「 意外な人々 」
入院患者で親しくなった佐々木勲さんという人は、絵描きになり損ねて、後に盆栽の世
界で総理大臣賞を受賞したという風変わりな人であった。初め8月21日からの検査入院
で5日間の相部屋になった時、どことなく大陸風で何かをやりそうな人に見えたが、まさ
か盆栽の大家とは思いもよらなかった。
でも、9月21日、入院手術で再度同室になった時、わずか5分間で仲良しなった。
つまり、ぼくが病床でパソコンを開き、写真に見入っていたことから、彼が「私はその
昔、画家を志していたが‐‐」と話し始めたことから、ぼくが「現在の芸大の卆展の図録
を見る限り、もっと厳しいクリエイティブな姿勢の学長に入れ替えなければ、本物の画家
は育たない。
歴代の教授の中で殊にユニークだったのは、漆の松田権六氏ぐらいかな。ただ、現学長
のH氏は東南アジアの世界遺産を守るなどにはその人柄から適役だ。」などと言いはじめ
たとたん、彼は即座に「全くそのとおり。」という。これで万事は了解した。
写真表現も盆栽も根底は変わらない。
全く盆栽など趣味も興味もなかったぼくは、佐々木さんから盆栽が今や世界に通用する
感性での共感をもたれる文化であることを教わった。1934年、柳宋悦がアメリカで日
本の美の講演を行って以来、年毎に外国人のほうが日本の伝統的な美や精神に強い関心と
理解をもつようになったという。
ぼくのようなズブの素人にはよくわからないが、立派な盆栽は1億とか3億円と評価さ
れるものもあり、樹齢も300年〜500年という古いものもあるという。500年とい
えば室町中期から生きながらえてきた瑞々しい骨董品のような盆栽など、ぼくには考えら
れない文化資産である。
現在の彼は、東京都江戸川区にある「春花園BONSAI美術館」を設計完成し、館長
の相談役として支援しているという。
ついでながら、人間ちょっとアンバランスなところがある人物は、時に不思議な人間味
を感じて楽しい。
佐々木氏曰く「私は、この病院ではマーク(要注意)されているが、玉井さんもはっき
り本当のことを言い、それを押し通そうとするからその一人だろう。」などという。
ぼくのことは図星だが、何のことかと尋ねると、彼はつい先頃、病室の窓から病院の前
にある小高い森に、今時には珍しい全く手が入っていない逆さホウキのようなケヤキの大
木を見つけ、事もあろうに、まだ真っ暗な午前4時頃、病室を抜け出したという。
理由は、こんなすばらしい見事な自然木のこずえ越しに、瞬く満天の星空をじっくり眺
めたかったからだという。そんな風景ならぼくも見たかった。
ぼくは、そんな彼の並外れた感性、スケールの大きさに、かって「素晴らしい造型に出
会うとヨダレが出る」と表現をした彼のうれしそうな仏様のような顔が浮かんだが、そん
な夜中の行方不明の患者では病院側は大変だったろう。
でも、彼は平然として、この次には、子供につける迷子防止の無線器をつけられること
になったという。
彼は70歳。手の震えが止まらないという難しい病状手術で入院されていたが、この3
ヶ月近い入院中、気楽なザックバランの文化漫談が楽しめた得がたい友人であった。
その他難解な数学オリンピックの運営に携わってきた中尾さんという方との「数学と創
造的な頭脳と人間性(情操教育)」などの話も面白く忘れがたい。色々お世話になった。
< その他いろいろ >
某月某日
このところ晴天が続く。病室から見る落日は、殊更わが身の不自由と無聊を感じる。
「今日も何もすることはなかった」そんな日が続く。
(この夕景は75日間の入院中、この限られたフレームで見られた最高の一瞬であった)
危険防止から引いても開かないベランダのガラス窓、長いカーテンで仕切られ取り囲ま
れたベッド。こんな環境では、これからの講座の構想など浮かびようがない。
無線で受けるパソコンも、新幹線と自転車ほどの違いがあるのかと言いたいくらい遅く
て不便この上ない。
某月某日
今日は、ぼくは機嫌が悪い。
新聞を見ていると、相変わらずイラクの後始末から北朝鮮の核や拉致問題、6カ国協議
と来るが、高所から見れば、大のオトナがコドモのケンカをやっているように見える。
アメリカは世界の警察官、人権擁護とご苦労さんだが、地球の温暖化防止の京都議定書
では逃げてしまった。肝心のところでは自国の利益が最優先では筋が通らない。
これではいくら良いことを言っても、説得力は乏しく、全世界が納得しない。日本は何
時もあとから様子見しながらついてゆくだけ。これではご先祖さまに申し訳ないだろう。
某月某日
今日もぼくはもっとご機嫌が悪い。新聞はこのところ、人殺し、イジメばかりである。
親が子供を殺し、子供が親を殺し、子供が子供を殺す。こんなひどい時代は83歳を迎え
たぼくの記憶にもなかった。
ぼくは小学校の2,3年生頃は、鈴虫捕りの名人だった。夏の夜、懐中電灯をつけて、
息を凝らして捕える醍醐味はこたえられなかった。でも、来年のためすべてを捕りはしな
かった。友達の中には、土を入れた甕で飼い、卵を産ませて繁殖させる者もいた。
そんな体験は、地上を列を成して往復する蟻を見てもご苦労さんと思うが、足で踏み潰
すようなことはしなかった。知らず知らずに生命の大切さを身につけていったのだ。
地球上のすべては、そこにある動植物、酵母、バクテリアに至るまであらゆる者の共有
であり、同時にお互いが生かし、生かされている。
多くの人殺し、いじめの究極の原因は、自分さえよければという人間の横暴、倫理を失
った失格人間が増えたからである。根底は文化教育への無知からである。
謙虚に自然に親しむことは、命の大切さを知り、やがて人間が培ってきた時代を超えた
文化の大切さを知り、個を主張しながらも集団欲という宿命を持つ人間としての信義・礼
節、倫理にいたる。倫理観も文化を生みだす美意識に関連する。
文化をおろそかにした戦後教育のツケをどう回復するか、それらができる政治哲学を持
った人物が殆ど見当らない。櫻井良子氏を総理にするか。とにかく腹立たしく、残念。
某月某日
今日は朝から腰の古傷の辺りが傷む。毎朝、回診に見える病室担当医に、なぜだろうと
聞くと、「大先生、それにはハッキリした原因がある。今日は外の気温が低いからだ。」
と軽くいなされた。でも、こんなジョークで、気分がまぎれることもある。
その後、デイ・ルーム(談話室)に行くと、ここにもそんな人がいた。
つまり、民放の天気予報には、「お洗濯予報」なるものがあるが、病人のため親切気が
あるなら「痛み予報」なども出してもいいのではないか。
<明日は、北朝鮮からやってくる強い低気圧のために、府中地方では、一日中メリメリ
痛むでしょう>などとあれば、入院患者はそれに備えて、ホカロンなど張って寝るだろう。
売店も儲かる。などと、ケッサクなことを言っていた。
ここは関東各地方からの厳しい患者も多いところ。この茶髪の青年も病状も厳しく入院
生活も長いが、いつも明るく振舞おうとしているのだ。つらい冗談も仕方なかろう。
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