丹平写真倶楽部への入会
奈良の親戚を訪ねたのがきっかけで、思いがけず関西での前衛的な写真集団、丹平
写真倶楽部に入会するチャンスに恵まれたことは、「人生には、大きなチャンスが
3度はある。」といわれるが、私にとって丹平写真倶楽部への入会は、その第1番
目になった。この時私は25歳であった。
初めて丹平の例会に出席しての印象は、驚きの連続であった。まず、この月例会はすべて
全紙に引伸ばした額入りで出品され、これまで四つ切り以上の写真を見たことがなかった私
はまずその迫力に圧倒され、また写真の大半は普通の写真雑誌では見たこともない題材や技
法のもので、別世界の写真のように感じたものである。
後でわかったことだが、この会に限らず関西のいくつかの有名な各写真団体は、明治の末
期から昭和の初期に設立されたが、東京のようなジヤ−ナリズムがないために、発表の場が
展覧会中心主義といったことから全紙が普通サイズで、アンチ東京の気風から前衛的な作品
で競い合ってきた歴史があったという。
また古都京都から、創造的、前衛的な人や発見・発明が現れる風土があるが、東京の写真
家が写真を売って生活いているのに反して、関西のこれらの写真家は生活手段としては別の
場があり、といって写真の制作態度はアマチュアの域を越え、作家であることから自由奔放
な作品が生まれてきたのであろう。
私は、平静になるにつれてこうした丹平の写真家たちの姿勢が、ちょうど、ルネッサンス
期の様子を彷彿とさせるようで大いに気に入った。
丹平写真倶楽部は、1930年に創立されたが、そのリ−ダ−格であった故安井仲治氏は
戦前の写真界を代表するリアリズム写真の先駆者で、絶えず世界に目を開き、いち早くバウ
ハウスの資料を直輸入し、これを翻訳して会員に説明するという啓蒙家でもあったらしい。
|