この にそえて ・・・ no.54


     

 春日神社・・・ 奈良の春日大社が成立したのは奈良時代のはじめであるという。

   もとは常陸国の鹿島神宮からタケミカヅチ命、下総国の香取神宮からフツヌシ命

   河内国の牧岡神社からアメノコヤネ命、ヒメ神を三笠山麓に祀ったのが始まりであるという事。

   上の神々は藤原氏の氏神であって、藤原氏の力とともに春日の神もどんどんと重要視されていった。

   やがて武士の勃興とともに武家にも広く信仰され、全国に分霊されて、最後には庶民の神々ともなった。

     

   一時は伊勢の神宮とも張り合う程の勢力をもって、春日大社の神人と興福寺の僧徒が朝廷にいやがらせ

   のような事までし始めた。「神木の入洛」と称して、信徒がご神木を担ぎ練り歩く。

   この御入洛の間は朝廷の業務をストップさせてしまうので、天皇もしかたなく彼らの処遇も更に高めるよう配慮したそうだ。

   神山とされた大社東の奈良春日山には、大杉をはじめとする素晴らしい原始林が今も残っている。

   

   春日山は山自体が神様のようだが、地方にひろがった春日神社にもその特徴が引き継がれているのだろうか。

   吉野川の北岸にある脇町の春日神社は、このあたりでも珍しく境内を囲う玉垣が無い。

   元々無かったのか、あるいは後で取り払われたか。農地の中に盛り上がった社叢は、むしろ権威の外にあるよにも見えた。

   ただ囲いが無いだけに、神域が徐々に狭まってくるような事があったのかもしれない。

   根元に道路が通った大きな楠は、前よりも少し枝枯れが目立ちはじめてきたようだ。

 


春日神社の楠 目通り7.5m/樹高18m/枝張り38m/徳島県脇町・春日神社

《 損傷のない堂々とした主幹で樹影も良い。ただ枝先の枯れが進んでいる様子で、速急な樹勢回復措置が望まれる。 》