市内、多喜浜駅の南側に、新潟から古い民家を移築して一般に公開している「又野山荘」がある。
多喜浜駅の近く、スーパーマーケットM2の脇を入り、踏切を渡ると案内板が有り、案内板に従い進む。
途中には、多くの彫刻が立ち並ぶ。
さらに進むと頂上の又野山荘母屋に到着する。
室内から見た茅葺き屋根 | デイの間の床の間に架けられた、弘法大師像 |
二階の窓から見た新居浜市街と瀬戸内海 | 茶室「竹寿庵」 |
高度な経済成長により日本の生活文化は急激に近代化し、古い民家や生活民具が次々と消えうせようとしています。 しかし民家や民具は日本の風土に根ざし長い風雪に耐え、きびしい自然と共に生きてきた先人の知恵と手垢の中に人々の苦労や勤労の喜びがしっかりと刻み込まれており、現代に何かを訴えています。 私達はこの伝統文化を永久に保存継承しようと、250年前庄屋として建てられたこの茅葺民家を新潟県中魚沼郡より移設復元致しました。 この建物は寄せ棟合掌造り家形式といわれ欅造りで、雪の多い地方独特の建築方式がとられています。 青空を切り裂く様に一直線に切りそろえられた軒の茅やなだらかな曲線をえがく屋根の勾配の美しさに職人の伝統にこだわった名人技をみることができます。 屋内に一歩はいり見上げるとむき出しの茅が目に飛びこんできます。 欅の太い柱や梁は全て組込みで釘は使っておりません。地震や雪の重みに耐える様配慮された先人の知恵が生きています。 入口正面、土間から続く部屋が座敷です。イロリがあり、年代を感じる自在鈎が下がっています。 イロリ縁に向かって右側がヨコといいこの家の主人が座る場所でした。左側がカカザといい奥さんが来客にお茶を出す為座る場所でした。 座敷の右側の部屋がデイの間といわれ、合計21帖あります。普段は滅多に使われず、冠婚葬祭や村の集会などで使われました。 その奥にあるのがオクの間といってこの家のご隠居さんの部屋でした。 移築後炉を切り茶会が出来る様改造を加え、床の壁を動かして市内と瀬戸内海の眺望を楽しめる様にしております。 座敷の左側の部屋はニワと云い家族の居間でした。 ここにもイロリがあり、厳しい自然環境の中家族が肩を寄せ合って 生き抜いてきた息遣いが聞こえてくる様な気がします。 そのすぐ横に台所がありますが、ここは元は厩で農機具が機械化される迄は農耕用の馬が飼われて居りました。人と馬が同じ屋根の下で生活する雪深い国の状況が彷彿として目に浮かんできます。 黒光りする使い込まれた民具雑器類は、この家で江戸時代から明治にかけて先祖代々大切に使われてきたものです。雑然と置かれている様ですが、手にとって木のぬくもりを味わって下さい。 急勾配の階段箪笥を上がると2階です。ここは戦前迄はカイコ部屋でまゆをとる為柵が並んでおり、板間でしたが移築後畳を敷き、居住が出来るようにしています。 頭をうちつけそうな所に大きなハリが3本通っていますが長さが15mあり、継ぎ目の無い1本物の材が使われ茅と雪の重みを支える構造となっています。 雪深い場所の建物ですから2階の窓から外へ出られる様、小型の階段箪笥も備付けられ生活の工夫が見られます。 一歩外へ出て欅・紅葉の林を南の方向へ「清心の道」を30m程歩くと竹林の中に「竹寿庵」が見えてきます。待合を備えた本格的な茶室です。 若竹がのびてくる頃は京都嵯峨野を連想させるタタズマイをみせてくれます。茶室内部には奥村土牛画伯の「花を花とみて、花とみず」の茶掛がワビサビの世界をかもし出しています。 茅葺母屋の北側の赤いベンガラ壁の小屋にもイロリが切ってあり小人数での団らんが楽しめます。その裏側には自然石を配した露天風呂があり、茅屋根をバックに行灯に照らされながらの入浴は価千金です。ろうそくの柔らかな灯火が人影を幾重にも映し出し、幻想の世界へ誘ってくれることでしょう。 回遊式の庭園は自然の背景や地形に逆らわずそこにある自然の石や草木を活用し、四季折々に花を咲かせ実をつける雑木、野草、山草を組合せ、野鳥の楽園となっております。 又、庭園内のあちこちに著名な作家の彫刻や石仏が配置されておりますので合わせてご鑑賞下さい。 茅葺母屋の裏庭から西北の方向を見ると市内と瀬戸内海を一望にすることが出来ます。特に夏の夕日が瀬戸内の地平線に沈んでいくさまはまさに一幅の名画を見ているようです。 ご来場の皆様にはこの茅葺民家を日本古来の伝統文化として、山全体を文化財の統合美としてとらえて戴き、大切に次の世代迄継承していただきます様お願い申し上げご案内と致します。 |