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8年後の2010年9月に訪れた東平(とうなる)
 ヘジラ暦1431年のイード・ル・フィトルは西暦2010年9月10日金曜日であった。その日滋賀から訪ねてきてくれたマレーシアの留学生(マレーシアで昔世話になったバスリ師の子供)が、一泊して次の日の9月11日夜に帰るというので、新居浜の東平(とうなる)にある滝に連れていくことにした。8年前のムスリムキャンプで参加者を連れていき、天国のような場所と一部の参加者が絶賛した場所で、まさに秘境にある滝である。
 東平は、最近ネット上で『東洋のマチュピチュ』と紹介され、一躍観光スポットに躍り出た場所だ。もともと別子銅山に働く工夫とその家族3000人から4000人が住んでいた場所で、幼稚園、小学校、中学校、接待館、郵便局、電車駅、娯楽場など完備していた。その場所は、いまでも狭い道を車で何キロも上り、やっと辿り着ける奥深い山の上にあるのだから、まさに天空の城である。私が訪れた9月11日は土曜日ということもあり、駐車場がほぼ一杯になるほど、観光客であふれていた。8年前のひっそりした東平と比べれば信じられないほどである。
 東洋のマチュピチュ東平(とうなる)を実際の写真で見ていってもらいたい。

昔の東平(とうなる)の地図があった。
拡大画像が見たい。
索道基地跡 上から見た索道基地と貯鉱庫跡
選鉱場の壊れかけた柱の前で留学生たち インクライン跡。ここを左右2本のレールが敷かれトロッコが索道基地と東平の鉄道駅の間を上り下りしていた。現在は220段の階段に作り替えている。
住宅は、段々畑のように建てられていた。今でも東平のいたるところに石積みが残っている。 住居跡の幅は狭い。
電車庫(現在の駐車場)から東に別子銅山を臨める。 遠く新居浜市街地が臨める
鉄道跡 鉄道トンネルと展示されている鉱山運搬機器
東平から採鉱本部への道、途中に第3住宅跡があった。手すりの外は、険しい崖 坑道トンネル出口、この広場には鉄道が通り、採鉱本部があった。
第3変電所の建物 鉄橋がかかりその先は第3通洞
第3通洞内部、外気との気温差が大きく、中は霧がたちこめている。 第3通洞前を左にまがり、足谷川に沿って登ると、私たちが本当の目的地としていた滝がある。この滝は心を安らげてくれる。
 
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