part.42  

    
    
 「ペンジュラム」という言葉を、ぼくがはじめて知ったのは、当時、関西写壇の前衛のひ
とつといわれていた丹平写真倶楽部に入会を許された1948年、24歳の時であった。
    
 土門拳も一目おいたというユニークな作品、そして誠実な人柄から、すべてのメンバーか
ら敬愛されていたというリ−ダ−格の安井仲治氏は、もう早逝されておられなかったが、ド
イツのワイマ−ルに創立された美術工芸学校「バウハウス」の教授たち、カンジンスキ−、
モホリナギ−などが提唱した新興写真運動の影響を日本では最も早く受け、活発な活動を続
けてきたというその名残りが、この倶楽部にはまだ生きていた。
    
 メンバ−にはそれぞれに独創性があり、月例会でも新旧取り混ぜた表現技法の変化が見ら
れた。ネガ表現、レリ−フ・フォト、ソラリゼ−ション、ト−ンラインプロセス、フォトグ
ラム、パラグラム、フロ−トグラム、コラ−ジュ、モンタ−ジュなどがあったが、そんな中
で天野竜一さんという人が毎度ひっそりとペンジュラム技法によるという作品を2、3点づ
つ出品していた。
    
 その作品は、真っ白な全紙サイズの印画紙上で長楕円の細い黒線が、滑らかな大小の渦を
巻いているような繊細な美しさがあった。その当時の言葉で言えば、超モダ−ンである。 
 こんな作品をはじめて目の当たりにしたぼくは、生来の好奇心から早速、技法の解説をお
願いしたら、天野さんは新入りのぼくを前にして、図面を書きながらくわしく説明してくだ
さった。
    
    
 ペンジュラムは英語読みで振り子のこと。装置、手法を至極大ざっぱにいえば、天井から
長いひもでぶら下げたペンライトの光を、ところを変えて大小さまざま振り子のように旋回
させ、その軌跡を直接印画紙に露光して現像すればできあがりということになる。
    
 問題は、振り子のひもが短ければ振りの周期が早くなるので露光不足に、また円弧が短か
くR状の端の方は印画紙から遠くなってピンボケになる。線は細いほど優雅、太ければやぼ
ったくなる。                                   
 結論は、分銅の先端には強力な点光源をつけ、振り子のひもは相当な長さが必要だという
ことになる。天野さんは吹き抜けの2階の天井からひもを垂らし、1階の床に置いた印画紙
をほとんど光源がなめるような条件でやっていたらしい。
    
 とにかく、ぼくは天野さんの真似事を、天井の低いアパ−トでやって見た。      
 普通、誰でも振り子を回す時、おおむね長楕円になるのが一般である。そのとき、ぼくは
その楕円は小さくなりながら大体同じ軌跡を辿るものだとばかり思っていたが、それが大間
違いだということを知って驚いた。
    
 その振り子は、はじめ南北に振れていたものが知らぬ間に東西に変わっていた。
 不思議に思って何回も試していると、振り子の支点(天井)から見て右方向に回すと軌跡
は少しづづ右へ右へと移動し、左方向へ回すと左へ左へと移動することがわかった。
 振り方の角度によっては、自分の意思で勝手にどんどん方向を変えて行くようにさえ見え
るほどであった。もちろん徐々に直径を小さくしながらである。            
    
   
 「何でこんなズレ方をするのか?」 早速に伺った家元の天野さんの答は、「地球には重
力があり、地球が自転しているからズレるのだ」という。さらに振動論といったむつかしい
話もあったがよくわからなかった。とにかく子供のころから天体望遠鏡ばかり覗いていたぼ
くには興味深々な話で、こんなズレが作品を生む、この地球がそんな力を貸してくれるとい
うことだけでぼくには充分だった。         
    
 何でも実験してみたあの当時のぼくも、この技法は安アパ−トの低い天井ではどうにもな
らぬとわかり、やっとカラ−・ペンジュラムの本格的な実験ができるようになったのは、南
麻布に天井高が420cmのスタジオを新設した1972年、24年後のことであった。
   
 ぼくが試みたペンジュラムは、1872年から82年まで日々切迫した仕事の合間に行わ
れ、実験としてはそのバリエ−ションを含めてオ−ソドックスな基本を守りながら、天野さ
んにつづく発展を願う模索であったろう。
 ところで、ぼくはコマーシャルをやりながらもアート志向が強かったので、ペンジュラム
を量産して使う気はなかった。そんなことから、さらにペンジュラムに関連する理論の研究
と装置の改良による新しい技法の開発は、晩年になってもそれほど体力のいる仕事ではなく
十分余裕をもってできると思いつつ、そんな時間が取れないで終わってしまった。
 これは、ぼくの安易な生活設計の結果で、不覚といえよう。
    
                                       
 カラ−・ペンジュラムの作品はかなりあるが、これまでに発表したのは、1979年から
の個展での2点と世紀代わりの記念として2000年に行われた、『1000人の写真家が
撮る <The Heart of Japan>展』に、3点を出品しただけである。
    
   そのうちに個展でまとめて発表をと思ってきたが、体調その他不確実な状況から今回
 備忘録として裏話に具体的な図解など大略を残すことにした。不十分ながらこれらをあ
 わせて見ていただければわかり易く、いくらかでもご参考になればと思う。

                  作品 A   < まゆ >               1982

       

作品 A  < まゆ >

  
 これは最も基本的なペンジュラムのサンプルとしてとりあげた。
      
 振り子がスタートした直後からの黄色い部分全体が、カイコの繭玉(まゆだま)状の形を
しており、ペンジュラムの原理がよくわかる。この「まゆ」はそんな模範生である。  
 振り子の回転方向は、支点から見て左回りにスタートし、16回の旋回で左へのズレは、
約55度の方向( 位相 )転換を示している。
    
 色の変化は各種カラーフィルターや照明用カラーゼラチンフィルターをレンズにつけたり
はずしたり、連続する場合はフィルターを帯状につないで使用している。
 この作品の場合、構成、色彩上のキーポイントは、白の円弧の位置と大きさである。
    
◎技術的な問題は、裏話として図解してあるので、以下それを参照しながら見てゆくとわか
 りやすいと思う。
    
 これは裏話の解説・図面では、<振り子の吊り方の変化> 1本吊り @−1。 
  露光は、<電圧の変化とパターン> D−4に相当する。 
   
   
☆こうした作品は本来題名をつけず、タイトルにとらわれず、まったく自由に見てもらい
 たいが、整理の都合上、A、B、C、や1、2、3といった整理番号ではわかりにくい
 のでお気に入りの作品には、ぼくなりのメモリ−としてニック・ネ−ムがつけてある。
  括弧つきで入れてあるのは、そのネ−ムである。                 
    
 でも、それが題名にふさわしいかどうかは別問題。大した意味もないので、これにこだ
 わらず見ていただきたい。

    

       

         

         作品 B   < 空中ブランコ >      1972

作品 B  < 空中ブランコ >

   
 これは、振り子1本吊りのごく初期の作品である。色変えも周期も適当に振り回して遊ん
でいる。文字通りサーカスで、空中ブランコを楽しんでいるようなところがある。
 これがリラックスして見えるのは、白いリング16、7回の幅の中心と前後に明度の差が
柔らかく、またタイミングが不規則な変化になっているからであろう。
   
(作品Aは、Bと同種だが10年後に模範例として創られ、Bより端正な表現である) 

    

                         

           作品  C < トルネード >         1977

                        

作品 C < トルネード >

    
 振り子を正円に近い形で振るとこんな同心円になる。この横画は真円でないためにやや縦
長の円に見えるが、これを90度回転して縦画にするとこれよりは丸く見える。
    
  これは誕生したばかりの台風のようで、シンプルさがあってすがすがしい。これに似たも
ので、「リング」というのもあった。こんなエネルギツシュな指輪があれば、女性にはよろ
こばれるにちがいない。                           
  ここから外へ外へと拡がってゆくような錯覚を覚えるが、振り子は中へ向かうので、この
まま中心部まで振り続けると、だんだん重く見えてくる。図柄によって視覚的な重さも変わ
る。地球の自転は神秘的なもの、愉快なもの、また音が聞こえたり、いろいろと面白いもの
を見せてくれる。

         

            

            作品  D  < 遠花火 >          1977

                        

作品 D  < 遠花火 >

   
 ネームは、はじめ「クリップ」と呼んでいたが、この画面はなんとも侘しさがにじむよう
で、その昔田舎で見た色合いも素朴な花火を想い出し、そんな風情が気に入って味わい深い
季語、遠花火とした。
 句集の中に「話す事なき時の目に遠花火」というのがあった。
   
  技法としては、こんな簡単な変哲もなさそうなものが意外と難しく、あれこれやって数年
後にはじめてできたもの。その時の気分でハプニングにやることもあり、そのプロセスの記
録もなく、貴重なサンプルが残っただけであった。

         

  

  

             作品  E  < 紫貝 >         1980

             作品  F  < 黄色い蝶 >        1978

             作品  G  < 青い車輪 >          1978

                  

作品  E < 紫貝 >  F <黄色い蝶 >  G < 青い車輪 >

   
     
  これらは、かなりペンジュラムの制作に慣れ、偏心させたり、ターン・テーブルを使って
の操作は、割合長時間の露光をかけながら、方位によって電圧の変化を大きくコントロール
している。その明暗のグラデ−ションによって色彩とフォルムに遠近感を持たせるのが、ひ
とつの狙いでもあった。                              
 このタイプのものは大伸ばしの展示時に、相当のボリュームがでる構成を考慮している。
   
 作品<黄色い蝶>は、どういうわけかPC上ではモアレが出ているが、原画フィルムには
モアレは全くなく、プリントの方がきれいである。

         

           

             作品  H < 翅 >           1982

           作品  I < 2つの月 >      1982

             作品  J < 鷹の目 >             1982

                        

作品  H <翅>  I <2つの月>  J <鷹の目>

  
 これらは、ターン・テーブルの回転スピードをやや早くして、少し荒い線状の組み合わせ
による試作に集中した当時のものである。
 中心部の細い線は、ほとんど振り子に動きが感じられないまで続けるため、相当時間がか
かる。また振り子の回転が非常に遅くなるので露光オーバーにならぬよう神経を使う。
                                      
 これが創られたころは、もう10年のキャリアがあり、どんな構成に仕上げるか、ある程度
スケッチに従って作業ができるようになっていた。いずれも周辺部で明度を落とすコントロ
ールにやや手がかかっている。
   
 しかし、特にぼくが今回お気に入りとして選んだ作品は、A、B、Cを除いて何れも図式
から大きくはみ出したものが多く、作者のぼくもこれに近いものを再現するのは困難である。
 殊に、ターンテーブルの回転を組み合わせたものは、ピントグラス上での確認ができない
ので、インスピレーションのおもむくまま、技法もハプニングそのもの、記憶も薄れてしま
って現像が上がってくるまでわからない。
   
 ハプニングは、イメージを越えた表現を見せ、時に思わぬ作品にしびれることもあり、そ
んなスリルも楽しかった。

         

        

       

  Photo Shop の便利さ 

萌葱色 <もえぎいろ>

青藤 <あおふじ>

杜若色 <かきつばた>

浅葱鼠 <あさぎねず>

 パソコンには全く弱く、Photo Shop を使い切れないぼくが何時もこれは便利だと感心す
るのが画像処理の中でも「色相の変化」である。カーソルをちょっと左右するだけで、あっ
という間に4〜5種類のバリエーションが見られ、彩度の変化を加えればさらに不思議な色
彩までみられる。
 これだけの変化をアナログでやるとすれば、相当な時間と労力が必要になる。
    
 そこで、ぼくは作品Aを使って、平安時代の「王朝の彩り」を演出してみようとした。
 講座のPart17 で述べた『宇津保物語』に出てくる貴公子たちが狩に出かける時のカ
ラー・ コーディネートのくだりを思い出したからである。
 原画Aは、色彩の組み合わせに配慮してあるので、これら4つのバリエーションの配色も
狂いがない。 Aの伝統色は藁色(わらいろ)。
      
 今回は、王朝時代の色目を選んでのテストは、先々ゆっくりやるとして、まず手始めとし
て日本の伝統色に近い色がどれだけ出せるかをやってみた。              
 これらの伝統色への色合わせは、すべてピッタリというわけには行かないが、これだけ往
時の草木染に近い渋い色相の変化が見られたのは驚きであった。
 浅葱鼠<あさぎねず>は、これをうんと薄くすると、銀鼠<ぎんねず>という江戸時代の
流行色になる。

           

 宇宙がよみがえる ペンジュラム >

 ペンジュラムの撮影は、時間がかかる。タイミングを変えて何度も振り子を投げる構成な
ど1枚のフィルムに多重露光で1〜2時間かかることもあり、その間レンズは開けっ放しと
いうことになる。                              
  こうなると、ぼくのスタジオは地上1階にあったので、撮影は常に夜間に限り、深夜に及
ぶことになる。                                 
              
 ぼくはペンジュラムが好きでその魅力にとりつかれていたが、メインとしての仕事に追わ
れ、そんな時間帯でのフリータイムを見つけてのペンジュラム撮影は、足掛け10年間とい
っても回数も限られて、800回くらいのものか。ほんのつかの間だったような気がする。
   
 ペンジュラムは、誰がやってもデリケートで美しいパターンを作ってくれる。装置は人間
が作るが、肝心な仕事は宇宙の摂理まかせである。装置さえあれば、幼稚園の子供でも振り
子を投げさえすればできる。相当乱暴なスタートでも2,3回転するうちにノーマルな運動
になり、作者が居眠りしている間も黙々と一定の円弧を描きづづけてくれるのだ。  
    
 地球の自転を感じながらの撮影など、めったにないことである。
 真っ暗なスタジオで深夜独り、話相手もなく、ペンジュラムの小さく輝く光が延々と、ま
るで生きているように方角を変えながら前後左右に旋回している有様を眺めていると、ぼく
は時折、宇宙の力を借りながら生かされているような実感を感じることがあった。
 そんな時、ぼくはコントローラーに過ぎないと思え、ペンジュラムを始めると人間、謙虚
になるものだと苦笑することもあった。
                                      
  このペンジュラムの作品は、ぼくが創ったものではなく、宇宙が見せてくれた素晴らしい
一面の片鱗であろう。そして、ぼくが開発したというバリエーションは、何とも幼稚な装置
で地球の自転がみせる動きにブレーキをかけたり、加速させたり、急に逆転させてみたり、
そんな僭越なことをやってきたのであろうか。                   
    
 人間時折、こんな心境になるのもいいものだと思う。ストレス解消にもなっていた。
そんな謙虚ともいえる気持ちを味わいながらも、突如として乱暴な振り子運動を試みたり、
相変わらず、ぼくのハプニングもいとまがなかった。

      
 

       

藁色 <わらいろ>

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  ペンジュラムの図解解説など
裏話 があります。