(当家の由来) 当家の祖先である堀川内記は安徳帝の御典医として治承・養和・寿永のころ宮中に仕えたが、平家の都落ちのとき安徳帝を供奉して屋島に逃げのびた。 平家滅亡の後、残党と共に祖谷に入山した内記は、祖谷の山野に薬草の豊富なことに驚き、深山を散策して秘薬を採集し、当地で医を開業し諸民に医療を施すとともに、神官を兼ねて医業を行っていたが蜂須賀入国のときは反旗を翻し戦い負傷者の治療に当たった、祖谷軍が破れ堀川家も罰せられたが、後に赦されて、西岡名主となり、姓を西岡の地名をとり西岡内記と名し当家の初代となった |
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大歩危から祖谷に向かう途中に平家屋敷がある。
江戸時代の民家の中に、鎧や古文書などが展示されている。 展示物には、昭和の前半の物もあり、懐かしく感じられた。 |
当家の建築について (合掌造り) 当家の建築は特別な建方をしています。 内部は全部(けやき)の大木を組んで造られ、天井はなく普通の家の三階のようになっています、また屋内には壁や押入がなく家の中が一つの部屋になり、屋根は部落共有の茅野から刈られた茅で葺いてあり、室内の「いろり」で年中火を炊く「いろり」はことにより50年の風雪に耐えることができます。 |