この 樹 にそえて ・・・ no.32
熊楠と粘菌・・・ 紀州の人南方熊楠は鍋屋の息子で、その幼年期から猛烈な読書家だった。 しかも膨
大な量の書簡を暗記しては、それを挿し絵まで入れていちいち筆写していたそうだ。 神童なのだ。今も白浜
の南方熊楠記念館にその写本が残されている。 20才からアメリカ、中南米、イギリスと渡り歩き、色んな仕
事をしながら植物の研究に没頭した。中沢新一が編集した「森の思想」という本に、熊楠の興味深い人となり
が描かれている。彼が特に興味をもったのは「粘菌」という全く不可思議な生き物だった。何が不可思議かと
いうと、先ず生物の分類学上に居場所が無い。 一見菌類のようだが、突然アメーバーとなって倒木を這い上
がりバクテリアを食べ始める。 そしてある程度動き回ると、今度は一転して立ち止まり一晩で小さなキノコの
ようになって胞子をとばすというのだ。 その胞子からまたアメーバーが出現する。植物と動物という相反する
生態の隙間で、その境遇を楽しむかのように森をさまよい歩いている。 しかも形態が様々で、その色彩の鮮
やかさは、自然界に存在しうるうちの最も鮮やかな色の一つとまで言われていて、これを宇宙からきたE・Tに
違いないと考えた人もいたそうだ。生産者である植物と、消費者である動物。 そして分解者である菌類。 こ
れらはそれぞれ、互いに侵しがたい領域と役目を持っている。植物は光合成をして様々な栄養分を放出する。
消費者である動物は、必ず他の生命を取り込まなければ生きていけない。菌類はまるでそれらを分解する為
だけに生きているようだ。なにものかにそう決定づけられている。 その神聖な砦をゆるゆると越えていく、この
摩訶不思議な生物に熊楠は虜になってしまった。 なぜなら、そこに生命の本質と、その本当の役目を解くカ
ギがあるはずだと直感したからだろう。 彼が後半生を過ごした熊野の森は、この素晴らしい研究対象の宝庫
だった。 村々にはまだ堂々たる鎮守の森が各所に広がっていたのだろう。 明治39年、西園寺内閣の内相、
原敬の発令した神社合祀に対して命がけの反対運動をしたのも鎮守の森に鎮まる生命の神秘を守りたいと
いう、探求者の立場からの思いが強かったのだろうか・・・
西川の杉 目通り8.4m/樹高35m/枝張り20m/高知県香北町西川・聖神社
《 19号線の途中にある山中の神社で、別役三吉郎が長曽我部元親に従い、戸次川に出陣する際に武運を祈って植えた杉だという。》