東人の新居浜生活/近郊の観光地西条市石岡神社

石岡神社


   西条市内から西方面に向かう道の一つに、田畑の中で真っ直ぐに作られた広域農道がある。
 その広域農道が終わり、国道11号方面に向かう途中に石岡神社がある。
 
 石岡神社は広大な社叢で囲まれた神社で、その社叢は市指定の天然記念物となっていた。

市指定天然記念物
 
 石岡神社社叢
 
 この社叢は常緑広葉樹の暖地樹林で昭和45年の10号台風で多くの巨樹が倒れた後もなおおごそかな雰囲気を保ち、また学術上樹種の研究にも役立っています。
 社叢を形づくる樹木の中で主なものは、大きい樹木でイヌマキ、クスノキ、エノキ、ホルトノキ、ミミズバイ、ヤブツバキ、小さい樹木では、クサギ、マサキ、ネズミモチ、ヒサカキ、サガキ等があります。
 天正13年(1585年)小早川隆景がこの台地に布陣して、高尾城を攻めた時、付近一帯に火を放ったと伝えられているが、此処に茂る社叢の中には当時の樹木も残されていると思われます

  昭和44年11月3日 市指定
 
 
  西條の歴史探訪 (明比学 著 昭和60年)には、以下のように記されている。
 
 石岡神社 氷見乙1368番地
 
 当社は旧橘郷(現在の氷見・橘の校下)の産土神として祀られ、旧県社である。
 祭神は誉田別命(應神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・三女神を主祭神として祀る。
 当社の由緒沿革は、神功皇后が三韓から凱旋の際、皇子を奉じ、武内宿祢と共に此の岡で、天神地祇を奉斎されたという。その後貞観元年(859)、宇佐より八幡神を勧請奉祀したと伝えられている。
 延久5年(1073)8月15日、後冷泉院の遺勅によって国司源頼義が、国中に18社準八幡宮を建立の時、その18社に列し、再興されたが、元亀、天正の頃、数度の兵火に罹災し、後に玉井民部忠良が旧地に仮殿を営み、文禄年間に神殿を改修した。
 寛文10年(1670)、西条藩主松平頼純が、伊曽乃、一宮、黒嶋の三社と共に藩社とされ、累代藩主の尊崇をうけ、元禄2年社殿を建立した。
 明治5年郷社に列し、同17年県社に昇格、昭和21年、南海地震により拝殿納殿等倒壊したが、同29年大拝殿を落成した。昭和55年10月1120年祭を執行した。
 社叢は数千坪に及び巨木鬱蒼と繁り、桜とつつじの名所である。
 400年前の天正陣には、小早川隆景はこの台地を高尾城攻めの拠点としたというが、その当時の楠が社叢に今尚残っているように思われる。市指定天然記念物である。(「愛媛県神社誌」)