タイトル | : 赦しについて考えていて混乱 |
記事No | : 6763 |
投稿日 | : 2013/09/03(Tue) 22:14 |
投稿者 | : sep |
アッラーは最も慈悲深く全ての罪をお赦し下さる御方、ですよね。 では、 対”人”に関する罪の場合、被害者側が許す許さない(許せない)というのは アッラーの”お赦し”には最終的にはあまり関係しないのでしょうか? 例えば被害者が許さない・許せない場合、どうなるのでしょう。 アッラーのお赦しだけを請い、沢山の善行をつめば、被害者の心がどんなに加害者を赦せなくても、(加害者は)いつかアッラーのお赦しを受ける事ができ、その事で裁かれる事がないのでしょうか??
そもそもアッラーの”お赦し”とは来世に関わる恩恵・懲罰であって、現世での恩恵や災難とは関係のないものなのでしょうか?
現世での目に見え感じられる恩恵やふりかかる災難の質・量が、単純に、アッラーに愛されているかどうかを知る秤になるとは限らない事は理解しています。 が、ということは被害者よりも加害者がその後も遥かに幸せに現世では暮らし続ける事はありえる、ということですよね?
また、被害者からの報復があった場合はそれによって最初の罪は相殺されるのでしょうか?
私達はいつでも加害者になりうる存在です。 そう思うと、どんな事でも赦して下さる事を望みます、ね。 でも一方で被害者になった場合を考えると、被害者の心の苦しみ(一瞬であるとは限らない)がまるで無視されて無罪放免となる可能性がある事に憤りを感じてしまいます。
これらの理由からアッラーにおまかせして、”赦せるように” 祈るのがよいという結論になるのでしょうか。 自分の罪を赦して欲しいと願うならばまずは自分が人を赦せるようにならなければいけないということ。わかっていても難しい事ですよね。 ”忘れる”は”赦す”とは違いますよね? 日頃忘れているけれど、ふと思い出した時に、当初のように憤慨もしないが、やっぱり”赦す”とは言えない、というのではまだ足りないのかな。
あと、加害者が悪い事をしたと思っていない(正当な事だったと主張する)場合、その行為によって傷付けられたり被害者側も、前に述べた、そういう”赦そうとする努力”というのは必要なのでしょうか? 赦すも赦さないも反省しても無い人に関係がないような・・
などと、色々な状況をひとりで考えてみていたら、どんどん混乱してきたのでとりあえず書いてみました。長々とすみません。
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