part.3
今回は、私の花を見ていただくことにした。 ところで、広告写真家として、花の撮影がやさしいという人は、まずいないであろう。 多くの花はキレイすぎて、自分の個性を発揮できる特異な造型がむつかしいからである。 この30年間の写真の変貌はすさまじい。私が写真を始めたころは、プロでも露出計を持 っているのはごく一部で、勘だけで露出が決められきっちりピントが合った写真ができれば プロ並といわれた。現在はすべてがカメラ任せ、走るものにまでピントが合う。つまりボタ ンを押せば猿でも写せる時代になってしまった今日、プロ写真家が厳しいのは当然である。 客観的に見れば、美しい花が美しく写るのはあたり前のことで、複写になりがちだ。 作品といえるかどうかは、その花の個性と、それを引き出す作者の創造的な意欲と感性が提 携し、そこに造型された新しい生命、新しい世界が創造されているかどうかにかかる。 コマ−シャル・フォトでは、花だけが主体として使われることは少なく、脇役、アクセサ リ−程度のことが多い。カット写真や植物図鑑用のものは、レンタル写真にも佳作がありそ れで十分間に合ってしまう。 そんなわけで、私は役目柄、学生に花の撮影の指導もしてきたが自分ではなかなか 気に入ったものができず得意だと思ったことは一度もない。というのが本音である。 |
「カトレア」 1971
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カトレア cattleyaこの作品のイメ−ジは、「カトレアと砂丘(オアシス)との対比から生ま れる虚構の世界のリアリティ」といったところ。 これは華道の池坊の家元(池坊専永氏)が三越デパ−トで行った全国池坊展のポス タ−用の作品。この仕事の依頼が来た時、私は「家元が花を活けたものを誰か写真 家に撮ってもらった方がよいのでは」と伝えたら、私の写真をどこかで見たらしく 「まったく写真家の思うままに」といわれ、引き受けることになった。 コマ−シャル・フォトグラファ−の宿命 コマ−シャルの世界は、楽しくもあり、厳しくもある。まず、作品はすべてに優先 して「広告としての目的に忠実であること」が要求される。 昔風のいわゆる売らんかな主義の広告では、もう通用しない。 結論から先に述べると「芸術を含め、企業による生産物にいたるまで、あらゆるも のが素材と技術とアイディアの組み合わせで創られる。」という仕事の窓口を担っ ているのが、私たちプロの広告写真家の仕事だと私は思つてきた。 ボ−ダ−レスの今日、私は世界中で使用される企業広告も創ってきたが、今後は広 告も芸術としての心掛けがなければ、世界に通用しないことを痛感してきた。 さて、具体的に言うとこのポスタ−には、下の3つの目的が要求されるが、これら すべてを満たすのは相当に難しい。1、目立つこと。強いこと。 (近くからも、遠目にも目立つものには戦国時代の旗印などがある。 今日ならベンツのマスコット。広告全体が目立つ条件となると難しい) 2、誰にも好かれること。誰にも分かること。 (つい八方美人になりがちだが、強さも考えると強い個性も必要だ) 3、話題性があること。好奇心をもたれること。 (これはアイディアが勝負となり、勝敗を分ける一番厳しい問題である)[結論] あれこれ思案の結果が、素材として捨てがたい多くの花の中から、カトレアの 毅然とした容姿を選ぶことにしたが、それがシンボル・マ−ク並にもなった。 アイディア・話題性では、いい意味でのビジュアル・スキャンダルといわれる 表現もよくみられるが、私の場合は野放図にと思いながらも企業の品性も問わ れることから、つい生真面目な正統派になってしまう。 (でも、この撮影は非常に制約が少なく楽しい方であった)
「ポピー」 1996
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ポピー pappy
この作品のイメ−ジは「氷壁を思わせるバックから、やや現実離れした明るい花の ある風景」。その先に見えてくるもの。桃源郷のような空気を期待した。 これはコマ−シャルでない気楽な撮影である。 私は、どちらかといえば蘭のようなタイプより、野草のような飾らないタイプで、 個性のあるものが好みのようである。ポピ−を選んだのは、自由奔放、その華やかさ には、また儚さをも感じるからである。 たいていの花は形として統一された類似性があり、集団としてのあるル−ルを持つ ているように見えるが、ポピ−にはそれがない。花の色も形も全く様々、天を仰ぐも のあり、うなだれるものあり、そしらぬ風情を見せるものあり、ヘビのようにくねく ねと曲がつた茎。時にまったくあらぬ方へという曲がり方まであって意図不明。しか し、それだけにまた可愛い花である。かねがね、そのことがそれぞれが自由気ままに 生きている若い人々の社会を見るように思えたりしていた。 この作品のバックには、私なりの思い入れがある。かなり以前のことだが、TVで ブル−のケシの花がヒマラヤの山々を背景にして咲くシ−ンを見て感動したことがあ り、スイスでアイガ−の北壁を真正面から見上げた思い出などが重なり、そんなイメ −ジを演出できればと思った。 これは、72人の写真家たちという写真展と写真集に出品した。秋山氏の 花に対抗したわけではなく、時にはコマ−シャルという枠を離れた普段着 の私をと思っただけである。
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花の遍歴
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ダンマリ写真評論
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世界のレベルで
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