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Poetry and Music |
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この度の作品27によるイメージを詩の形でお伝え申し上げましたところ、早速のご返事を頂き、また温かい評価を賜り誠に有難うございます。これも前回の村山作品の前期の集大成としてのOpera化という、大事業とは異なりひとつの曲から得るものを、詩に託するということが自然に行われたという、幸せな環境が既に出来あがっていたのですね。私が学生時代から求めて止まぬ音楽上の永遠のテーマは、五音音階による研究と作曲でした。ルネサンス以前の世界の音楽が主として五音音階で作られていたからです。西欧の教会から現代の音楽の基本綱領が出来あがりましたので、ルネサンス以前の音楽は、「民族音楽」として軽視されつづけてきました。学生時代の終わり頃には、西欧音楽も一地域の音楽に過ぎないと気づきました。こうして、五音音階の研究が始まりましたが、卒業と同時に余りに多忙な職業のために、音楽と詩の研究と制作が止まっていたのです。それから35年後に、村山作品に出会うことによって、一気に出発点に帰ることが出来ましたのは、人事ではなく神の深い思し召しと存じます。詩と音楽は不可分の関係にあります。詩は歌うために作られて来ました。音楽もまた、歌うために作られて来ました。音楽はまた、踊るためというもう一つの重要な役割があります。詩と音楽と舞踊は、いわば三位一体の関係にあるのでないかと考えて来ました。この歌舞樂曲の理想を実現しているのが、本来のオペラの筈ですが、現代ではミュージカルがその伝統を受け継ぎ発展させていると考えられています。踊る要素をなくしたオペラに替わって、ミュージカルが躍動しています。また、全編を詩で綴るオペラに対して、ミュージカルでは口語体の台詞が取り入れられました。オペラでは、半分歌と半分会話のような、不自然なレチタティーボで繋いで来ましたが、オペレッタでは既に台詞が登場していました。 一方、詩については百年ぐらい前までは、韻文詩という押韻を基本綱領とする形式に縛られた作詞が長い間行われて来ました。その束縛から解放するために自由詩が生まれましたが、現代詩は形式を全く失ってしまったために、詩の本来の目的である「歌う」ことが出来なくなりました。その形のない自由詩を無理に歌おうとして、現代のポップスの様に、今度は音楽の形が崩れてしまったのでではないかと推論して来ました。 歌うことが出来る詩の形は、ある程度音楽の基本を尊重しなければ歌えません。押韻が難しいのであれば、押韻は百歩譲って韻を踏まなくても良いことにしましょう。でも、詩の形は音楽の基本構造に合わせなければ、歌い続けられないことになります。こうして、自由でありながら歌うための形式は残す「自由定型詩」の研究を始めました。この自由定型詩の研究は、古今東西の詩の歴史から研究しなければなりませんでした。幸いにも、京都時代の私の恩師は医学者ではなく、ドイツ文学者で、「ドイツ語の詩型」の研究者でした。その後、詩の世界では、圧倒的にその歴史の長大な中国の詩型を研究しなければ先へ進めなくなりました。押韻は元より私が目指す、「自由定型詩」の型が既に1000余もあることを発見して、自ら創作することの愚かさを知るに至ったのでした。恩師にそのことを生前にご報告すると、喜んで下さいましたが、私の作品をお届けする前に他界されました。名曲の名演奏を100回以上聴く事は、学生時代に既に始めていました。短歌や俳句にも挑戦しましたが芽は出ませんでしたが、古代の日本では、短歌に対して「長歌」があった事に気づかされました。この長歌こそ私が長い間求めて来た詩形であったのです。そのように貴重な長歌ですが、万葉集でもわずかに260篇程度しか記録されていないのです。それならば、現代の長歌を研究して作詞することを始めたいと思っている時に、オペラという圧倒的な音楽劇に出会ってしまいました。それからオペラの主要作品を聴く期間が長く続きました。でも、オペラも既に新しい作品はなく過去の遺産になっていました。ドラマの研究には、もちろんシェイクスピアの主要作品を見ない訳には行きませんので、BBC制作の作品を熱心に見ました。 こうして、詩と音楽に関して長い旅を続けて来て今日に至っています。私には村山作品に出会った時に、その音楽の基本に忠実で無駄のない高い感性による音楽性に共鳴できる素地を持ち合わせていたことにもなります。将に、「求めよ、さらば得られん」という言葉の通りでした。まだまだ職業的な仕事が忙しくて、詩作と作曲に時間を十分に投入することが出来ませんが、寸暇を惜しんでも前に向って行きたいと念願しています。作品27はそんな私への大きな励ましとなりました。改めて厚く御礼申し上げます。急いで書いた即興詩ですが、村山作品の心をいくらか汲み取ることが出来て喜んでいます。貴ホームページへの転載はどうかご自由に、私にとっても嬉しいことでございますから。今日は私の詩と音楽への研究の歴史をご紹介申し上げました。私の目指して来た音楽が、既に村山作品に多くあるということをご理解頂くために長くなりましたがお話申し上げました。 私の活躍できる期間はせいぜい20年しかありません。オペラ作品もいくつ書けるか分かりません。私の出来ない分はきっと村山さんが世界の音楽史に残る作品を書いて下さると信じて、私も余生を楽しみたいと思います。本当に有難うございました。(9 Oct 2000) |
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