私は天平を見た     ホンモノということ


「聖観音」<薬師寺東院堂>(国宝)
 
 この仏像は、青年の理想像といわれ、
もっとも女性に人気がある。
 肌にぴたりとまとったうすい衣をとお
して、はちきれるような若い肉体が見ら
れる。また衣文線は美しい曲線を描き、
よどむところがない。
 像の上下の対比、整ったその見事さは
いうに及ばず、もとどりの模様、腰の飾
り物に至るまで優れた鋳造技術をもつて
造られている。           
  この像から受ける感動は、ギリシャ彫
刻の影響を受けた端正な容姿と初唐様式
を基調とする古典的な美しさである。






ホンモノ ということ

 
 「日頃、良いお茶を飲んでいれば、まずいお茶は一口で分かる。」         
 これは教師の父が、中学時代の私に垂れた簡明な教えである。 つまり、「本物を知れ」
 ということである。
          
 また、父は着物を買うときには、「絶対に安物は買うな、3枚を1枚にしても」という。
 「良い物を着ていれば、いつ何時、どこへ行つても恥しい思いはせず、気分がいい。また
 傷みにくくて長持ちもする。すり切れるまで着れるものだ。」という。確かにそうだろう
           
 しかし、母の話によると、明治生まれの父は、完全な家長関白、変な昔気質というのか赤
ん坊の私を一度も抱いたことがなく、母と女中さんまかせであったという。これではスキン
シップ不足ではないか。私の反逆的、あまのじゃく的性格の遠因かもしれない。
             
 スパルタ教育を信奉するかのように思えた父は、今でいうツッパリ中学生の私にとっては
煙ったい存在そのもので、意識の底では何でも反抗していた。しかし、この父の教えだけは
素直に受け取れ、それから先の私にとって、「生涯、有難く、懐かしい指針」として生きつ
づけた。




私は天平を見た

 私が丹平写真倶楽部へ入会できたのは、親戚の知人である丹平会員の奈良の藤井辰三さん
の口添えによる。藤井さんは喫茶店の主であったがその方は奥様まかせで、好きな写真の延
長から奈良県観光課の仕事もしていた。後に私の気質を見抜いてか、この仕事を手伝ってみ
ないかと誘ってくれた。普通の資格では撮れないので、私は一応、奈良県観光課の嘱託とい
う身分で、国宝の仏像や建造物の撮影についていった。
     
 藤井さんに教わりながらの私の手始めは、天平時代の国宝仏の宝庫といわれる東大寺の三
月堂から始まった。
 何も分からぬ私は、不遜にも写す相手が国宝仏なら不足はない、などとうそぶいていたが
これがなかなかの代物であった。等身大の仏像は台座を含めると8尺(2.4m)もあり、
この顔のアップを撮る時などは、2段重ねの机の上にキャビネの暗箱カメラを立てて撮る。
 照明はストロボなどのない時代、国宝の建物では大容量の照明やマグネシュウムは火気厳
禁で使えない。やむを得ず大きな鏡で、戸外から太陽光を引き込んで銀レフで反射して照明
した。こんな条件では、感度の遅い乾板で小絞りにすると30分も露出がかかる。    
                      
 さて、シャッタ−を開くと、もうまったく動けずクシャミもできない。少しでも動くと粗
末な造りの机が揺れ、カメラブレでおしまいである。こうなると、やむをえず30分もの長
い時間をすぐ真近の仏像の顔をまじまじと見たり、天井をながめたりで過ごすことになる。
この繰り返しは、もう退屈でどうしようもなかったが、時折、待つことを忘れ、時間が経つ
ことを忘れ、私自身もかねてから何もせず、ただそこにいたように感じはじめた。    
       
 そんなある初夏の日、創建当時の「天平」の面影を観るようになったのである。    
 突如、私の脳裏には、あたりの仏像群が1300年の埃を透し、剥落した仏体が原形とし
て、蘇ってきた。創建時の極彩色と鍍金、漆箔、あるいはキリガネが、黄金色にまばゆく、
伽藍の朱柱をバックにした豪壮華麗、カラッとした陽気さえ漂わす蜃気楼のような光景が浮
んできた。                                   
     
 ある時には、あの大きな大仏様が、まるでお神楽の金ピカで総入れ歯のお獅子のように親
しく感じたりした。これは馴染みすぎた古色蒼然たるワビ、サビとは比べようもなく楽しい
ものであった。撮影の不自由さと、仏像に対する知識と宗教心の無さは、何の既成概念も持
たず、自分の体で感じるしかなかったことから、無理にも私なりの開眼をさせられたといえ
よう。
 
 天平開眼 
                
 私はこの辺から自分の基本姿勢を見つめ直し始めた。                
 それはまず、私の主観的な感動と、客観的な仏像が持つ意味とは異なること、を確認する
ことであった。それは、感動のあまりに本末を転倒しないため、本来仏像が持つ意味を踏ま
えながら、私の主観的な感動をその仏像が持つ芸術性を高める手段に加えることである。 
 信仰心については、それが盲信的にありすぎて、贔屓の引き倒しやアバタもエクボで、よ
り神秘的、より美化して写すといつた心配は私にはない。
      
 これらのことは、丹平写真倶楽部に所属し、この間も主として風景写真を撮っていたが、
風景においても仏像においても、作家性はまったく変わらないことを確認した。ことさら仏
像撮影での「天平開眼」の意味は大きかった。このことは、今も変わらず、人生の歩み方に
至るまで基本的に同一と思っている。                        
      
 その後、自分の思うがままの仏像の作品は、あまり出来なかったが、東大寺戒壇院、興福
寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺、法華寺、秋篠寺等や石仏など多くの撮影現場でホンモノを
身近に接する機会に恵まれた。
      
 私がこの仕事で得たことは、これほど非能率的な撮影では、一日に何枚も撮れないので、
被写体を納得の行くまで見つめて、本質を追求しようとする習慣がついたこと。     
 もうひとつは、父のいう「ホンモノの凄さ」を知ったことである。          
      
「天平」を開眼した私は、もう後戻りはできなかった。                
 撮影を重ねるにつれて、片っ端から専門書を拾い読みするようになり、だんだん自分なり
の見方も深くなり、創造的表現を明らかにする方向へ歩みはじめたが、25才の若造にそん
な勝手な仕事はさせてもらえなかった。当然、私は記録的要素の強い写真を要求される観光
課の仕事はやめてしまった。
     
 振り返ってみれば、私はこうした国宝仏という権威や1300年の埃に最敬礼するような
性格ではなかったので、視覚の自由があった。平常心でこうした多くの優れた仏像や建造物
に、触れんばかりの近くから接し、天平仏の迫力を体感できたことは、私の造形への理解を
深め後に外国で彫刻を見たり、撮影する時にも役立っことになった。




ホコリと国宝と
     
 ところで、話は元にかえるが、退屈紛れに高い撮影台の上から眺めた観光客は、大きく分
けて3つの種類が見られた。                            
     
 ひとつは、修学旅行の集団である。彼らは嵐のように騒々しく埃をけたててやって来る。
そして四天王に踏みつけられた邪鬼に腹を抱えて大笑いし、仏像の表情をまねたふざけた顔
をして、友達に記念写真を撮らせるといった具合である。そして、アッという間に去つて行
く。決められたスケジュ−ルを消化するだけで何を見に来たのかわからない。      
     
 将来ものを創るのは、年をとっても失われない、いわゆる精神の中の豊かなコドモの部分
である。せつかくの宝の山、彼らの印象をつなぎ止めるために、先生は何かヒントのひとつ
ぐらいは与えてやり、何とかもっとゆっくり見せる工夫はないものかと思ったものである。
      
 もうひとつは、解説書片手のマニアである。上から見ていると、どこを見ているかがよく
分かる。人の数だけの価値観の違いがあるのは当たり前だが、何かがおかしい。     
 率直にいうと、この人たちの大部分は、仏像という彫刻群と対決することはない。古色蒼
然たる「1300年のホコリと国宝という権威」に最敬礼をする人々である。      
 このタイプは女性に多かつた。男性の中には映画の時代劇をつくるわけでもあるまいに、
虫食いの穴まで細やかに検証する、まるで探偵のような人もいておかしかった。     
     
 いわゆる権威書に頼りすぎた先入観を拭い去るのは難しい。頭脳のメカニズムからいえば
イワシの頭も信心からといった盲信的な自然思考は、固定的に定着されるために、硬直した
紋切り型思考パタ−ンとして働く。これはひとたび定着されると、消し去ることができず、
改める事が許されるだけだからである。                       
      
そして、更にもうひとつは、いわゆるそれなりに、ほどほどにという普通の人々であった。




 見ると観る 
 今日では、古い寺ほど由緒と権威に満ち、ありがたがられる。
 しかし、天平の新しい寺院が次々と建立された頃は、遣唐使が往来したことから唐のより
新しい様式の寺ほど立派といったことで人気があったろう。
        
 平成の世に、「天平」を骨陶品のように鑑賞するだけが能ではあるまい。
 当時の芸術作品を、「見る」だけではなく、既成の権威や概念を捨て、自分なりの五感で
観察し味わう「観る」でありたい。 
      
 私は、「天平」を味わいたい方には、観光客が一番少なく静かな梅雨どきか、真冬をお薦
めしたい。観光シ−ズンの騒音のなかでは、とても「天平」は味わえない。雨に煙る墨絵の
ような奈良もすばらしく、寒さで頭のなかまで引きしまるような雰囲気で味わう「天平」も
悪くない。
     
 また、中学生の修学旅行などで、初めて奈良の仏像を見に行く時には、あまり専門書など
は勧めず、大ざっぱなことをいえば、「パンチパ−マのような頭で、裸の上に薄い衣を着て
いるのが、悟りを開いたお釈迦様(釈尊)。頭の髪を高く結い上げ、少し立派な衣装を着て
アクセサリ−をつけているのが菩薩様。つまり貴族出身の修業中の若者が菩薩様。」くらい
のヒントを与えてやるだけでも肝心のところは見逃すことはなく、将来興味を持つ者も出て
くるのではなかろうか。   
      
 教則本にしたがって見るような見方や既成概念にとらわれず、素直に自分の五感で感じる
方が良いと思う。知識は後から必要に応じて、いくらでも専門書を読めばいい。私は最初の
接し方が特に大切だと思っている。




「写された国宝」展 のこと       
 東京都写真美術館が11月21日からオ−プンしたこの展示は、仏像が多いが仏像の愛好
者だけでなくアマチュア写真家にも必見のものとしてお薦めしたい。          
 こうした企画は、見かけが非常に地味なため、肝心のところを見逃しやすいので、ポイン
トをひとこと。
     
 1870年代からの仏像写真も珍しいが、それぞれの年代の一流写真家の原画が展示され
ており、同じ仏像が何人かの写真家によって写され、それぞれ作者の個性や見方で表現が変
わることや1955年頃までの非常に不自由な照明とストロボ時代に入っての照明の変化な
どが見られのも参考になる。    
 仏像の一流写真家のビンテ−ジ・プリント(撮影直後に、作者がプリントしたもの)は、
比較的サイズが小さいが、作者の撮影時の意図がよくあらわれていて、貴重なものである。
(最近の展示では、ポスタ−のように大きく引き伸ばされたものがあるが、これは看板のよ
 うで鑑賞に耐えないものが多い)                        
     
 また、これだけそれぞれの作家の代表作が、各地の美術館から集められ、一堂に展示され
ているのも珍しい。仏像以外では、石本泰博の桂離宮のモノクロ−ムの「苔と石」その他は
バウハウス流のすばらしい構成で、誰にも分かりやすい必見の作品である。
      
 私の25歳当時の作品も「作家性の芽生え」というコ−ナ−に4点が展示されているが、
久々に自分のビンテ−ジ・プリントを見て、あの昔の写真一図の純粋さ、荒削りな闘志を懐
かしく思った。「首」という作品は、ビンテ−ジが紛失したため、かなり暗いサブ・プリン
トが美術館に収蔵されたので、それが展示されているが、本来はもう少し明るいのが正常。
修正して見ていただければ幸いと思った。



☆ この展示は、以後4か所で展示されるので、ご紹介しておく。
  (各地へ行く時は、会場の広さから私の作品は、半数だけの展示になることもある)
     
 [ 会期・会場 ]
     
 2000年11月21日(火)〜2001年1月28日(日) 
  東京都写真美術館
     
 2001年5月17日(木)〜7月1日(日)
  神奈川県立金沢文庫
     
 2001年7月14日(土)〜8月26日(日)
  高浜市やきものの里かわら美術館
     
 2001年10月2日(火)〜11月11日(日)
  奈良市写真美術館
      
 2002年2月1日(金)〜3月10日(日)
  愛媛県美術館