この にそえて ・・・ no.230                           


         

 口屋あかがねの松・・・  新居浜市の北西部は旧別子山村にあった別子銅山から採掘された銅の搬出港として栄え

   近隣は今も開坑者である住友関連の工場が立ち並んでいる。現在の口屋公民館は古くからこの地の中核にあり、小学校、

   町役場、市役所、図書館と変遷してきたそうだ。その間変わらずに松はずっとここに立っていたのだろう。圧倒されるような

   巨木ではない。しかし2世紀も前から口屋の繁栄、変遷と共にあり続けたこの松の樹齢は300年以上ともいわれている。

   枝葉の量はそう多くないが、単一の株立ちで枝張りも大きく見栄えがする。このぐらいの松が周辺にはもう既に殆ど存在し

   ていないという事からしても、この姿は本当に貴重なものだ。名松といえるだろう。 

   戦後爆発的に蔓延した松枯れ病はアメリカから進出してきたマツノザイセンチュウという線虫が元凶であるといわれている。

   在来で枯れた松の材を食べて暮らしていたマツノマダラカミキリを媒介者として日本中の巨松名松に取りつき、これらを尽く

   枯らしていった。予防は極めて困難で、薬剤から電気的な装置まで、研究者は有力な対処法を探して日々苦労されている

   そうだ。 往事は搬出搬入に使った牛が繋がれていたという。さまざまな歴史を偲ばせるこの松は、なにか特別な理由があ

   ってここに残されたのかもしれない。


 口屋あかがねの松 ・・・目通り周囲3m未満/樹高10m未満/愛媛県新居浜市西町62口屋跡公民館