この 樹 にそえて ・・・ no.21
オチの命・・・ 伊予の名士に越智氏というものがある。今でも愛媛では越智という名字が多いようで、県北
部には越智郡という地名が残っている。越智氏は、中世の守護河野氏の祖とされ、文武天皇の頃には伊予の
大領越智玉興の弟、玉澄が温泉郡に住み、現今治市別名には越智玉澄の墓標として植えられた「玉澄さんの
大クス」という立派な楠が今も存在している。 (何れ紹介します) 更に昔時、1300年前の仁徳帝時は、伊予
の国造の祖であった吾田乎致命がおり、又その昔には神武天皇の頃、天照大神の兄君である大山積命の孫、
小千命が伊予二名国に渡っているらしい。越智郡大三島町には、大山積命を祭神とする大山祇神社があり、
その創始者は上記の三氏のうちの何れかと、諸説が多々あるようだ。またこの神社の御祭神は、伊豆の三島
大社から移したという説と、逆に伊豆の大社の方がここから移されたという説。更には仁徳天皇の頃に朝鮮の
百済から渡ってきたという諸説がある。とにかく全てが昔の話でよく分からないが、老楠や宝物を目の当たりに
すると歴史の実在感を感じる。
小千命御手植の楠 目通り11m/樹高15m/伝承樹齢2600年/愛媛県大三島町宮浦・大山祇神社
《 大山祇神社の楠群として国指定天然記念物となっている 》