスリムが経営する店舗が軒を連ね、門前町らしきものを形成していた。ここに来さえすれば何でもほしいものが手に入りそうだ。
 私たちが訪れたのが日曜日だったということもあろうが、マスジドへはひっきりなしに人々が出入りしていた。ソウルに働く外国人労働者、地元韓国のムスリムはもちろんのこと、一般の旅行者も多数訪問し、ひとつの観光スポットになっているようだ。私が礼拝堂に入った時には、ミニスカートの女性グループが入ってきて堂内を見学していた。(マスジドの写真はここクリック
 4日間有意義な日々を送り、インチョン空港へタクシーで向かった。タクシーに同乗したのは、私の発表のとき議長を務めてくれたインド人だった。実はこの彼はテーマ別の演者であったが、30分という制限時間をオーバーして、2回も3回もブザーを鳴らされ時間に苦しめられた演者でもあった。インチョン空港で別れて、私は一人帰路についた。
ガイドをしてくれた連盟役員 マスジド前で20年ぶりに会った旧友アブドルカーディルと一緒に撮影。中央にあぶ、右隣がアブドルカーディル。現在このマスジドのイマームをしている。

 関連情報
・『日本のムスリム』(日本代表として発表した内容)
ソウル中央マスジド