part.51          

     
    

    
    
   正岡子規の『仰臥漫録』ではないが、自分史を兼ねたこの講座、おこがましいと
  承知しながら、写真家としての75日間のぼくなりの赤裸々な「病床日記」を再
  起第一歩として書き、2月からは月例をはじめ、講座も続けたいと願っている。
    
 率直にいって、ぼくの手術はぼく自身にとっては不成功という結果になり、入院前より
痛みが多い毎日が続いている。
 足かけ25年も我慢しすぎた腰痛の手術は本来手遅れで、カイロプラクティック療法で
失敗した3年前、痺れがまだなかった時やっていれば何とかなった、後遺症も軽かっただ
ろうというのが手術前後を通じて、2つの病院のドクターの判断だった。
     
 これからは、年単位でのリハビリで腹筋、背筋を鍛えて自由に歩けるように頑張れば痛
みも徐々に減るだろう、とにかく萎縮・脂肪変性した筋肉をヒレ肉に変えることだと執刀
されたドクターは冗談をいわれるが、このリハビリは大変シビアなものになりそうだ。 
   
     
                   某月某日
    
 子規の最後の痛みに耐えながらの『病牀六尺』は、「病床六尺、これが我世界である」 
という独りの世界であるが、ぼくが入院した病院では患者総数300人。それぞれが苦痛
に、泣き言、恨み言、煩悶、憤慨し、厳しい手術では涙を流し、時にわずかの安堵、たま
の喜びなど率直な表情を見せることもあった。 
 総体としては、音楽でいえば「心身の痛み」をそれぞれのトーンで悲鳴のような声をあ
げている合唱隊の集まり、痛みを分かち合う同類項といった印象があった。
 そんな中で、ぼくも同調しながらまた反発もしながら過ごし、心に残った日常のあれこ
れを記録する。
< 病床からの写真講座 >
    
 2006年8月21日より5日間、検査入院。9月21日手術入院。
 ところで順序どおり入院・手術と順を追って書いてゆくと、やはり相当殺風景な話にな
るので、病床にいても話せる題材として、撮影時に誰もが後一歩までゆきながら、見逃し
ているキーポイント、つまり必須でわかりやすい写真講座をまず取り上げることにした。 
   
                                       
 ここに掲載した風景写真は、都立神経病院の医師、谷口真氏の撮影によるものである。 
 2006年7月6日。 ぼくは、ドクタ−谷口の診察を受けたが、ちょっと写真のことに話が
及んだその日の午後には、もうぼくの講座を見てすぐメールをよこされた。
 また、ぼくも遅ればせながら彼が遊びで作られたというHPを拝見し、意外に多い写真
数十枚のその中で、これならワンポイント・レッスンに使えると閃いた写真を発見したと
いう因縁めいたものがあった。
 入院する1ヶ月以上も前にこれだけコミュニケーションがあったというのは、珍しいこ
とであろう。
    
 とにかくそんなことから、入院中のつれづれなるままに、ぼくならこうするだろうとい
うイメージの赴くままに、頭の中で勝手な予想図を展開しながらの話である。
    
 (これらの写真は、病床で谷口氏へのお礼の意味をも含めて、解説のため手を加えて
  みたものだが、 アマチュア諸氏が宝の山を前にして気付かないことも多く、さら
  に踏み込んでゆく 対応の一助ともなればと、作者の了解を得て掲載した。)
  
    

      「 多摩川にて 」  谷口 真    

「 多摩川にて 」

 
 この写真を見たのは、まだ入院前だったが、見た瞬間、ぼくは明るく解放的であまりこ
だわらない野放図な性格を感じた。
 こんなシーンでは、ほとんどの人が前景一面に花を入れた写真にするところを、左上か
ら右下への対角線のパースペクティブをとるというのは、時にプロがやる手法でもある。 
    
 超広角レンズで前景の左半分何もないところを入れた構成は普通ではない。だが、よく
見るとその境目に自転車があり、これがもう少し大きく銀色で目立てば、かなりしゃれた
「自転車のある風景」になっただろう。小さな赤い自転車などペアーであれば、親子連の
休日なども想像され、またサイクル仲間の数台がある風景も成立するだろう。
    
 ここでは、自転車の入れ方、フォルムがキーポイントになるが、主材を小さく入れる時
の要領は、Part23のウイン・バロック「森の道を歩く子供」が参考になろう。
   
 脳神経外科の部長として、診察・手術に超多忙の谷口氏は全く時間がとれず、上記の話
をしたのは、すでに手術後だった。彼は来春には多摩川へ行って再度トライしてみたいと
言っていたが、写真も中途半端ではストレスがたまるだけ、ゴルフも同様。
 高級自転車に飛び乗り、行く先々の美味を想像するのも悪くないが、一度カメラを手に
したら、もうすべてを忘れて撮影に集中することである。こんな小さなアドバイスがキッ 
カケで開眼することもあり。成功を祈る。
                                       
 一応の説明が終わったところで、ぼくは「ルネッサンス時代はダビンチほどでなくても
複数の専門を持つのは当たり前。カルダーノという医師は、本職外でも数学者でもあり数
学の他流試合をやり、またバクチ打ちの達人でもあったらしい。」
    
 といった話をした後、「ぼくたちの慣習で言えば、ドクター谷口真が写真家谷口真にな
った時は、真(マコト)でなく名前も音読で真(シン)と呼ばれるようになるだろう」。
 「ルネッサンスの時代は、文化を兼ねた専門を持つことで人間の幅を広げた。
 写真家谷口真(シン)も悪くない。本家のドクター谷口真(マコト)は、斯界の大先生
に変身するのでは‐‐」と言うと、ナルホドと苦笑された顔が愉快だった。
    
 ぼくが言う変身とは、文化は時代を越える創造であるだけに、より新しい視野から手術
器具まで創りだし、工学博士も兼ねるようになるかもといったことである。

       

          < 白い彼岸花 >

   A. 橋の上から  谷口 真

 B. 彼岸花  谷口 真

  C. 「白い彼岸花」原画   谷口 真

        D 「白い彼岸花」 (レタッチした想像図)

  E 「白い彼岸花」(更に修正した想像図)

        

            

「 白い彼岸花 」

     
 関東地方は日高市。高麗川にある巾着田の100万本の彼岸花(曼珠紗華)は、広大な
群生地のあたり一面を真紅に染め、まるでじゅうたんを敷きつめたような美しさで名所に
なった。月例応募クラスのアマチュア・カメラマンにも親しまれている。
     
  写真誌でも、赤色ラッシュのA、Bがほとんどで、Bから反対位置に移動し、視点を変
えて絞り込んでいったCの構成も悪くない。ドクター谷口は、後一歩の所へやって来た。
このような白い彼岸花は非常に珍しく、プロなら当然狙うところである。
   
 しかし、風景は天候・時間帯の変化で様々の表情を見せる。ここが物事、成否の別れ道
である。折角のこのシーンをこの程度で見過ごすか、更に辛抱強く光を読んで踏み込むか。
もう一度やって来るか。この辺でその人のキャリア・感性の差が歴然としてくる。ぼくは
海外では、意外性のある月明の夜の撮影などもよく試みた。
 D、Eは、ぼくのイメージにしたがって、Photo・Shopでレタッチした想像図
だが、実写ならもっと自然で迫力があるだろう。
             

          

 
< イマジネーション >
   
 このCの「白い彼岸花(原画)」を見ているうちに、ぼくは三つのことが連想された。 
 その一つは、その昔、ぼくが中年のころ持っていた中国の古い陶磁器で、宋の白磁とい
われる壷である。白磁といっても真っ白ではない。それがグレーバックで和室の柔らかい
光の元では、実に冴えた白の美しさを見せる。それは色彩豊かで具象的な唐三彩に対して
すっきりした理知的な美しさである。この白は歴史的な遺産・文化であり、同じ白さでも
文明の利器・救急車の白とは異なる。
  

    
 もう一つは、野外の薪能で見た若女の「夜叉になった顔」である。普通の照明をされた
能楽堂で見る若女の表情は穏やかだが、フット・ライトに近いかがり火ではこの夜叉のよ
うな様変わりの迫力も見せる。花の場合の変化は、顔ほどではないがそんなライティング
もやってみる価値はある。Part 2「モノクロの美しさ」若女の「夜叉」を参照。
     
 この二つの条件からぼくの脳裏にイメージされたシーンは、この真昼の白い彼岸花(C)
もやがて夕刻になり光の条件(色温度が下がる)が変わると、赤は黒ずんで白と赤のコン
トラストは強くなり、緑の葉や地面はさらに明度がグッと落ちて余分なものはそぎ落とさ
れ、ほとんど花びらだけに近づいて行く。そんな画面(D)は、象徴的に見えるだろう。 
    
 さらに加えて色温度の高いストロボなどでサイドからリモコンでアクセントをつければ、
少しベージュがかった白い彼岸花はシアン味を帯びて、厳しく凄みのある白い彼岸花(E) 
が創造されるのではないか。」ということである。好みは別として、ぼくならそこまでや
ってみたいというのが性分である。
     

  「プレリュード」 添野 清  1993     
 色温度の変化をストレートに駆使した秀作としては、「ワンポイント・レッスン(26) 
 のホンダのポスター作品集。添野清撮影」のプレリュ−ドが参考になるだろう。 
       

「飛び散る花びら」瑛九 1958           

 ここでもう一つ大切な三つ目の瑛九の「飛び散る花びら」に触れておこう。
 瑛九がこの絵を描く現場を見たぼくは、慄然とした。日頃はかなり大雑把とも見える筆
運びの瑛九が、この時は氷りついた花びらのような丸を実に丹念に、細いヒゲを加えなが
ら描いている。
    
 勿論下絵はなく、色、形、大きさ、間隔などフィーリングのままに進行するのだろうが、
どこを切り取っても一枚の絵になるおそろしく密度の高い構成であった。
 これは瑛九作品のなかでも特異な傑作であろう。全体としてみても,部分としてみても狂
いがない。この隣同士の色の組み合わせは絶妙な色のレシピのサンプルといってよかろう。
 ぼくはこの「白い彼岸花」の想像図でもこの絵の色彩が浮かんだ。
                                    
 ある場面に遭遇し、なんとなく後ろ髪を惹かれるような場合は、何かがあるのだ。もう
一度しっかり眺め見つめることである。自然は複雑で奥深い。惚れこんだだけで写しても
平凡の域を出ない。最後は表現力がものを言うのだ。             
      
 断っておくが、ぼくはいつも写真芸術なるものをでっち上げようというわけではない。 
何か自分好みの新しい写真を発見、創作してみたいというだけのことである。
 (それらのうち自分の思想・感情を創作的に表現したとみとめられる場合は、分類
  登録上、著作権を主張できる作品としてきた)

   

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