武丈公園は、江戸時代末期、明神木の庄屋加藤定右衛門が、加茂川の清流に洗われるこの地に住居を建て「武丈庵」と称し桜を植えたのが始まりと伝えられています。 この公園の桜は、笠桜・彼岸桜・八重桜・染井吉野など30種類もあり、春には、八堂山中腹の百桜園(百余種類の桜園)と合わせて、約1,200本の桜が咲き乱れます。 右手に見える小高い山が八堂山で、約1kmの八堂山遊歩道を登りきると弥生時代の遺跡があり、当時の住居や倉庫が復元されています。 |
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西条市名水・名木50選 愛媛県下でも有数の桜の名所となっている武丈。 約百種、千五百本の桜並木は、春になると加茂川堤にいくつもの花のアーチを作り出します。 天保年間に、加藤定右衛門(俳号武丈)という風流な歌人がいて、ここの風景をこよなく愛し、付近にたくさんの桜を植え、風月を友として一生を送ったと伝えられています。 人々はここの桜を定右衛門の俳号をとって武丈桜と呼んだことから、当地の地名となったということです。 平成三年三月選定
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加茂川をうたう はっきり みえて 水底の秋 山頭火 この句は、漂泊の俳人、種田山頭火が四国遍路の途中、昭和十四年十月十三日、小松の香園寺を早朝出発し、「吉祥寺」、「前神寺」の札所を巡り経てここ武丈渓に旅杖を止め加茂川の源流をすくって味わい詠んだものである。 ここに、郷土の自然の恵みの中から息ぶく市民の心を育むため、この句碑を建てる。 平成三年十月十日 西条ライオンズクラブ |
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武丈公園の中に、屋根が設けられて風雪から守られた石碑がある。 石碑の文字は風化が進み、一部読めなくなっている。 これが、「釜之口の石ぶみ」であり、西条藩第三代直興の時代に大町組大庄屋の田中喜兵衛が、加茂川用水の取入口である釜之口付替工事を命がけで実施し、西条の中心部を水害から守り、水利が改善されたことを讃えて、嘉永5年(1852)に建設したものという。 保存のための屋根は昭和3年に建設されたものであった。 |
武丈公園の近くに架かるこの橋は、正式には「伊曽の橋」という。
この橋は、車は通行できず、歩行者や二輪車などが通行するものである。 この橋の中央部の欄干には鉄琴が並べられている。 鉄琴の始まりと終わりには叩くためのバチが備えられ、鉄琴を順番に叩きながら歩くと音楽が奏でられる。 東から西方向で「さくらさくら」、西から東方向では「ふるさと」のメロディーになる。 |
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