この にそえて ・・・ no.24


    

 今治・・・今治は昔伊予の中心地だった。 伊予の名族、越智氏がここを治めていた事もあるし、第一に本州と

   繋がる良港で島々が造る風誇負明美な海域は瀬戸内の要所でもあった。そのために、一帯には水軍が発達し

   来島、能島、因島の村上三氏は南北朝から徳川期までその力を世に遺憾なく発揮した。もとは海賊のようなも

   のだったかもしれないが、戦国の時代には強力な水軍である。慶長年間に関ヶ原の功で、城造りの名手とも言

   われる藤堂高虎が二十万石で当地に赴任し海水を堀に引いた、五層望楼の天守閣を持つ今治城を築いた。 

   当時の四国では、誰もが目を見張る程の絢爛たるものだったろう。 ただ、高虎が二十二万石余で伊勢に移封

   される時、この城を解体して伊勢に持っていったというので少し残念なことだったろう。 現在は新たに復元され

   て、伊予水軍の本拠地である来島の上には本州にまで繋がる、しまなみ海道の来島大橋が開通している。 


玉澄さんの大楠 目通り10☆7.9m/樹高22m/枝張り30m/愛媛県今治市別名/県指定天然記念物

《 乎致命の子孫、越智玉澄の墓標であるとされ、玉澄の墓が樹下に埋まっているとも言われている 》