この にそえて ・・・ no.42


      

 新田氏・・・ 中世の名族に新田氏がある。元は八幡太郎、源義家の子義国の第一子義康が足利氏の祖

   第二子の義重が新田氏の祖となった。 やがて後醍醐天皇という台風の目が暴れはじめると、この新田氏や

   足利氏、そして幕府の北条氏らが、歴史の懇親とも思える混戦を展開する事となった。 南北朝では正に国が

   二つに裂け、二人の天皇が相並ぶ不可思議な状態が続いた。

   この混乱の中で、新田義貞は足利尊氏らとともに後醍醐天皇に従って鎌倉幕府を倒す。 又後に、この後醍醐

   天皇に逆らった足利尊氏とも刃を交えることとなる。

   群雄割拠、戦国時代の元となったような頃で、誰が誰に味方し、また裏切るのか見当もつかないような混戦の中

   新田氏も何度か立場を逆転させている。 ここで一貫して後醍醐天皇に従った楠木正成という人が、後生に「大楠

   公」と呼ばれる軍神として崇められた。 幕末のあの尊皇攘夷を叫ぶ志士達によってである。

   混沌とした乱世だけに、物語として見ると面白いが筋だてて見ようとすると混乱してくる。 新田義貞は、西から再

   び勢力を盛り返して東上した足利氏に破れて越前に倒れる。

   そしてその後に、義貞の子義宗や、甥の義治らが四国に落ち延びたという話が残っている。

   各地にこれらの伝承を伝える神社があり、義宗の墓所と伝えられる所もあるようだ。

 


新田神社の杉 目通り7.8m/樹高40m/枝張り25m/高知県南国市黒滝・新田神社

《 穴内川ダムの辺にあり、傘状に開いた枝張りの見事な樹影が良い。幹もまだ若々しい健康な様子で樹勢は旺盛である。》