無題
これは、生まれてはじめてのモンタ−ジュ作品である。
そのヒントは偶然から生まれた。それは奈良郊外で冬枯れの頃、逆光の小さな沼に葦の影
が映っている風景の影の部分だけを35ミリで撮影した。現像が上がってきた時、たまたま
ネガの上下を逆さまに見たのが原因であつた。
水面に投影した葦の影が不思議な林のように見え、とっさにこれに何かをプラスすれば、
作品ができると思ったわけである。白い山のようなものは、その辺に転がっていた石を蛇腹
が伸びるカメラ、パテント・エッツイで接写した。この乾板に35ミリのネガを重ねて初め
てのモンタ−ジュ写真はでき上がった。
水面に投影した太陽は、ハレ−ションを起こし、葦はゆれてデフォルムされ、何とも不思
議な風景ができたが、題名のつけようがなく、とりあえず「無題」としたのが、そのまま題
名となった。
私は、いとも簡単にできた妖しげなこの風景が好きで、それからあれこれとモンタ−ジュ
に凝ったが、初回は偶然が重なっただけの大成功であったことがすぐ分かった。
何枚かのネガの被写体の大小の比例や諧調をあわせるネガ作りの煩雑さとアナログによる
画質の低下には苦労した。やるほどにむつかしく、後には製版用のフイルムを使ったマスキ
ング・ワ−クやダイトランスファ−などに手を出すようになった。
例会では、モンタ−ジュ専門の先輩が、「始めてにしては大変な出来すぎである。北斎の
富嶽三十六景の黒富士<山下白雨>を見るようだ。」と言われたが、それは形だけのことで
あろうか。
(丹平写真倶楽部展 出品。大阪阿倍野デパ−ト)
ついでながら、ここで風景写真とア−トとの関係をひとこと。
それは、世界の偉大な写真家10人の1人に選ばれた天才的な写真家、エルンスト・ハ−
スの姿勢に見られる。彼は本来は報道写真家で、数々の歴史に残るルポルタ−ジュを残した
が、ア−ト志向も強く色彩の魔術師ともいわれた。「画家は真っ白なスペ−スに絵を描く。
写真家はすべてのものが存在する空間から自分の絵柄を取り出す。」と言い、花のすばらし
い作品を残し、洗練された風景写真の傑作も残した。
花は精緻で奥深いが、花だけの世界では視野が限定されるので、同時に広い自然の風景を
畏敬の念をもって写していたという。彼は更にカメラ・メカニズムを人為的に操作して、新
しい風景写真の特殊表現をも試みた。これらについては、いずれまた講座で述べてみたい。
彼の花の作品は、シャ−プな表現でボケは殆ど入れないタイプで一見さりげないが密度は
高い。マクロな視野ではボケが出やすく色ボケで構成を支えるのはよいが、ボケによりかか
つての構成では充実感或は迫力に欠ける。私は色ボケの魔術師が現れてもよいと思っている
しかし、作品の内容を高め力強さを増すためにも、風景撮影は要素が多く難しいが、考え
方も見方も深くなり、レベルアップにつながるので、併せての試みを勧めたいと思う。
これらのことは、彼の早世後(1986年没)、より深く知ったが、私も総体的に同様の考
え方で来たことや彼が日本へ度々来たり、2才年長などもあり、より親近感を強くした。
[お断り]今回、「私の風景」で掲載した作品は、オリジナル・ネガからのプリントは殆ど
無い。全紙のビンテ−ジ・プリントは美術館に収蔵されているので、テスト・プ
リントからの複写である。画質の悪いものをお目にかけてもうしわけない。
当時の定着処理が悪く、ネガの画像が消失しているものが多かった。また、残念
なことに将来写真家になるなど考えもしなかった当時、貰ってくれるのが嬉しく
て気前よくどんどん差しあげ、残っていた作品は数少ない。ネガの保存も悪くて
どうしようもない。作品は自分の分身、皆さんは大切にされるように。
|