東人の新居浜生活/近郊の観光地/新居浜市内/吉岡泉
新居浜の小学3・4年生の社会科の副教材に
「わたしたちの新居浜市」というものがある。その中に、4年生で学習することになる吉岡泉のことが書かれていた。
新居浜の国領川の東側の川東地区に農業用水を供給するために開発された水源とのこと。
地図で調べると、国領川の西側、国道11号線の南側にあるようだ。
吉岡泉の周りはフェンスが設けられて立入禁止になっていて、住友化学が管理していた。
周りを歩いてみて、吉岡泉の一部が観察できた。
この泉は、明治中期に吉岡為造の所有地であったが、その後、明治32年(1899)の大洪水で埋没して荒れ地となったという。
明治39年(1906)、山下市太郎が泉源開発を計画した。その後、県会議長となった大原正延を経て、小野寅吉が県会議員となり泉源開発を推進した。
少し下流には高柳泉があり、高柳泉の利用者からの反対もあったが、小野寅吉の働きにより開発が進められ、大正5年(1916)に着工し大正6年(1917)に吉岡泉が完成した。
その後、大正9年(1920)に水路工事に着工し、翌10年7月に完成して通水が行われた。
吉岡泉の開発に功績のあった小野寅吉の銅像は、国領川に架かるJR鉄橋の近く、岡崎公園の中にある。