援助活動12月13日
ペシャーワル
 ぺシャーワル近郊の難民キャンプ訪問、家はすべて土を塗り固めたものである。
このキャンプで最も重要な井戸とポンプ。このキャンプの800世帯はこのポンプ1台のお世話になっているという。靴や古着などが行き渡っているようだ。
ぞろぞろと集まってくる難民たち。その中で説明をうけるあぶ。
集団の後ろには女の子も興味を持って集まってきている。
路地で遊ぶ女の子たち。
ペシャーワル郊外の田園風景。土の塊に見えるのは民家。
パキスタン政府のアフガン難民事務所。
国連難民事務所での手続きは、団体名を申し出て、援助金を手渡すだけで、国連がすべてやってくれるというもので、最も手間がかからず楽な方法で、ほとんどの団体がこれを利用するようである。もちろん、その現場を見届けたり,お手伝いすることも可能であるそうだ。これでも、いいのだが、必要な人に確実にイードの前の日までに手渡したいという私たちの趣旨を満たすやり方ではないような気がした。また、リビア大使も、手作りの援助をするならば国連の面倒な手続きを行なうよりは、パキスタン政府が行なっているアフガン難民事務所で,配布許可を取り、自分たちの手でやればいいと,アドバイスをしてくれたいたので、この事務所にやってきたのである。
 募金してくれたみんなの気持ちを伝えるには、簡単に妥協せず、何にでもこだわっていくという方針の私たちであった。
 この事務所で配布許可を取りに来たのだが、事務所側は、ペシャワル近郊の難民キャンプへの援助は必要ないと主張し、かわりにイスラマバード近郊のハリプールを指定した。
 これを聞いて驚いたのはヤーセル氏であった。ハリプールは以前からある難民キャンプで、絨毯を生産し海外へ輸出するまで生産活動を活発に行なっている地域である。近年の不況で、輸出量が減っているとしても、食糧を援助するような難民キャンプではないという。ヤーセル氏はこれはおかしいではないか、とハリプールでの援助活動に消極的であると言ってきた。
 相談相手を変えて、写真の事務官へ再度検討をお願いした。やはり、ハリプールだという。そして、援助実績を見せてくれ、ペシャワル近郊は援助したばかりだという。だから、ペシャワルへの許可は出さないという。事務官が考えてくれ、コハートという地名を挙げてきた。ヤーセル氏も、M.D.I.のメンバーも、シャムス氏も知らない場所であった。そこの許可証を書いてもらいコハートへ行くことにした。
 
 コハート行きですべてが合意して、さあ行動開始である。事務官と記念撮影。
 私とヤーセル氏はM.D.I.メンバーとコハート視察へ、A氏はシャムス氏とイスラマバードへ行きすでに発注しているファミリーパック作成工場視察と支払いへと二手に分かれて行動することにした。
ペシャーワル郊外の幹線道路沿いの難民キャンプの子供たち
このキャンプは以前よりあり、子供の遊び道具まで完備されている。
古着を着ているのだろう。赤ちゃんの防寒着はフード付きで先進国から贈られたものらしい?とても平凡な村の風景のように見える。
無邪気に遊ぶ女の子たちは、パキスタンの子供たちと全然ちがわない。後ろの赤い服の子はブランコで遊んでいる。
ここの難民キャンプの中心となる市場。手作りだが、大商店街である。
産業もここにはある。
 ペシャーワルの南方に位置するコハートへ視察に出かけた。険しい山を越え、政府の権力が及ばないトライバル=エリアと呼ばれる無政府地域を越えていく町である。ここに私たちが支援する場所があるのだろうか?この写真はコハートを見下ろす峠から撮影したもの。
 岩の塊のような山肌を削ってできた道路が見えますか?ここを通ってきました。ハンドルを切り間違えばまっさかさまに転落。ガードレールの代わりに、石を並べてただけの道路でした。途中、渋滞したのですが、どうも後で知った話しでは、負傷したアラブ兵がこの峠越えの道で捕獲された時の渋滞だったようです。この辺境は、やはりトラボラでのアメリカの爆撃から逃れてくるアル=カーイダ兵士が逃れてくる場所なのかもしれません。
ひっそりとしたコハートのアフガン難民キャンプ。
コハートの難民キャンプ管理事務所。ここで、援助活動の打ち合わせを行なった。「キャンプで配布するのではなく、コハート郊外の倉庫で配布してもらう。」と所長が言った。さっそく、事務員に案内してもらい倉庫の下見に行くことになった。
 その倉庫は難民キャンプから15キロ離れた町の郊外にあった。行くまでに、町の中心を抜け、軍隊の検問をうけてから,やっと到着した。本当にここで難民に食糧を手渡すのか?
 私たちはイードまでに難民に食糧パックを手渡すのが目的である。ひとまずこの倉庫に収納して、ここで、配布するとして、軍隊の検問を通過して難民はここまでたどり着けるのであろうか?これは、単に難民事務所管理の倉庫に物資を置いて帰ってくれという意味ではないのか。その物資がどのように使われるのかわかりはしない。イードに食事をという私たちの目的は達成することができないのではないか。私たちはここを断念した。
 同時に難民事務所とこの地域の難民事務所の係わりに不信感を抱くことになった。
峠にある礼拝所で、冷たい風が吹く中、カスルジャマアの礼拝を行い、寂しく帰路についた。

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