「ペンジュラム」という言葉を、ぼくがはじめて知ったのは、当時、関西写壇の前衛のひ
とつといわれていた丹平写真倶楽部に入会を許された1948年、24歳の時であった。
土門拳も一目おいたというユニークな作品、そして誠実な人柄から、すべてのメンバーか
ら敬愛されていたというリ−ダ−格の安井仲治氏は、もう早逝されておられなかったが、ド
イツのワイマ−ルに創立された美術工芸学校「バウハウス」の教授たち、カンジンスキ−、
モホリナギ−などが提唱した新興写真運動の影響を日本では最も早く受け、活発な活動を続
けてきたというその名残りが、この倶楽部にはまだ生きていた。
メンバ−にはそれぞれに独創性があり、月例会でも新旧取り混ぜた表現技法の変化が見ら
れた。ネガ表現、レリ−フ・フォト、ソラリゼ−ション、ト−ンラインプロセス、フォトグ
ラム、パラグラム、フロ−トグラム、コラ−ジュ、モンタ−ジュなどがあったが、そんな中
で天野竜一さんという人が毎度ひっそりとペンジュラム技法によるという作品を2、3点づ
つ出品していた。
その作品は、真っ白な全紙サイズの印画紙上で長楕円の細い黒線が、滑らかな大小の渦を
巻いているような繊細な美しさがあった。その当時の言葉で言えば、超モダ−ンである。
こんな作品をはじめて目の当たりにしたぼくは、生来の好奇心から早速、技法の解説をお
願いしたら、天野さんは新入りのぼくを前にして、図面を書きながらくわしく説明してくだ
さった。
ペンジュラムは英語読みで振り子のこと。装置、手法を至極大ざっぱにいえば、天井から
長いひもでぶら下げたペンライトの光を、ところを変えて大小さまざま振り子のように旋回
させ、その軌跡を直接印画紙に露光して現像すればできあがりということになる。
問題は、振り子のひもが短ければ振りの周期が早くなるので露光不足に、また円弧が短か
くR状の端の方は印画紙から遠くなってピンボケになる。線は細いほど優雅、太ければやぼ
ったくなる。
結論は、分銅の先端には強力な点光源をつけ、振り子のひもは相当な長さが必要だという
ことになる。天野さんは吹き抜けの2階の天井からひもを垂らし、1階の床に置いた印画紙
をほとんど光源がなめるような条件でやっていたらしい。
とにかく、ぼくは天野さんの真似事を、天井の低いアパ−トでやって見た。
普通、誰でも振り子を回す時、おおむね長楕円になるのが一般である。そのとき、ぼくは
その楕円は小さくなりながら大体同じ軌跡を辿るものだとばかり思っていたが、それが大間
違いだということを知って驚いた。
その振り子は、はじめ南北に振れていたものが知らぬ間に東西に変わっていた。
不思議に思って何回も試していると、振り子の支点(天井)から見て右方向に回すと軌跡
は少しづづ右へ右へと移動し、左方向へ回すと左へ左へと移動することがわかった。
振り方の角度によっては、自分の意思で勝手にどんどん方向を変えて行くようにさえ見え
るほどであった。もちろん徐々に直径を小さくしながらである。
「何でこんなズレ方をするのか?」 早速に伺った家元の天野さんの答は、「地球には重
力があり、地球が自転しているからズレるのだ」という。さらに振動論といったむつかしい
話もあったがよくわからなかった。とにかく子供のころから天体望遠鏡ばかり覗いていたぼ
くには興味深々な話で、こんなズレが作品を生む、この地球がそんな力を貸してくれるとい
うことだけでぼくには充分だった。
何でも実験してみたあの当時のぼくも、この技法は安アパ−トの低い天井ではどうにもな
らぬとわかり、やっとカラ−・ペンジュラムの本格的な実験ができるようになったのは、南
麻布に天井高が420cmのスタジオを新設した1972年、24年後のことであった。
ぼくが試みたペンジュラムは、1872年から82年まで日々切迫した仕事の合間に行わ
れ、実験としてはそのバリエ−ションを含めてオ−ソドックスな基本を守りながら、天野さ
んにつづく発展を願う模索であったろう。
ところで、ぼくはコマーシャルをやりながらもアート志向が強かったので、ペンジュラム
を量産して使う気はなかった。そんなことから、さらにペンジュラムに関連する理論の研究
と装置の改良による新しい技法の開発は、晩年になってもそれほど体力のいる仕事ではなく
十分余裕をもってできると思いつつ、そんな時間が取れないで終わってしまった。
これは、ぼくの安易な生活設計の結果で、不覚といえよう。
カラ−・ペンジュラムの作品はかなりあるが、これまでに発表したのは、1979年から
の個展での2点と世紀代わりの記念として2000年に行われた、『1000人の写真家が
撮る <The Heart of Japan>展』に、3点を出品しただけである。
そのうちに個展でまとめて発表をと思ってきたが、体調その他不確実な状況から今回
備忘録として裏話に具体的な図解など大略を残すことにした。不十分ながらこれらをあ
わせて見ていただければわかり易く、いくらかでもご参考になればと思う。
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