意外なところで苦労する

絵の具でつくる小世界

一般の方が意外と思われるのは、おそらくバック作りであろう。
 今回掲載したダイヤ単体のイメ−ジ広告向けの作品は、かなりスケ−ルのある空間に見え
るが、ダイヤの大きさとの比例を考えるとすぐわかるように、バックは非常に狭くて切手か
名刺の上にダイヤが乗っているような広さしかない。これだけのクロ−ズ・アップになると
少しざらついた布は荒れ地に見え、ゴマ粒は大石に写ることになる。          
      
 種明かしをすると、これらは半透明のフィルムの上にポスタ−カラ−をコンプレッサ−で
吹きつけたり、筆で垂らしたり、金粉・銀粉を散らしたり、画家のポロックのように絵の具
を投げつけたりしてつくられる。アシスタントと一緒になってこんなことを一日中やつてい
るのも変な風景である。フィ−リングに合わせるため何度もやりなおすことが多く、バック
作りのほうが時間がかかる。                            
 こうして選ばれた切手大から名刺大の小面積が、深海に見えたり、ライトで金粉が光り夜
景に見えたりということになり、つまり、小面積の小世界を宇宙までもつなげたいというこ
とである。                                    
       
 ところで、当然「そんな苦労をするよりは、デジタルのコンピュ−タ−でやれば」という
ことを友人たちに云われたが、この見解は私とは相当の違いがある。私は将来のコンピュ−
タ−・グラフィック(GC)には、もっと広く深い分野が待っていると思う。      
 現在のGCはごく初期の成長過程にあり、せいぜい写真や動画の合成やデフォルム程度の
便宜的、修正的な使用に止まっているが、やがて写真(レンズ)などにはとらわれず、絵画
にリトグラフやエッチングがあるようにひとつの確立した分野として伸びて行く特質や予兆
が見える。私はそんな世界を早く見たいと期待している。               
 私自身はもっとパソコンがわかり、技術的にも自信がもてるほど習熟すれば、ブラウン管
をキャンバスに、キ−ボ−ドとマウスを絵筆にして、写真とは全く異なる魔法的な表現のG
Cア−トをやってみたいと思うが、たぶん命の方が足りないだろう。          
      
 長年ダイトランスファやマスキングワ−クでも写真の合成をやって来た私は、それがきれ
いにできるほど無個性になりがちで、軽くなり落ち着かず、ピカピカの虚構に見えてくるこ
とに嫌気して、かえってアナログの良さ人間くさいところを好むようになった。     
 手摺りの千代紙と印刷機で刷る千代紙との違いのようなものであろうか。       
      
     さて、このような小世界を皆さんはどう見られたであろうか。       
       
  「こんな写真にグラフィック・デザイナ−とコピ−ライタ−という視覚と言葉の魔
  術師が加担してオ−バ−な御案内をするのが宣伝界であろう」といわれるのは厳し
  すぎる。皆さんまじめで正直、ウソはつかない。「広告は新しく正しい情報を皆さ
  んに伝え、あわせて文化に寄与する」というのもおおげさであろうか。以下省略。
   確かにコピ−は写真を生かしも殺しもする。海底のダイヤと空飛ぶダイヤの2点
  は未発表の作品。何か面白いコピ−が浮かんだらお教え願いたいものである。