イスラム掲示板(第3代目)
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タイトル ヒジャーブへの道(すみません。長文です。)
投稿日: 2011/11/12(Sat) 16:07
投稿者マワッダ

アッサラームアライクム

私は、シャハーダをしてもうすぐ一年になる新米ムスリマで、マワッダと言います。
今日は、私のヒジャーブへの道のりについて投稿させてください。

私は、国の機関で働いています。
来所者の受付や事務、秘書的業務が担当です。
40人ほどの事務所でたった一人ヒジャーブ(ヘッドスカーフ)をしています。

ちょうど一年前の今頃、生まれて初めてモスクに見学に行きました。
イスラームに興味は持っていたものの、まさか後に自分がムスリムになるとは思っていなかったころです。

その時に、生まれて初めて日本人のムスリマさんに出会いました。(それまでは、スカーフをかぶったマレーシア人のムスリマ2人に一度だけあったことがありました。)

初めて会った時の印象は、物腰がやわらかくてすごく居心地のいい、温かい印象の方だったのですが、その反面、
「いつもこんな格好してるのかな?まさかね。。絶対じろじろ見られるだろうし。」
と、黒いヒジャーブをした彼女をみてそう思いました。
その後、なにがどうなってか(省略)、一カ月後にイスラーム教徒となり、その時に、知り合いだったマレーシア人ムスリマの友達が、私にとって初めてのヒジャーブをプレゼントしてくれて、巻き方のレクチャーをしてくれました。
みんなが
「よく似合うよ。」
と言ってくれるのですが、自分の目には、なんとも変な人に映るのです。
こんな格好を他の日本人に見られて、自分がイスラーム教徒だとバレるのがこわくてこわくてたまりませんでした。

シャハーダ(入信する際の信仰告白)に立ち会ってくれたマレーシア人シスターの一人は、
「実は自分も4年前に改宗したけど、ヒジャーブを始めたのはつい最近だったから、スカーフのことは心配しなくて大丈夫だよ。(きっと時期がくればアッラーが導いてくださるから。)」
と言ってくれました。
その言葉が不安や恐怖でいっぱいの私の心を随分楽にしてくれました。
なぜなら、私は、イスラームを信じていましたが、スカーフだけは、無理だと思っていたからです。

でも、しばらくしてクルアーンに女性は、顔や手首、足首から先以外は出してはいけないと書いてあるのを自分の目で読んでしまってからというもの、髪をさらけ出していることに徐々に罪悪感を感じるようになりました。
そのころはちょうど寒い時期だったので、帽子をかぶったり、かぶらなかったりしてごまかしていました。

でも、私にとって、あんなへんな格好で外を歩くなんて、どうしても、絶対に、ありえない世界でした。

そんなある日、近所のレンタルビデオ店の駐車場で、黒いヒジャーブをつけて運転するムスリマの姿をチラリと見かけたのです。
こんな田舎にムスリムがいるとは思ってもなかったので、とても驚きました。
しかも、ヒジャーブをしている。しかも、私にとっては一番抵抗がある「黒」でしたから。

“自分もいつの日か、スカーフを抵抗なく堂々とできる日がくればいいなー。”
そんな風に気持ちが変わっていきました。

そのころだったと思います。
モスクを見学に行った日に出会ったシスターから、入信祝いに小包が届きました。
なんとその中には、「これから必要になるだろうから。」と、数冊の冊子やデーツ、色んなタイプのヒジャーブやブローチが送られて来たんです。

その温かさに、嬉しくて、嬉しくて、胸が一杯になったのを今でも思い出します。
私は、夜な夜なYouTubeで、ヒジャーブの巻き方を勉強しました。
そこには、色んな国のおしゃれで綺麗なシスターたちが作った動画が沢山ありました。
“きっとこれなら、ムスリムじゃない人たちだって真似したくなるんじゃないかなー。”
って思いました。

シャハーダから、(自分の感覚ではものすごく長い月日が経った感覚だったのですが)1、2カ月。初めて人前にスカーフ姿で出てみました。
といっても、まずは誰にも見えなさそうな夜道で、です。(笑)

それでも、外灯のそばを通ると脚が震えるほどでした。

こんなことを何度も繰り返して、ある日、意を決して子どもの学校行事に出ることにしました。
その日は小雨が降っていて、傘がほんのちょっと目隠しになって助かりました。

人と会話をするどころか、目を合わせるのも、こわくて、いっぱいいっぱいでした。
でも、そこで、インドネシアから転校して来たばかりのムスリムのお母さんとの出会いがありました。
(この日の運命の出逢いが、その後の私のムスリムライフを大きく変えたことは言うまでもありません。)

こうして、プライベートではヒジャーブ生活をどうにか始めることが出来たものの、職場では・・・。なんと言うか、日本人の感覚からして、絶対にむりだと思っていました。

でも、聞くだけきいてみて、ダメだと言われたら、アッラーもきっと許してくださるんじゃないかとか、ちょっとずるい考えもあったりして、「とにかく、思い切ってきいてみよう!」と思ったんです。

そう心は決めたものの、怖じ気づいて言い出せない日が何日も過ぎました。

そして、ある日、直属の上司と給湯室で一緒になり、意外にすんなり口火を切ることが出来ました。
ちょっと躊躇してしまいましたが、どうせ断られることはわかっていたので、図々しさついでに、お祈りのこと(業務中に礼拝をしたいこと)も話しました。
(それまでは、誰かにばれやしないかとビクビクしながら、隠れてお祈りをしていたので。)
話は直属の上司から、そのまた上司に行き、霞が関まで行きました。

数日後に再び呼ばれて、自分が予想していた答えとは真逆の回答に喜びと言うよりも、驚きや戸惑いの方が大きかったです。

条件としては、
「ただし、来週の月曜日に課長会議があり、各課長に伝達するので、その翌日から始めてください。」と言われました。

こうして、私がアッラーとみなさんのおかげで、ヒジャーブ姿で出勤したのは、3月12日。あの東日本大震災のちょうど翌日でした。
職場の人達は、私のヒジャーブよりも東日本大震災の方に意識を向けていた様に思います。

上司が前もって職場の方々にどんな風に伝達してくださったのか、すべてはわかりませんが、今日まで一度も嫌な思いをしたことがありません。アルハムドゥリッラー

私は、この一つの道のりの中に沢山の奇跡とアッラーの愛を感じます。

今、一歩が踏み出せずにいる私の愛する姉妹がどうかアッラーの慈愛によって導かれますように。アーミン

そして、どうか心の中で奮闘努力している兄弟姉妹がみんなから優しく見守られますように。アーミン


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