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      これは「ジヤパン・アヴァンギャルド アングラ演劇傑作ポスタ−100」  
   という本の出版を記念して開かれた展覧会の告知ポスタ−である。(B全)
     
   そして、本は大型のA3サイズで、カバ−の帯には、下のコピ−がある。
     
これは日本が世界に誇る
<美意識>の見本市です

    数々の天才たちが生き急いだ、その足跡が刻まれたポスタ−たち。それは    
    ベル・エポックやロシヤ・アヴァンギャルドに匹敵する美の氾濫である。
                               美 輪 明 宏

アングラ演劇 傑作ポスタ−100

                          A3( 29.3 ×42.0 )  
    
    
     
 ぼくは今回の講座のテ−マをポスタ−として、資料を整理していたところへ、6月にパル
コ出版からこの本が出版され、あわせてぼくも作者の一人として展覧会への招待があった。
 ぼくが生きてきた時代のポスタ−の話をする以上、これらのポスタ−たちは避けて通れな
いものとして取り上げる予定でいたので、早速に会場を訪れこの大型の本を開いて見た。
     
 1960〜70年代にかけて、演劇界では、旧態然とした新劇とはまるで異質な世界を目
指した小劇場運動(いわゆるアングラ演劇)が唐十郎、寺山修司らによって繰り広げられて
いた。このアングラ劇団の旗印として登場したのが、これらのポスタ−であった。
   
 それらの作者と具体的な内容は、この本に寄稿している演劇評論家、役者、制作担当プロ
デュ−サ−、宣伝、編集の方々の率直、明快なお話があるので、それらを総括的に引用紹介
したい。
    

     

 その体表的な例は、唐十郎が率いる状況劇場と組んだ横尾忠則であった。
 60年代後半、才気に富むグラフィック・デザイナ−だった横尾は、まだ駆け出しの劇作
家・俳優だった唐の劇団のため、『ジョン・シルバ−』( 67年) 、『由比正雪』( 68年) 、
『腰巻きお仙・振り袖火事の巻』( 69年) などのポスタ−を手掛けた。
       
 それらは、いずれも花札、シルエットの日本髪の女性ヌ−ド、大きな月など前近代の日本
的な要素をポップ的な感覚で巧みに取り合わせたポスタ−群であった。
     
 カリスマ性があり、過激な実験性に富む演劇、映画のつくり手だった寺山修司が主宰する
演劇実験室◎天井桟敷( 67年創立) には、横尾は創立メンバ−として加わり、個性的な宇野
亜喜良、粟津潔など様々な人々が舞台美術とポスタ−制作に参加していた。これらの人々は
1950年代デザイナ−やイラストレ−タ−の登竜門といわれた「日宣美展」で頭角を表し
た人たちで、ぼくは大阪出身の片山利弘、木村恒久、田中一光などの仕事を手伝っだってい
たことから、その当時の才能を知っており、いよいよ本領を発揮し始めたことを感じた。 
    
 この選ばれた100点のポスタ−にみられる劇団の数は、10以上。美術・ポスタ−制作
には当時の新進気鋭20名以上の作者名がみられる。
    
 これらのポスタ−は、普通のポスタ−よりひと回り大きいB全サイズだった。狭い店や小
さい壁には張れないほどの大きさで、宣伝媒体としての機能的効果からはみ出して、劇団の
イメ−ジとデザイナ−個人の個性を強烈にアピ−ルする独立した「ア−ト」の趣があった。
それは、ポスタ−の機能を逸脱した、劇団のビジュアルな宣言であり、旗印だったのだ。
     
 ポップ感覚の美術品としても、すばらしい表現力を備えたこのポスタ−は、世界の注目を
浴び、横尾の作品は1970年ニュ−ヨ−ク近代美術館で開催されたポスタ−展で60年代
を代表するポスタ−の第一位に選ばれ、同時代の若手演劇人と美術家にきわめて大きな影響
を与えた。
    
 1950年代から60年代は、国内では安保闘争やポップ・ア−トの台頭があった時代。
 それは情報化社会のマスメディアのイメ−ジを題材として、それらを周囲から切り離し、
まったく別の環境に置くことによって、卑俗なものや紋切り型のものの価値転換を図るもの
で、我が国でも一部のイラスト・レ−タ−、画家たちが海外のアンディ・ウオ−ホルやロィ
・リキテンシュタインの世界を見て、いち早くそれらの実験作を手がけていた。
    
     
 この当時、演劇はアングラ、美術はポップ・ア−トという向きもあったが、スタッフには
評論家、編集者、デザイナ−が加わっていたせいもあり、鋭い批判精神と現代的美意識に貫
かれたポスタ−は、舞台活動を先導した部分もあった。芝居は前のポスタ−に刺激されて変
化し、お互いに活性化していたところもあったようだ。
   
 こんな集団では、ポスタ−作家の時間を構わぬ制作姿勢に加えて、経費節約のため自分た
ちで作るシルクスクリ−ンの刷り上がりは、舞台の初日が当たり前、芝居が終わった後にで
き上がってきたこともあったという。豊かというか、寂しいというのか。
    
 とにかく時代の記憶装置でもあったこのアングラ・ポスタ−はあの時代を鋭く切り取り、
そのポスタ−自体が発しているメッセ−ジは時代をこえて今も輝きつづけている。
 ここでは、ごく少数を掲載するが、チャンスをみて原画を、せめて本で見てもらいたい。
    
 このポスタ−100点を収録した本は、大きく立派で、5040円はとても安く感じた。
 カバ−をはずして見た表裏の絵もすばらしい。 A3( 29.3 ×42,0 )
     
    
     東京展 2004年6月11日〜6月29日                
          会 場 ロゴスギャラリ−(渋谷パルコ)他 同時開催10ケ所       
  
     
     神戸展 2004年7月24日〜8月6日火休
     会 場 神戸ア−トビレッジセンタ−/kavcギャラリ−  

      ◎この3枚のポスターはクリックすると大きくなります。         

「ブラブラ男爵」1970         D宇野亜喜良    

「ジョン・シルバー」1967 <新宿恋しや 夜鳴き篇>               D横尾忠則   

 「大山デブコの犯罪」1967             D横尾忠則    
   

 
< ポスタ−だけは、その時代を物語る >
    
 この本の中で、演劇の制作を担当してこられた九条今日子さんの何気ない一言には、胸打
たれるものがあった。
     
 「もともと絵が好きで、ポスタ−なしの芝居なんて考えられないといった寺山も私も、一
時、ポスタ−に嫉妬するという感情を持ったことがあった。どんなに優秀な若い演劇グル−
プだって何年か後には当時をそのまま再現することはできない、当時には帰れないし時代背
景もあって見せられない。だけどポスタ−だけは饒舌に当時を見せてくれる。悔しいんです
よ、ポスタ−は幸せですね」といっている。
     
 ところで、ぼくは仔細にポスタ−を眺めているうちに、ある種のポスタ−には、ところど
ころに、頭の柔軟体操に役立ちそうなおもしろい落書きがしてあることを発見した。ニュ−
ヨ−クの地下鉄ポスタ−の落書きを思い出したが、このアングラのポスタ−には、それらが
はじめから印刷されているのだ。
 そんなポスタ−はめったにお目にかかれないであろう。そのごく一部を。
     
  <どうやって外に向かって、七三に構えて相手の目を見ないで流し目を送るか>
  <男たちが戦争をやめないので、女たちはセックス・ストライキに入った>
  <この劇を見る前に精神医に相談しましたか> などなど。
    
   
 ぼくはこの野放図さに、このポスタ−は『本当にケッサクだ』と、また嬉しくなった。
    
 この野放図さは筋金入りだった。でも太平楽な今日このごろしか知らない世代の人には、
こんな強烈なポスタ−の成立したこの時代のアングラ劇団の過激な公演は、やる場所がなく
新宿の寄席、末広亭を拝み倒して借りたり、野外にテントを張っての公演時には、右翼、左
翼と間違えた機動隊に囲まれたり、また、<お嬢さまのため60人だけの席数の劇場>など
といった不思議な公演もあったことなど、この時代の背景が分からないと理解し難く、おも
しろさも半減するかもしれないとぼくは思った。それが杞憂であれば幸いだが。
   
    
    
    
   ◎この辺で、ぼくの「玉井瑞夫インタ−ネット写真展・講座」に移ろう。
   

     

<ハイティーン詩集、書を捨てよ町へ出よう> 演劇実験室◎天井桟敷 1968                               D横山明 依岡昭三 P玉井瑞夫                                     

  

「 ハイティーン詩集、書を捨てよ町へ出よう 」 

       

 ある日、仕事仲間のイラストレ−タ−横山明君がやって来て、「天井桟敷の寺山修司に頼
まれたが、ポスタ−をつくつて見ませんか」という。
 条件はと聞くと「とにかく劇団に金はまったくない。予算はゼロ。その代わり好き勝手、
何をやってもかまわない」という。ぼくは、何をやってもかまわないという一言で、即OK
と言った。
    
 数日後、ぼくは別の仕事で用意していたヌ−ドモデルを立たせ、全身がシルエットになる
照明で日頃はダイヤモンドなどの撮影に使うピンスポット6灯を前から適当に当て、少し変
化をつけたところは長いヘヤ−を前に垂らして顔を隠し、軽く開いた口だけを覗かせてピン
スポットで照明しただけである。撮影はモノクロで10分もかからなかっただろう。
    
 後は、ソラリゼ−ションを施したネガとポジの全紙プリントを横山君に渡して、色彩の希
望を述べるくらいで、シルク・スクリ−ンの印刷ができる上がるまで一切を横山君とデザイ
ナ−の依岡昭三君に任せた。横山君がこの劇の美術を担当していたことを知ったのは、かな
り後のことであった。彼は30歳、ぼくは45歳のころである。
                                     
 この撮影は、寺山修司が天井桟敷を創立して2年目の9月、ごく初期のことであった。 
 寺山氏は誰でも詩人たりえるといった持論を持ち、かなり変わったアングラ劇団の主宰者
で、芝居もポスタ−も結構おもしろい前衛的な仕事をやっていることは知っており、ポスタ
−も後に横尾流といわれる匂いはあったが、その影響はまったく受けておらず、玉井流のリ
ラックス版といったところである。

       

        

     ペンタックス ポスター    1981

           

「 ペンタックス ポスター 」

     

  ぼくは、この会社については特別な思い入れがある。というのは、それまでのライカに代
表されるレンジファインダ−付きカメラを越えて、35ミリカメラの主流となったペンタプ
リズムを使った画期的な一眼レフを開発したこの会社の前身を知っているからだ。
   
 それはもう半世紀も前のことである。当時旭光学といわれたこの会社が、1952年にアサヒ
フレックスという35ミリ版のレフレックス・カメラの発売と同時に、テストを兼ねて製品
改良のアドバイスを頼まれたからである。ぼくはその前年、写真サロンという写真雑誌の編
集部に入ったばかりで、編集長の鈴木八郎さんがこの会社の顧問になったことから、部下の
ぼくは実写専門のテスト係にされてしまった。               
    
 ところで、このカメラほど使い勝手の悪いカメラはなかった。このレフレックス型カメラ
は、横画は上からのぞくので問題はよいが、縦画は横からのぞくことになるので、被写体は
常に90度の方角になり、人物の表情の動きなどまったく分かりにくい。カメラの保持も不
安定で手ぶれが起きる。                              
 画面が真四角なレフレックス、ロ−ライフレックスやハッセルブラッドがある時代にどう
してこんなカメラを作るのか、こんな会社はどうなるのか。心配になってきたが役柄からや
むを得なかったが、こんなカメラでの作品や作例作りはきつかった。          
             
 そんな頃、この会社へ行き、設計・制作陣の方たちと話しあったことがあったが、意外な
ことに皆さんとても明るくて生真面目そのもの、ぼくは冗談まじりに「プリズムでも乗っけ
てもっと使いやすいカメラにして下さいよ」と言ったら、にっこり笑って「ハイ」と答えた
のが、当時のリ−ダ−格の一人鈴木さんという人だったように思う。もちろん、こんなこと
は設計陣として当然考慮していたことであろうし、いらぬお節介であったろう。
    
 それからやっと5年後の1957年、世界に先駆けて発売されたペンタプリズム付きのア
サヒペンタックスを手にしたときは、あの設計・制作陣の地味で真摯な努力が偲ばれ、ぼく
も本当にうれしくほっとした。                         
        
 つい前書きが長くなってしまった。こんな因縁もあって、世界各国で使われたこのポスタ
−撮影の依頼をうけたが、その昔テスタ−として身を持って体験した使い手との対話と信頼
関係や個性化するニ−ズに柔軟に対応できる、そんなことを希うペンタックスの姿勢を生真
面目に表現することがこのポスタ−のキ−ポイントだろうと思った。
      
 今日風に言えば、日本の企業はサバイバル時代を迎え、顧客価値を創造しない企業は生き
残れない。言い換えれば顧客から見た企業価値、またそれは企業の「心の価値」の表現とい
ったことであろうか。

   

                    

         ナショナル ポスター原画      1970

                

「 ナショナル ポスター原画 」

    

 これは、ナショナルの電気製品のキャ
ンペ−ンに使用した原画である。
 イラストレ−タ−横山明君との共作。
もちろん、イラストだけでも可能である
が、顔周辺の感じに透明感が欲しいとい
ったことから写真との合成をすることに
なった。
    
 モノクロの小さいイラストは、色彩で
描かれたイラスト原画をモノクロで複写
したもの。これに透明なフィルムやセロ
ファンを張りつけ、構成の下絵を書くた
めのものである。
 最終的な露光はフリ−ハンドというわ
けには行かず、しっかりした下絵に従っ
たマスクがなければ感材の浪費は果てし
ない。
   
 波型の白い線と顔の周辺にある雲のよ
うなイエロ−ブラウンとピカリと光るハ
レ−ションと直線状の光り、更に画面全
体の赤とピンクめいた紫のバックが色光
で露光されるのでそれだけのマスクが必
要になる。

    
 あっさり単純に見えるが、これだけのマスク作りがあって、その濃度バランスの調整に手
がかかる。顔の周辺部で周囲の色をグラデ−ションで押さえるマスクはエア−ブラシで作ら
れている。カラ−のネガ起こしをはじめてから色露光テスト、マスキンング修正、再露光テ
ストを重ねて完成までにおおよそ3日はかかる。
     
 この画面が四角で、余裕をみて作られているのは、キャンペ−ン用として、ポスタ−、パ
ンフレット、チラシにいたるまで多様に使われるからである。

       

        

            

     エキセドリン ポスター原画  1970

                

「 エキセドリン ポスター原画 」

    

 これは、鎮痛・解熱剤のポスタ−とし
て、はじめからこんな色彩を予想して、
撮影した。ということは、顔の左右半分
づつの明暗のカラ−バランスで、服用前
後の効果の変化といったことや一見して
痛み止めの広告だと分かる狙いもあった。
    
 人間の顔のポスタリゼ−ションは、下
手をすると怪奇なものになりやすく、人
相までかわることがある。この例の場合
では、右半分のグラデ−ションが成否を
分けることになる。
    
 諧調をなだらかにし、淡い色調の分離
には、ソフトなハ−フ・ソラリゼ−ショ
ンが効果的である。この場合も数点のハ
−フ・ソラリゼ−ションが作られ、その
マスキングの部分的な減力処理をしたと
ころもある。
   
 このポスタ−の透明感のあるカラ−グ
ラデ−ションは、ぼくの作品の中では出
来の良いほうで、左右の色相の変化、特
に右側の髪の柔らかい色調と、ピンクの
ハ−フ・ト−ンのフラットさを救うため
厚みを増すわずかに赤みのあるト−ンを
別のマスクで追加したことがよかったと
思う。

    
 こんなポスタ−が受け入れられるかどうか、代理店も気にしていたが、クレ−ムはまった
  くなく、かえって気にいられ、店頭の目立つ場所に掲示されたということであった。

       

                   

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