part.7
これは、ぎりぎりの予算で風景撮影に出かけ、丸一日の間にどれだけバラエティの ある写真が撮れるだろうかという私の体験である。 丹平写真倶楽部の2年目の終わりには、スランプ気味になっていた。私はその打開のため に鳥取砂丘行きを思いついた。だが資金がない。何とか都合できるのは一泊ぐらいである。 切り詰めた旅行で、できるだけたくさん良い写真を撮りたい。そこで、一日でどれだけの写 真が撮れるか、どんな写真を撮るべきか、何を撮るべきか思案し始めた。 その頃、例会では2人の先輩が続けて鳥取砂丘の作品を出していた。その作品はオレンジ フィルタ−で真黒に落とされた空の下に、微妙な陰影をもつ風紋を、鮮やかで神秘的にさえ 見せた全紙であった。 例によって私は質問した。「この模様はどの程度の嵐でできるものだろうか。」と聞くと 「とんでもない、4〜5mの風が最適で、嵐では砂は吹き飛んでしまって風紋はできない」 といわれる。これは良い参考になると思った。 しかし、2、3日もすると、先輩と同じものを撮ってもしようがない。世界にはゴビやサ ハラといったもつとスケ−ルの大きいものもある。このたぐいはやめておこう。 とにかく体当たりの五感でストレ−トに表現するしかない、全身を目にして被写体を探せ ばと思い始めた。でも、砂丘は行ったこともなくスケ−ルも分からずに行くところ、何も撮 れなかったらという心配もあって、砂丘の静物写真は珍しいのではなかろうかと、手元のマ ンドリンも抱えて出発した。 砂丘は広かった。病後の余波で時々微熱のでる体には、こたえた。疲労困憊して休むうち にすぐ夕暮れがやって来た。私は砂丘の日没の美しさにみとれていたが、ふと閃いて三脚を 立て直した。それは砂丘のモニュメントとしての、同行の妻のトルソ−であった。 この一枚の作品「ヌ−ド」が、私をプロ写真家への道を歩ませるキッカケになろうとは思 いもよらぬことであった。運命とは不思議なもので、この一枚は持参した最後のフィルムの 最後のたった一駒で、もうフィルムは巻き上がらなかった。 この撮影行の様子は、各作品の解説で、順を追って述べてみたい。 |
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