part.10         

 第二回

        前回は、瑛九に親しんでいただくために、彼の肖像や概略を掲載した。     
    今回は、僕が選んだ瑛九芸術の代表的な作品の幾つかをを紹介したい。
                                           
 今月、1月14日(日)(朝 9:00 〜10:00)    NHK・教育TV・「新日曜美術館」で
前衛画家『瑛九・最後の冒険』が放映されるが、NHKでの解説は、若い頃に瑛九のところ
へ一番よく通い、後に大成して虹の画家と呼ばれているユニ−クな靉嘔(アイ・オ−)君が
話すようだから、的確で分かりやすい解説になるであろう。(夜 8:00 〜9:00)
        
 瑛九は、夢想家、啓蒙家、批評家、論客、アジテ−タ−、指導者、教師、写真家、詩人、
俳人、水墨画・フォトデッサン・版画・エッチング・油絵の画家という天性のマルチ人間で
あり、強烈な個性を持つ異才と呼ばれるにふさわしい人であった。
      
 僕が今年から写真講座で展開する「写真と絵画の造形性の違い」や「色」の問題では、絵
画と写真の両方に精通していた瑛九の評論を加えて話すので、ぜひこの番組も見られ、瑛九
の人とその作品も記憶にとどめておいていただければと思う。
        
 瑛九の作品を味わいたい人には、まず「絵画とか画伯といつた名に惑わされたり、芸術と
いうフチョウや芸術的な言葉や美辞麗句に誘惑を感じてはならない」という瑛九の言葉をお
伝えしておきたい。瑛九は、大衆から遊離した封建的な画壇を徹底的に拒否してきた。
       
 瑛九は、創造美育協会が行うお母さんや子供たちへのセミナ−ルにも熱心で、「アブスト
ラクト(抽象)の絵は、今までの『絵とはこういうものだ』という概念を去って、絵の示す
ところにしたがって、感受してもらうことが大切だと思います。 それは音楽を聴くように
です。 仮にぼくは題をつけましょう、『公園の散歩』と。 しかし、それが『思い出』と
なったり、『午後の休息』となってもよいわけです。画面の美には一定の客観的な調和の感
じは必要でしょうが、見る人の心の感じ方は自由です。」と話していた。
        
(瑛九の作品解説は、瑛九の多くの友人たち、僕の仲間たちが瑛九について語ってきたこと
 や画集、パンフレットに掲載されているものの中から印象深い部分を、そのまま或は要約
 して引用させていただき、また僕の感想も加えて述べた。)
        
◎ まず、あなたの感じるままに、作品をゆっくり見て、解説はその後で読んで下さい。






楽園        
   

Visitors to a Ballete Performance                       

             楽園 <フォト・デッサン> 制作年不詳 Visitors to a Ballete Performance              <フォト・デッサン>  1950年         
   2点の作品とも何とも言えない楽しい雰囲気がある。瑛九流にいえば、「楽園」は
 「ともだち」でも「仲よし」でもよく、感じるままに自由に見ればよいわけである。
  絵筆を使わない人間の手の跡が希薄なその画面には、奇妙な空間が立ち現れる。
        
 瑛九のフォト・デッサンは、彼の鋭敏な感覚による思想、心理、幻想、詩情が光と影の美
を純粋に抽象されたものによって画面が整理されている。そこには、孤独、苦悩、悦楽、愛
情、エロチシズム、ユ−モア、メルヘンといったいろいろなイメ−ジが入り交じり、瑛九の
独創的な世界が表現されている。それらはその後のエッチング、リトグラフの中でも展開さ
れて行く。
      
 カメラを使わず、印画紙の上に直接物を置き、光りをあてて感光させるフォトグラムは、
1923年、マンレイやモホリ・ナギ−によって制作されているが、瑛九が命名したフォト
デッサンは、金網、レ−ス、模様ガラスなど既成のものだけでなく、紙に描いたものを切り
抜き、それを使った絵画性の強い独創的なものであった。              
        
 彼は、カメラ無しの写真でなく、印画紙が無限のグラデ−ション(諧調)を表現できる特
性を新しい画用紙として、印画紙を使ったデッサン、光りで描くデッサンとして生かした。
つまり、彼は科学的自由さを極端に近いまで拡大せしめた初めての画家である。     
        
 瑛九のフォト・デッサンは、総体的にシュ−ルレアリズムによって貫かれダブル・イメ−
ジをかけたフォルムによって幻想的であり、彼独自のデリカシ−をもっていた。彼のシュ−
ルレアリズムは非常に健康なあり方での狂気を見せているように思える。        
 また後期の画面にあるアブストラクト的傾向は、ダダを清算しキュビズムによって整理さ
れ、シュ−ルリズムによって思想的影響を経験して後に到達したアブストラクトであった。


      

花火

だだっこ

   


   




      
      だだっこ <油彩> 1954年
    
       
 この作品は、1954年、東京で開催された初めての油絵の個展に出品された。
この時期の作品は、中央に何か生きもののようなものを画面いっぱいに描いて、明快に塗り
分けている。瑛九は生き物を描いたわけではなかったが、この作品の場合は題名をきめてい
たようで、どこか擬人化しているように思える。
         
 瑛九はキュビズムの画家ピカソからの影響を受けた。キュビズムは自然の形態を解体・単
純化し、あるいは見る角度を変えてとらえ、それらを組み合わせ画面に再構成するものであ
る。この作品はピカソの1925年ころからの人物画と共通する点が多い。人物を曲線でと
らえ単純化している点、立体感を無視し色面で構成する点、横向きとも前向きともとれる顔
の描き方などである。                               
         
 しかし、この後の瑛九の展開はまったく違ったものであった。ピカソの絵があくまでも対
象の形態を基本としているのに対し、瑛九の絵は具象的なものをまったく排除した抽象表現
へと向かっていった。
     
      
                   花火  <ガラス絵> 制作年不詳
   
   
 瑛九は、小さい時から花火とサ−カスが好きであったという。
 彼は、さまざまな表現手段を用いて制作を試みている。これはガラス板に裏側から油絵具
で描いたガラス絵である。
 この作品は、赤、青、黄の原色を基調として、ガラスを通した透明な効果とあいまって、
より色鮮やかな画面をつくりだしている。荒々しい筆づかいと引っかいた自由な線には、花
火の夜の楽しさが抽象的に表現されているように感じる。
   

森の二人




            森の二人 <エッチング> 1954年
 瑛九は「銅版にキズをつけて、スレばよい。深く彫れば強くなり、弱く彫れば弱くでる」
「僕はエッチングの銅版を前に置くまで頭はからっぽです」という。
     
 瑛九の特色は下絵を描かず、銅版に直か彫りしていたが、その線はいささかの迷いもなく
沸き上がるイメ−ジを伸びやかで生き生きと、明確な線で刻み込んでいる。
 自分の内からあふれでるものに追われるごとく、次々と刻まれた線がしだいに形となり、
形から新たな形が生まれ、そしてイメ−ジは次々と増幅していったかのように、瑛九独自の
幻想の世界が生まれている。
        
 この作品では上部に二つの顔があり、その周囲には森の木、魚、ヌ−ド、奇妙な有機的フ
ォルムが画面いっぱいに隠し絵のように埋めつくされ、不思議で幻想的な世界が表現されて
いる。
 瑛九の作風は、鳥や馬などの動物、裸婦、家や街を使ったシュ−ルレアリズム風なものに
はじまったが、具象的な形は次第に消え、有機的な形に変化し、最後には晩年の油彩の点描
作品をおもわせる円や線そして点による抽象表現へと進んでいった。
        
 版画というと、日本では木版画を意味するが、欧米ではエッチングや石版画が画家自身の
手になる版画として愛されている。レンブラントはじめほとんどの偉大な画家たちがエッチ
ングを手がけているが、日本ではごく最近まで軽視されてきた。
 啓蒙家でもある瑛九は、「日本は、浮世絵のために、世界の版画国と思われながら、日本
の現代版画家たちの手になるエッチングや石版がないのは残念だ」と言い、「僕の創るエッ
チングがいくらかでも日本の現代版画を前進させる一段階となり、鑑賞の手引きになり、多
数のエッチング愛好者を見いだすことができたらうれしく思う」と述べている。  
    

   
     



旅人

                

             旅人  <リトグラフ> 1957年      
 1956年、瑛九はリトグラフの制作に没頭するようになる。
 この作品が制作されたのは、油彩画が抽象表現へと移行する時期である。       
           
 瑛九の複雑で強烈な感覚と思想は、表現が独自でますます複雑になりはじめた。あまり見
慣れない彼の作品を前にした人々は、似かよったパタ−ンを探すのに苦労し、見慣れないも
のに接する戸惑いを感じるばかりで、拒否反応を呈することがあった。
           
 それは人間の根本的な弱点として、ビションが狭く、限られるということであり、またす
べての生物は、数百万年にわたって生存競争に巻き込まれたために、人間は人間の内部に目
を向ける自己の享楽には、自動的にブレ−キがかかってしまうということである。
           
 瑛九のリトグラフもシュ−ルレアリズム的な作品から構成的な抽象表現へ、やがて点描の
抽象へと目まぐるしく展開する。                          
 そのなかにあって、この作品は多色刷りで瑛九独特の精神世界を表現した密度のある作品
となっており、シュ−ルレアリズム的な作品の集大成といえよう。この画面の奥行きのある
深い森のなかに浮遊する不思議な物体、その中をさまよう人物など、暗い色調のなかで、現
代人がはらんでいる不安や憂鬱などを暗示しているかのようである。          
 この作品は親しみやすく愛好者が多い。

   


           

風が吹きはじめる                        

                

    風が吹きはじめる <リトグラフ> 1957年           
 僕は、今この絵を見ながら書いている。
             
 それは、僕の机の向こう側の壁面にあり、赤、黄、黒の3色刷りのリトグラフとしては、
かなり大きく、全紙の大きさがある。描かれているものは、具体的なものは何もなく、丹念
に拾つて行くと、魚のような、鳥のような、ジェット機のような、ツバメのような、旗のよ
うな、イルカのような、すべてような抽象的なものだけである。
                
 この乾燥した空気を感じる場所は、日本ではないだろう。シルクロ−ドの果てか、モンゴ
ルか。確かに右から左へ風も吹きはじめているような動きがあり、黄色くかすむ小さな太陽
のようなものも見える。
 瑛九は、いつも題名にはこだわらず、自由に見るようにといっていた。しかし、「都は、
題名をつけるのがうまいね」と瑛九にいわれ、「この作品の題名もそのひとつです」と、都
夫人は話していた。
             
 このすべてが「ようなもの」としか言いようのない絵は、見る日、気分によっても変化す
る。とにかく具象的なものは何ひとつないので、まったく自由な空想の世界へ幻想は広がる
一方である。家族の見方も遊園地のようだとかサ−カスのようだとかまちまちである。
 この作品は、もう半年も前に入れ替えたままで、いやでも目に入る場所にかけられている
が、いまだに飽きることがない。
             
 瑛九は、晩年の3年間で最も充実した抽象の世界が開花した。瑛九の精神は具象の世界か
ら解放され、自由なイメ−ジから生まれた色彩と形が画面を覆い、快いリズムをつくりだし
瑛九が求めていた抽象の世界に近づいた心のときめきを表しているようである。

   

  


                 

田園 B                             

                

      田園 B  <油彩> 1959年
 この作品は、深く、輝くような青い空間に様々な点や丸がうずめつくされている。   
 瑛九は目に見える表面の形を描くことでは、本質に迫れないとの思いから、抽象に向かっ
たのであろう。                                  
 小さな丸や点の色は、それぞれが独立しているようであるが、作品の前に立つと、それぞ
れの色はとなりの色と響き合い、見るものを不思議な世界へ誘い込んでくれる。     
 また、色の濃淡、明暗によって、画面は盛り上がったり奥に入ったり、運動を繰り返して
いるようにもみえ、彼のデリカシ−に見る人はひかれ、魅惑される。
              
 この作品は、瑛九が自分の表現に到達したと納得する点の作品に、のぼりつめてゆく段階
のもので、青い画面の中に、宝石のような無数の丸が浮かんでいる形態は、瑛九の作風が点
描の抽象へむかってゆく過程で現れてきた、代表的な作風のひとつである。
            
 題名の「田園」は、具体的な田園というモィ−フを意味せず、この絵のイメ−ジからつけ
られた言葉ではないだろうか。
 ここでは、現実の世界から瑛九の感じとる本質が、瑛九の精神世界を創りあげている。
 この一連作のスタイルは抽象表現主義と呼ばれてよいだろう。
          
 この作品は、宮崎県立美術館の隣にできた新しい県立芸術劇場の緞帳として、西陣の織物
でも作られているが、これだけの大きさになると、また新たな迫力のある豪華なア−トにな
っていた。

   

  

                                      

つばさ                      

                

    つばさ  <油彩>1959年
                          
 イメ−ジは精神の純粋な創造物である。
         
 瑛九は激しい内部葛藤と卓越した創造力によって、拡大した精神の自由を駆使して、いっ
そう広範な自由を培い、内部に目を向けて燃焼し続け、彼の固有な思想を造形化した。
 点を打つという単純なスタイルではあるが、自分の思想を画面に焼きつけるがごとく、イ
メ−ジは宇宙的な広大さをもつにいたった。
     
 この作品は、他の作品の点にくらべてやや薄く、研ぎ澄まされており、上部にまとまった
凝縮された色点がある。その細かな点は動きはじめ、見るものを作品の中につつみこむ。単
に鑑賞する作品ではなく、瑛九の精神を体感させてくれるものとなっている。まさしく瑛九
の生命をたたきつけた絶筆である。
           
 都夫人は、「この絵を見るのは、怖かった。あの頃、瑛九の命がこの絵の中へぐんぐん吸
い取られて行くように思えた」という。                       
この絵は、1959年から死の直前まで描かれ続け、サインのない絶筆となった。高所恐怖
症の瑛九が、高い脚立に上がつて描き続け、それは昼夜を分かたず、夕食に何を食べたか分
からぬような状態が続いた。                           
     
アイオ−は、『この点の下にはそれこそ無数の丸が描かれ、更にその上に無数の点が瑛九
の命をかけて描かれていったのだ』と友人に説明していた。   
      
 僕はこの絵に直面した時、それは広大無辺の広がりを見せる銀河を思わせ、私には、瑛九
が霧のようにこの絵の中を自由に出入りしているようで、どうしても死んでしまったとは思
えなかった。瑛九が逝ってからもう40年になるが、僕にはまだ数年前のことのようにしか
感じられない。

   

  

     

     

     

メガネと瑛九と

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