東人の新居浜生活/近郊の観光地
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満濃池
満濃池
香川県満濃町には、周囲約20km、貯水量1540万トンの日本一の灌漑用溜池である満濃池がある。
この池は大宝年間(701〜704)に、讃岐国守道守朝臣の命により築かれたものが最初と言われている。その後、度重なる洪水により堤が決壊していたという。
818年にも洪水により決壊し、朝廷の築池使である路ノ真人浜継が、修築の為に派遣されるが工事は困難を極めた。
弘仁12年(821年)国司や民百姓たちの願いにより、空海が改修工事の監督として迎えられた。空海については、「百姓、恋慕うこと実に父母の如し。」と評されるほどに民百姓たちから慕われていたという。
空海は『逆アーチ型』の堤防を築くことにより、僅か三ヶ月程で修築を成功させた。
その後、1628〜1631年に讃岐領主生駒家四代高俊が家臣の西嶋八兵衛に命じ、ほぼ現在の形が出来上がったと言われている。
満濃池の畔にある小さい丘には、満濃池の守護神である神野神社がある。
神野神社と鳥居
神野神社は、満濃池の守護神として奉斎され延喜式内讃岐二十四社の一つに数えられた古社である。
祭神は、天穂日命、水波能売命等四柱がある。
正治元年(1199)2月12日矢原庄司義宗によって再建以来、寛永5年(1628)萬治2年(1659)宝暦4年(1754)文化元年(1804)文政3年(1820)明治3年(1870)等の池普請の度毎に社殿の造営が行われ、昭和28年(1953)の満濃池拡張大工事によって現在地に遷座したものである。
社前の石造鳥居は、文明2年(1470)の建造で、本町内最古の鳥居である。
昭和五十年十月
満濃町教育委員会
満濃町文化財保護委員会
(注)所在地 大字神野
満濃池の水は堤防下の樋門から出て金倉川となる。
樋門から金倉川周辺は公園として整備されている。
満濃池樋門は有形文化財として登録されている。
満濃池樋門
わが国最大の農業用ため池である満濃池は、貯水量15,400,000m3で満水面積138.5ヘクタールを誇り、丸亀平野を潤し、瀬戸内海に注いでいる。
満濃池の樋門及び底樋管は、弥勒石穴建設で信望を得た軒原庄蔵が、安政の地震で決壊した満濃池堰堤下の石樋に代えて建設するに始まる全長197mの底樋隧道とその出口である。
坑口周りに五角形の迫石を用い、石造のコーニス、袖壁、柱頭付端柱とで坑門を飾る。
文化庁登録有形文化財認定日 平成12年2月15日
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