第三回
砂丘の一日
これは、ぎりぎりの予算で風景撮影に出かけ、丸一日の間にどれだけバラエティの
ある写真が撮れるだろうかという私の体験である。
丹平写真倶楽部の2年目の終わりには、スランプ気味になっていた。私はその打開のため
に鳥取砂丘行きを思いついた。だが資金がない。何とか都合できるのは一泊ぐらいである。
切り詰めた旅行で、できるだけたくさん良い写真を撮りたい。そこで、一日でどれだけの写
真が撮れるか、どんな写真を撮るべきか、何を撮るべきか思案し始めた。
その頃、例会では2人の先輩が続けて鳥取砂丘の作品を出していた。その作品はオレンジ
フィルタ−で真黒に落とされた空の下に、微妙な陰影をもつ風紋を、鮮やかで神秘的にさえ
見せた全紙であった。
例によって私は質問した。「この模様はどの程度の嵐でできるものだろうか。」と聞くと
「とんでもない、4〜5mの風が最適で、嵐では砂は吹き飛んでしまって風紋はできない」
といわれる。これは良い参考になると思った。
しかし、2、3日もすると、先輩と同じものを撮ってもしようがない。世界にはゴビやサ
ハラといったもつとスケ−ルの大きいものもある。このたぐいはやめておこう。
とにかく体当たりの五感でストレ−トに表現するしかない、全身を目にして被写体を探せ
ばと思い始めた。でも、砂丘は行ったこともなくスケ−ルも分からずに行くところ、何も撮
れなかったらという心配もあって、砂丘の静物写真は珍しいのではなかろうかと、手元のマ
ンドリンも抱えて出発した。
砂丘は広かった。病後の余波で時々微熱のでる体には、こたえた。疲労困憊して休むうち
にすぐ夕暮れがやって来た。私は砂丘の日没の美しさにみとれていたが、ふと閃いて三脚を
立て直した。それは砂丘のモニュメントとしての、同行の妻のトルソ−であった。
この一枚の作品「ヌ−ド」が、私をプロ写真家への道を歩ませるキッカケになろうとは思
いもよらぬことであった。運命とは不思議なもので、この一枚は持参した最後のフィルムの
最後のたった一駒で、もうフィルムは巻き上がらなかった。
この撮影行の様子は、各作品の解説で、順を追って述べてみたい。
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