この にそえて ・・・ no.53                                     


    

 邪馬台国・・・ 「邪馬台国はどこにあったのか?」という事が日本史の最大の謎ともいわれている。

   そういった論争がある事さえよく知らなかったが、これが古代史のブームをつくり、関連書が数限りなく

   出版されているという事を知って、試しにそのうちの何冊かを読んでみた。

   読んでみるとまず、通称「魏志倭人伝」なるものに書かれた邪馬台国へのルートと言う物を

   みんながそれぞれ独自の解釈で地図上に展開し、邪馬台国の在った所を比定しているようだ。

   その比定地は全国各地にあって、特に有力なのが北九州と近畿であるらしい。

   

   三世紀の中国、三国志の時代にあった魏の国の使節団が海を渡って未開の国にやってきた。

   「南、邪馬台国に到る、女王の都とする所、水行十日陸行一月」

   この女王が一帯を治める「卑弥呼」で、支配者というよりは神の口添えをする巫女のような存在だったともいう。

   ある本ではこの人を、皇室の祖神である天照大神ではないかといっている。

   そして邪馬台国こそが古事記日本書紀にある高天原ではないか、ともいう。

   つまり邪馬台国を探す事が、皇室の起源を知る手がかりともなり、日本の成り立ちを探る手段になろうという事なのだろう。

   ただ、皇室の祖先自体が他国からやってきたという人もいるので、ややそのあたりの話は難しい。

 

   この邪馬台国の在ったところが四国ではないか、と考える人もいる。徳島の山岳地帯を中心にした一帯に

   歴史書に書かれた様々な地を比定して、女王卑弥呼もここで神の声を伝えながら国を治めていたという。

   木屋平村から剣山に上る途中に、これを記した大きな看板が忽然と立っていたので少し驚いた。

   古代のロマンと日本の起源を探る謎解きの魅力に、誰もが本気で情熱を燃やしているようだ。

   神世の昔とは言うけれど、エジプトのピラミッドなどから比べるとかなり新しい時代ともいえる。

   日食の記述などから、卑弥呼が死んだのは確かに西暦248年であろうと書かれた物があった。

   今から1750年余り前という事になる。 これは最古級の巨樹の生涯からすると1代か二代の話でもあり、

   そう思うとぐっと身近な事のようにも感じられる。

   素戔嗚尊が自らの髭を抜いて植えたという杉が、もしかしたらまだどこかに生えているのではないか?

   とさえ思えてきた。   


   馬岡新田神社の杉 目通り7.5m/樹高25m/枝張り18m

    目通り6.7m/樹高30m/枝張り13m/徳島県井川町馬岡・新田神社

《 国道192号線から、南の腕山を目指す道の途中にある神社で、境内に二本の巨杉がある。 》