この にそえて ・・・ no.46


        

 倭建命・・・ 景行天皇の第二皇子ヤマトタケル命(日本武尊)は、後に大和の勇者といわれた。

   幼名を小碓命。膂力に優れるが、恐るべき粗暴な一面を持った少年で、実の兄である大碓命を

   いともなく惨殺している。それを聞いた父の景行天皇は、小碓命の尋常でない荒々しさを買って

   西国の熊襲征定に立ち向かわせた。ひとつには、自信の身の危険をも感じたからだろう。

   小碓命はこれに服して先ず、叔母である伊勢の巫女、倭姫命を訪ねて御衣と御裳を賜った。

   粗暴な倭建命も、この倭姫命だけには、なぜか従順な普通の若者となってしまう。

   

   熊襲建の館に忍び込んだ倭建命は、叔母から貰った衣で給仕の女に化け

   見事首領の熊襲建を討ち果たす。帰路には山の神、河の神を平らげて

   出雲の国の出雲建をも滅ぼして意気揚々と大和に戻って来たのだが、父の景行天皇は

   すぐさま又東国の平定を申しつけた。倭建命はこの命にも服して旅だったが

   再び訪れた伊勢の倭姫命には、父の無理難題を愚痴っている。

   倭姫命に宥められて、天叢雲剣(あめのむらくも)と火打ち石の入った御袋を賜った倭建命は

   尾張に至って美夜受比売と契りを交わし、更に東に下って相模の国造に迎えられる。

 

   相模の国造は、深い草原に住む魔物を退治してくれと倭建命に頼み入れ

   これに応じて草原に入った所で、この草に火を放った。だまし討ちを謀ったのだ。

   倭建命はとっさに天叢剣を抜いて草を薙払い、迎え火を付けて窮地を切り抜けた。

   これにより、剣は草薙剣と呼ばれ三種の神器に加えられる。

 

   また安房へ渡る海路では、荒れ狂う波に妃の弟橘媛が自らを犠牲にして海神を鎮め事なきを得た。

   東国蝦夷を平定して、ようやく大和に帰る途中、契りを交わした尾張の美夜受比売のもとへ

   草薙剣を預けおいた。後にここが熱田神宮となる。

   そして伊吹山の近くを通ったとき、この山に住む邪神を聞き及び、これを退治する事になった。

   神は巨大な白い猪に姿を変え、猛毒の臭気を吹きかけてくる。この時倭建命の手には

   迂闊にも霊力を持つ草薙剣が無かった。 「しまった、剣を忘れていたか・・・」

   建る命の力も、野生の猛りには歯が立たなかったのだろうか? 毒気に侵されて忽ち身を弱らせる。

   蝕まれた体を引きずりながら、伊勢の野でついに力つきた倭建命は、霞む目で遙か故郷を見通した。

   大和は国のまほろば・・・ たたなずく青垣・・・ 山隠れる倭しうるわし・・・

   「ああ、みんなのいるあの美しい故郷に、帰りたい・・・」

   そこから一羽の白鳥が大きく羽ばたいて、青い山稜を目指して大空に飛び立っていった・・・

  


白鳥神社の楠 目通り7.6m/樹高30/枝張り30m/香川県東かがわ市旧白鳥町・白鳥神社

《 日本武尊を祭神とする神社で、白鳥となった尊が飛来した地とされる。松林の鬱蒼とした社叢にあって一際見事な大楠である。》