東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内真星神社

真星神社

 星原町にこの真星神社がある。
 この辺りに昔、隕石が落ち、その隕石を祀った神社のようだ。
 星原町という地名も星が落ちた場所ということでつけられたのだろう。
 
 ここは、昔、市が開かれていた場所でもあり、新居浜市の史跡に指定されている。

 
史跡 古代市場の発生地星原

 
 往古この地に隕石が落下し里人は一小祠を建立し星の宮真星神社、星原神社等と呼称して信仰し平安時代以降この神社の祭典の日に、物々交換の市が行われるに至り毎年七月十四日より二十六日までと、十二月十四日より二十八日まで市が開かれ近郷近在より数千人の人々が訪れ賑わいを呈し星原市として世に知られ一般庶民から喜ばれていたが大正初年から市が廃止された。
 昔この地方は法隆寺及び東大寺の荘園となり東大寺の庄官が東台神社の東側に住居し余剰物資を里人と交換するため、この星原神社の祭典の日に境内に於て市を開いたことに起因し古代商業発生の地として新居浜市が史跡に指定したものである。
 昭和五十二年四月七日 新居浜市教育委員会
 
 真星神社の奥にタヌキが祀られていた。
 

 
星の宮のお狸さん 

 
 隕石が落下して千三百年近くになると言われている。
 古くからこの辺りに市が立ち、商売発祥の地でした。
 この境内にあった楠の大木に雷が落ちて、焼け木の中に狸が住み着き、近くの岡田さん夫婦に聞いた話によると早朝「オバヤン、オイヤン」と声をかけるので出て見ると、表に野菜を置いてくれていて、カランコロンと下駄をならして星の宮の方へ帰って行く後姿をよく見かけたとか。
 支那事変で、兵隊さんがコーリャン畑で、餓死状態になっているところへ婦人会に化けて、兵隊さんをお接待した。食べ終わって飯盆を洗ったら星の宮と書いてあったので、隊長が皆に「星の宮を知らないか」と聞くと、寿町出身の人が「私所の近くのお宮です」と言いました。星の宮の狸は人助けをする利口なお狸さんでした。
 昭和四十五年頃まで、北内の渡辺彦吉さんと言う人が「私が星の宮を掃除していると、正さあん、遅くなると狸に化かされるといけないので帰ろわい」といっていた。
 
 平成八年五月吉日   
 文責 星の宮保存委員会 会長 下川正
 書              沼田浩夫