<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (27) ☆          月例会先生評(2004年7月)                < 例会らしい例会を >                 

 今回は、例会らしい例会をやってみたい。いつも材料不足で何かテ−マらしきタイトル
をつけてまとめようとするのが習慣になっていた。                 
    
 お互いに顔も知らないインタ−ネット上での例会は、タイミングが合わず、反応の鈍さ
から厳しい討論が必要な問題でも、簡単に理解したといった程度で終わってしまう。
 創作時の心の動きは、生ぬるい理解とは対極にある切迫感、緊張感である。
 作品を前にし、対面しての心に響き合う討論の場でなければ、伝わりにくいこうした問
題をどうして伝えられるか、体感できるものか、難しいことである。
    
 丹平写真倶楽部の例会には、そんなものが満たされる雰囲気があった。もう半世紀も前
のことだが、あれは本物だったと懐かしい。ぼくの講評は、さらに率直になるだろう。

            

「新緑輝く」 嶋尾繁則 (トリム修正)

原画

 この作者は、かなり長いキャリア−から風景をまとめる要領を心得ており、ある程度安
心してみられるが、時折、詰めの甘い例が見られるので、注意事項を述べておく。
 この例は、おあつらえ向きともいえる浅黄色の新緑の点在があり、このままでも良さそ
うだが、ぼくならどうするかをやってみたのが「トリム修正」例である。
    
 左下部の力不足を補うため少し焼き込み、右下部の目障りな明るさを押さえ、左と下部
をこの程度にカットし、コントラストを少し上げてある。曖昧さが嫌いなのである。
 これは撮影時にすでに感じることであり、現場ではそれが気にならぬポジションを選択
するが、それが不可能なら引き伸ばし時に、当然コントロ−ルする。
     
 風景はある程度エキセントリックな条件に遭遇するチャンスを待つ忍耐が必要だが、日
常からこうした対応をする習慣をつけておかないと、そのチャンスを最大限に生かすこと
はできない。
 ぼくのいう詰めの甘さを理解できず、放置しても平気でいられるなら、その人のレベル
はそこで終わることになる。
   

              

「黒猫」 大住恭仁子(トリム修正)

原画

 この作者、大住くんは、ちょっと変わった神経の持主である。
 時折、突然、女性には珍しく「大胆不敵?」といった不思議な構成をする。     
 その出現率は20%くらいで、佳作はその1/4くらい。
ノ−マルな構成は30%くらい。残り50%は意図不明、何を考えているのかわからない
が、そんなところに期待している向きもある。
    
 今月の出品は4点で「鷺」は鳥の追い写し。やや平凡だが無難なできといったところ。
 「黒猫」は見方によっては平凡という人もあろうが、ここには彼女流の感性と構成が見
られ、こうした神経のあり方は、ぼくにはよく響く。
    
 彼女は、Part41のぼくの制作したアングラ・ポスタ−の感想に、「ピンスポット
の6灯が無造作なようで計算高く感じられ、とてもおもしろく思った」と述べているが、
これはズバリ適中していた。
 あの撮影でのぼくは、瞬間的なインスピレ−ションのままに、小さく開いた口への絞っ
たピンスポットを手始めとして、スピ−ディに乳房の照明に大小の変化をつけながら、ひ
ざに向かってリズミカルな照明をした。もちろんバックへの大きい照明とのバランスに十
分配慮をしながらである。
 こんなことを彼女は推量できながら、他の2点の出品作は、何がおもしろいのか意図不
明、格差がありすぎて、ぼくにはわかりかねるが諦めてはいない。
     
 肝心の「黒猫」についてひと言。
 この画面から受けたぼくの印象は水濡れしたように黒光りする黒猫の独り舞台である。
舞台装置は、真っ白な舞台とグレ−の矩形の大小だけである。画面右と下部を少しづつト
リミングすることで、引き締まった画面になり、より存在感がうまれる。
 それにしても、この猫はいつもこんな貫禄あるポ−ズで、孤独な舞台を勤めているので
あろうか。彼女好みの不思議なリアリティが見られるように思えた。
   

              

「誕生」   成瀬幸恵

 これまでのこの作者の写真からは、まったく予想できないような変化である。
 このモンタ−ジュは、1925〜1935年頃、つまりモホリ・ナギ−やマンレイが初めたころ
のごく基本的な手法と似たところがある。  
    
 この写真が未完成であることは、作者も認識していることであろうが、1枚目の子供の
表情、ポ−ズはかなりよく、小さくコラ−ジュ風にモンタ−ジュされた赤ちゃんのやや調
子をはずした入れ方も悪くない。問題は、それから右への展開があいまいでシャ−プな構
成がされていないことである。
 全体的な構成にはしっかりしたコンセプトが必要で、アイディアが不燃焼ではコワイ写
真になりかねず、この辺は特に要注意である。
    
 「歌声」も3枚目からのバラエティがなく、また床板をバックにしたことに特別の意味
があるのかどうか、この辺は難しいところである。
 とにかく、彼女がかなり難しいテ−マへトライした勇気と努力を思い取り上げた。
   

             

「俺の愛車」  西浦正洋

 意図はわかるが、写真的表現はまるで未消化で問題となる資格があった。      
    
 もうずいぶん昔になるが超広角レンズが発売された当時、こんなアングルを駆使した被
写体の極端な大小、奇抜なデフォルメの写真が続出したことがあった。でも、きわどいバ
ランス感覚の妙を心得た作品といえる写真は少なかった。
 久しく奇妙におもしろい写真にお目にかからぬので、これをチャンスに度胆を抜くよう
な作品を期待して、これを取りあげて見た。
     
 デフォルメの複雑な歪描を生かすには、まずすっきりしたバックがキ−ポイントのひと
つになる。自慢の愛車を持つた子供を連れて大川の土手などに行き、すっきりした青空バ
ックに自由闊達な子供たちを追っかけてみたらどうだろう。
 でき上がった写真を逆さに展示したら、更にスバラシイ発見をしたなどといった経験を
したこともある。
   

                 

「晴れ舞台」 阿部政裕

 阿部君は、このところ色彩街道の迷路に入っているようだ。(でも心配は無用。もう少
し迷えば、急浮上するだろう。その昔、同じ失敗をした本人が言うのだから間違いない)
    
 その傾向は、あるものを表現しようとするとき、彼が選択する色彩がそのものにふさわ
しいものかどうか、必然性のない例が多いところに見られる。
 ここに掲載した写真はそうした中では比較的無難で記念写真程度なら喜ばれるだろう。
しかし、他の例を含めてこれだけ黄色を全面的に使う必要があるだろうか。
    
 また、「Colors 1、2」の色の濁りは、誰しもが経験し困惑する決定的な問題
である。これらについても「参考作品」をあげて説明しておいたので研究されたい。

「バラ」   岡野ゆき           

 この写真の構成は、一応無難といったところだが、色彩に写真的な透明感がなく、カラ
−バランスの崩れたリトグラフを見るようだ。
    
 この色彩転換の手法は、フォト・ショップのソラリゼーションによる処理らしいが、成
り行きまかせでこれだけ色を濁すと魅力ある色彩表現からは、益々離れてしまう。  
     
 アナログのポスタリーゼーションは、現実にある色を写すよりもある場合には、部分的
なマスキングによって純粋な色光を直接フィルムに露光し、透明度のある写真的な色感に
よる色統一を図りながらの構成をするので、この方がはるかに易しい。
 ぼくにはよくわからないが、フォト・ショップによるマスキング的な方法の併用も考え
てもらいたいが、撮影以前にまず何を表現したいのか、それが先決だと思う。

           

<参考作品>                                                                           

       バラの芽   玉井瑞夫 2003    

 この写真が撮られた時のことは、よく覚えている。
 昨年、2003年3月末日、四国の田舎町にあった先祖からの墓を東京へ移すために帰
郷した時、ぼくはかねてから一度は見たいと思っていた「ゆき」のミニ・バラ栽培の現場
を、ほんの1時間ほどだったが覗くことができた。
    
 その日、はじめて訪れた「ゆき」夫妻が丹精を込めた温室で、ぼくが受け取ったものは
花そのものよりも、やや赤みを帯びたバラの芽のたくましい造形であった。    
 そこには、古い時代の朝鮮や中国の皿絵に見る天翔ける赤い昇り竜の姿を連想させるよ
うな強いフォルムと新鮮な動感があった。
 その時、ぼくは気持ちが弾み、撮りたいという衝動を覚えた。      
     
 シーズンの関係からか、咲いていた花は少なく見慣れたものだったが、次の花を育てる
ための大量に残された葉の光合成の営みからだろうか、新しい茎や芽のフォルムは恐ろし
くバイタリティーのある勢いを見せていた。撮影はバックの用意がなく、シンプルに表現
できるスペースはこれぐらいしかなかったが、現場での撮影は充分な手ごたえがあった。
      
 ぼくは、東京に帰ってすぐ、こんなすばらしいリアリティ−を見逃している「ゆき」に
そのことを伝えたくて、メールでこの画像を送った。
 この参考例は、たまたま同じ温室でのバラ撮影で、ゆきとぼくの花の見方、感じ方、考
え方、表現への集中度などその違いがよくわかるだろう。
 この作品に対する友人の写真家や画家のひと言はおおむね、「いとも簡潔でスマートさ
が気にいった。−−まだ大丈夫だ?」といったことであった。スマートというのは大変な
ほめ言葉で恐縮だが、「−−まだ大丈夫だ?」は、励ましかいたわりか、余計である。

        

<参考作品>                                                                           

    ジャパン・アバンギャルド表紙 東 学    

 これは、Part 41で紹介した「アングラ演劇・傑作ポスタ−100」の裏表紙で
ある。
  この日本髪の女性は遊女であろうか。この絵は下部から上部にかけて、日本の前近代的
な歴史を思わせるような絵柄があり、襟元から上に向かって匂うような肌は透明感のある
生々しいレモン・イエロ−のグラデ−ションで表現され、その上に真っ白な顔が浮かび上
がる。襟足の黄色から真っ白な顔に至るこの強烈さは、黒目を入れないことでさらに印象
を強くしている。
      
 前近代的な遊女をこれだけモダ−ンな表現にするには、相当な色彩コントロ−ルの技量
がいる。ぼくはこれほど黄色の純色を切れ味よく使ったカバ−を他に知らない。正に歴史
を物語るアングラ図書の表紙にふさわしいものになっている。

        

<参考作品>                                                                           

    「 花の冠をつけた女 」  ピカソ    

 このピカソのリトグラフには、匂うような色彩の美しさが溢れている。
 この顔色は、甘い香りのする桃の色を思わせ、肩から胸にかけては白いクリ−ムがいっ
ぱいついたショ−ト・ケ−キのようである。顔の輪郭はそのおいしさを引き立てるような
きれいな紫色で描かれている。                    
    
 この絵をはじめて見たのは、もう13年ほど前だった。これはピカソが孫娘のマリナ・
ピカソに与えたもので、ずっと世間の目にふれることがなかったからである。
 その時ぼくは、ピカソの絵でこれほどストレ−トな優しい色合いのものは少なく、こん
な色合いならどんなにピカソの変形した目鼻になじめない人でも気に入るだろうと思った
ので、そのカタログを資料箱の底に残しておいた。
     
 これらが無理にでっちあげたニゴリのある嫌な色合いなら、この絵は化け物になってし
まうに違いない。何色によらず、自分のインスピレ−ションで、自分が気にいった色を作
り出し、惚れ込み感動を覚えたものなら、なんでもよかろうというのが答である。

       

「警備線を突破したデモ参加者と追う警官」 横山健                

   <参考作品>

鉄カブト  ウェルナー・ビショップ

報道写真家  ウェルナー・ビショップ

         

 今月の月例では、イスラエルのリアルタイムの状況の一端が、彼の解説文と写真でなん
となく理解できた。そしてぼくの脳裏には、戦場に近いところにいる横山君の日常の目が
たえず現実を追っかけて、彼なりの記録をしている状況が浮かんだ。      
    
 報道写真家を目指してスタ−トしたばかりの彼の写真がまだ生ぬるいのはやむを得ない
が、本格派の報道写真家になってもらいたいぼくの希望は率直で、ロバ−ト・キャパやウ
エルナ−・ビショッフの写真を思いだし、誰かの次のような言葉がよみがえってきた。
    
 <戦争の狂気は、戦場ではむしろ正気の状態である。だが、戦場と背中合わせの市民の
生活には、正気と狂気が混じり合う。正気が正気であるほど、狂気は際立って浮かび上が
ってくる。写真家の正気は、写真の客観描写とあいまって、狂気の有り様をとり出す。>
                                     
 ここに挙げた「参考作品」は、ビショッフのもので、年度と題名不祥のため、ぼくがメ
モリ−として仮題をつけ、保存している中からの2点である。
 「鉄カブト」は、人影はまったくないが、象徴的な戦場のリアルな姿であり、「報道写
真家」は大事件の場における自分たち自身の姿である。頭に血が昇った状態では危険であ
り余裕もなくなる。そんな冷静さと更に広い視野が大切なことを示唆する写真である。

             
  今回もこの講座の性質から、解説にたりる問題を含むもの以外は、写真の掲載
  をせず、最低限あるいは必須と思われる簡明なコメントを列記しておく。
    
    
               「パンジー」
    
 5月例会の延長といえる作品だが、前回の方が良い。上のスペースが少し足りない。 
また、この花のマッスはタイルの線を越えるギリギリのシャープなピントによる表現でな
ければ、画面としての魅力を発揮できない。
 チャンスを見て、グラフィック・デザイナ−、増田正の海外、ことに北欧の窓や壁、扉
などを撮った写真集を図書館などで見ると参考になるだろう。
    
               「破顔一笑」
    
 これも前回の方が勝っている。他の楽器などのアップは断片的な興味の集積で、何を訴
えようとしたものか、意図不明、方向感覚を失ったように思えた。
 アップなるが故の新鮮な驚き、あるいはそれらの集積によるテ−マとしての意味合いを
明確にしないと力強さに欠けるだろう。
    
           「かっぽ酒ば飲みなさらんね」
    
 この表現では、ちょっと垣間見た意味もないスナップの域を越えられない。
 その原因は、作者自身が受けた感動の表現がなく、そこにドラマが感じられないからで
ある。作者はこの人物のどんな表情、しぐさに興味を持ったのであろうか。      
 また、その表現は周囲の人々とのどんなやり取りのチャンスに見られたのか。人間は背
中で物語ることさえある。ドラマは作者がデッチあげるものではなく、作者が感じた巧ま
ざる或は共感できるリアリティの発見があって成立する。

(註)
  塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い
  週末から週はじめ3日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。
  その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
  居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
  僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
  (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)

                 

    

  < お知らせ >

「 瑛九 -前衛画家の大きな冒険- 展 」

   瑛九展 チラシ

       

 瑛九 (1911〜1960) は、宮崎に生まれ、浦和で48才の短い生涯を閉じま
した。強烈なオリジナリエティと前衛性を貫いた瑛九は、亡くなる直前には
アトリエにあって点描による油彩画に没入しました。光の中から生まれ出た
ような精神性の深い世界です。
        
 デモクラ−ト美術家協会の活動や膨大な数を残したフォトデッサン、版画
の制作から離れ、原点回帰ともいえるそれらの制作は、彼のとどくことがで
きた極めて高い到達点でした。
    
 その最晩年の3年間に焦点をあて、点描の作品とそれに近づく油彩画・水
彩画を中心に、瑛九を援助していた人々との書簡なども紹介し、瑛九のいう
「大きな冒険とスリルの世界」をみてゆきます。
    
 併せて、協賛出品として、瑛九を凝視した写真家玉井瑞夫のフォト・エッ
セイ≪瑛九逝く≫31点の作品を展示します。
      
               渋谷区立松濤美術館 館長  角井 博

       

協賛出品

<初公開> 玉井瑞夫フォト・エッセイ≪瑛九逝く≫

       

瑛九夫妻(フォト・デッサンの切り紙と)

 48歳という若さで逝った前衛美術家瑛九は、その卓越した個性によって
生前からその周囲に熱狂的な支持者を生み、当時の10代から20代だった
若い芸術家たちが集まり熱い議論を交わしました。
    
 玉井瑞夫はそのメンバ−の一人でした。こうした環境から彼はそこにある
だけのモノを撮ることにあきたらず、後に特殊表現技法を駆使した創作写真
の第一人者になりました。
    
 ≪瑛九逝く≫は、瑛九との出会いがもっとも早く、写真家として独立する
前のまだ若かった彼が、瑛九の人柄に傾倒し、1952年から瑛九が死に至
る前後の1960年7月まで、折りにふれて撮っていた写真から選ばれたも
のです。 
     
 玉井瑞夫の写真と文章によるフォト・エッセイ≪瑛九逝く≫31点の作品
は、すでに東京都写真美術館、宮崎県立美術館に収蔵されておりますが、公
開されるのは、今回が初めてです。
 瑛九夫妻という被写体を、独自の暖かい眼で撮影したこの作品は、肖像写
真のエポックを画するものとして評価も高く、画家の死というドラマを見る
人に強く訴えかけます。
    
            (松濤美術館 主任学芸員  瀬尾典昭 記)

           

        

< 松濤美術館  案内 >

瑛九展  会期

平成16年8月10日(火)〜9月20日(月)

   所 在 地        東京都渋谷区松濤2丁目14-14     TEL 03-3465-9421 
    
           (京王井の頭線 神泉駅下車−徒歩5分)
     
   開館時間  午前9時〜午後5時(入館は4時30分まで)
   休 館 日    月曜日
    
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html
 

玉井よりの  < 招待券プレゼント >

 ○  1960年、瑛九はあまりのユニ−クさから知る人ぞ知る以外には認められず
   清貧のなかで去った。その当時、ぼくはアイオ−や池田満寿夫との話題に、
   「エイキュ−は、将来、20世紀の日本における前衛画家、10指を上げる
   時、必ずその中に残る」といった話をし合ったが、死後44年、21世紀の
   今日、このことはますます現実味を帯びてきた。
     
 ○  その最も大きな根底をなすのが、彼の死の直前、3年間の傑作、点描の作
   品群である。全国各地の美術館から年ごとに収蔵の希望が増えてきたが、今
   日では入手は非常に困難という。                   
    瑛九夫人の都さんはもう88歳になられ、この展覧会は当面のラスト・チ
   ャンスになるだろうといわれ、今回は貴重なチャンスだと思われる。
     
 ◎  ぼくは、この瑛九展に積極的に協賛出品したことから、特別にたくさんの
   招待券を松濤美術館からいただいた。
    そこで、瑛九に興味を持たれ、ぜひとも現実の作品を見たいという方には
   日頃この講座を御覧になっている方はもちろん、初めての方でも、この講座
   のPart910の「瑛九との出会い」を予備知識として参照され、なお
   興味を持たれた方にも、すべて招待券を差し上げようと思った。
     
    
 ◆  要領としては、自宅住所を明記し、返信用切手を貼った長い定形封筒(12
   × 23・5cm)と招待券の必要枚数のメモを同封して下記の管理人、岡野ゆき
   宛てに送付すれば、同数の招待券と上記のチラシ1枚をお送りします。   
   (先着順、一応5、6枚までとし、無くなったらご容赦ください。)
   (40日間も展示期間があるので、再度必要な場合は、電話ください。)
    
  ◇ 管理人宛先
    
   〒791-0504愛媛県周桑郡丹原町大字久妙寺甲616-3 岡野ゆき 行

        

              back